宵、酔い、好い



「申し訳ありませんでした」

私の隣で魔法帝に頭を下げるのは、元恋人で現上司で、次期団長の最有力候補の副団長、フエゴレオンさん。
厳格な態度と強い口調で「気を引き締めたまえ」という魔法帝。フエゴレオンさんが来るまでは、魔法騎士団をやめろとまで叫ばれていたのに。

相手の罠に引っかかって、焦りに焦って大きな失敗をした。そのままダンジョン攻略ができず、ダイヤモンド王国に今回目当てのものを譲る結果になってしまった。挙げ句の果てには、仲間に重傷を負わせて帰ってきた。
星10の個剥奪と、上四級から中二級への降格。側近の人からはやりすぎでは、との声が上がったが、ヒステリックで有名な現魔法帝はそんなことはお構い無しだった。加えて私は低級貴族。王族生まれの魔法帝にとって、私は差別の対象だった。
階級を下げられるのはいい、でも今まで獲得してきた星を10個も剥奪されるのが一番きつかった。

「しっかりと指導していきます」
「こんな腑抜けた団員がいては魔法騎士団の恥だ。しっかりしてくれ」

怒るなら私だけでいいじゃないか。フエゴレオンさんを巻き込まないでほしい。任務でミスして、仲間を傷つけて、怒鳴りつけられ、もう心はボロボロだった。
涙が流れないように、拳を握りしめる。指の感覚がなくなるほど握り締められた手は、小刻みに震えていた。


:
:

「申し訳ありませんでした」
「もういいと言っているだろう、**」
「団にも、迷惑をかけてしまいました。自分が失った星は全部取り戻します」

星10個なんて、私にとったら一年半かけてようやく取れる数だった。でも星果祭までは後3ヶ月。星10個なんて、絶望的な数字だった。
でもやるしか道はない。

「焦らなくていい、それに団長もいいと言っていただろう」
「……任務があるので、これで失礼します」
「今日は休むべきだ、魔力もロクに回復していないだろう」
「大丈夫です」
「**、」

次期団長と言われている思い人に頭を下げさせておいて、図太くいられるわけがない。
悔しかった。自分のミスで仲間を傷つけ、団にも迷惑をかけた。こんな自分が許せない。今まで気を抜かずにやってきた。昨日の任務も全力で挑んだつもりだった。でも、ほんのわずかな綻びのせいで最終的には焦って力を出しきれず、失敗した。
ふわ、と大きな手が頭に触れた。愛おしくてたまらない手なのに、今では苦痛を煽る材料でしかない。

「お前1人が焦る必要はない。このままじゃお前が怪我をする。」

無理をしないでくれ。
そう告げるのは酷く優しい声。どれほどこの声に、言葉に救われただろう。たった一言で私の全てを甘やかしてしまうこの声が、今はあまりにも苦しい。

「、大丈夫です」
「…、お前は、私と別れてから、泣かなくなったな、」
「……失礼します」


そう言ってフエゴレオンさんに背中を向けた。あと1秒でも長くいたら、涙が溢れていたから。ギィ…とドアを開けて、一瞥も一礼もせずに部屋を出た。
心臓が締め付けられて、痛い。

:
:

はぁ…はぁ…っ、

荒い息だけが夜に残る。あたりは私の魔力の残骸だけが取り残され、木々は抉れ、地面はヒビを作っていた。月さえ上らぬ真っ黒な闇の中、うまくいかない魔法に苛立ちと焦りが自分を惑わせた。
2ヶ月で星が4つ。低位な貴族のそこまで取り柄のない私からしたら及第点だろう。あと1ヶ月で6個。無理だとわかっていても、私には絶対に取らなければならない理由があった。

(フエゴレオンさん、…)

私が好きだと告白して、彼もそれに応えてくれた。今考えれば若かったなんて思う。
決して短くなかった付き合いだ。それでも日が経てば経つほど、私と彼の差が顕著に現れるようになって行く様を受け止めることができなかった。

情けない。強引に別れたと言うのに、まだこんなにも未練があるだなんて。なんて滑稽で愚かなんだ。

「…ばかみたい」

そう呟いて星空を仰いだ。言葉が空気に溶けていって消えた。
彼の顔に泥を塗らないようにと別れたのに、私のせいで頭まで下げさせて、私は何がしたかったのだろうか。
『王族』『ヴァーミリオン家』『次期団長』、そんなすごい肩書きだけでなく、団員からの信頼も厚く、心優しくときに厳しく、寛大なお方だ。私はというと、低級貴族で特に取り柄のない平凡な団員で、卑屈っぽくて心も狭い。比べるのがおこがましいほど大きな差だ、もはや笑える。

「…会いたい、」

会いたい。会って抱きしめて欲しい。大丈夫だ、私がいる、なんて穏やかな声で言いながら、私の頭を撫でて欲しい。
触れたい、触れられたい、隣に並びたい。
好きなんて言葉じゃ足りないくらい彼が欲しい。あの時頭を撫でられただけで、今まで誤魔化してきた思いが全て粉々に砕けてしまったのだ。
彼を思いすぎて、心臓が苦しい。

「好き…」
「誰がだ」
「っ!?」

耳障りのいい、聞きなれた声。慌てて後ろを振り向けば、そこには今ずっと脳内を支配していたフエゴレオンさんが。
なんで、こんな夜中に、こんなところに…っ?

「フエゴレオンさん…っ、?何故ここに…」
「**」
「っ…は、い…」

あれ、なんでだろう、少し不機嫌…?
低く強い声が心臓に響いて、変に心拍数が上がった。一歩一歩近づいてくる姿に、思わず足が後ろへと下がっていった。気迫、というか、オーラ、というか、そんな目に見えないものに押されているようで。

「何故逃げるのだ?」
「っ、いや、その…」
「そんなに、私が怖い…?」
「ちっ、違います!そうじゃなくて、」

激しく心臓が打たれているよう。喉がカラカラになって、今立っているのが不思議なほど頭がフラフラする。口先だけの呼吸がさらに思考を鈍らせていった。

「**」
「〜〜っ…こ、来ないでくださいッ…」
「断る」
「な、なんで怒って…ッ、きゃ、!」

後退していたら、何かにつまずき上体が後方へと傾いた。ドサ、と尻餅をついた衝撃に困惑していたら、目の前には月の光からできた影が。

「ふ、フエゴレオンさん…っ、」
「**」
「ッ、」
「今、誰を想っている」
「え…、?」

おもって…?と真似をするように聞き返せば、目の前で膝をついたフエゴレオンさんがゆっくりと手を伸ばしてきた。

「っ…」

指先が髪に触れるのをじっと見つめた。男性特有のゴツゴツとした指が丁寧に髪の毛を撫でる。

「……私が怖いか?」
「…えっ、?」

髪を撫でた指先が頬を伝った。そのままゆっくりと目尻に上がっていき、反射的に目を閉じた。親指でそっと拭うような感触があまりに愛おしい。
あ、私、泣いてたんだ。

「どうすれば、お前が手に入る…?」
「フエゴレオンさん、」
「振られた身だというのに、未練がましいな、私は…」
「ッ…、」

なんて、熱い視線なんだろう。脳が溶かされるようで、目の前がチカチカとした。息を吐くのがやっとで、苦しくて苦しくて、その視線の意味を理解してしまうと、余計に辛くなる。

「なんで、そんな、私なんかを…ッ」
「好きになることに、理由などいるか?」
「ーーっ、でも、私なんて、あなたに好かれるような何かを持ってるわけじゃないのに、」
「気づいたら、目で追っているのだ」
「っ、フエゴレオンさん、」

まるで宝物を包み込むかのように、やさしい温かい手が触れ、フエゴレオンさんの熱が伝わってくる。その瞬間、何かが心臓からぐっと込み上げてきて、またポロポロと涙が零れた。

「もう触れる権利すらないのに、お前に触れたくて仕方がない」
「っ、待って、汚い…っ」
「そんなことあるわけがない」
「〜〜ッ、」

音もなく、何度もなんども唇が手に触れた。甘くて蕩けそうな感覚に、また胸が締め付けられる。ドロドロで、傷だらけで、お世辞にも綺麗なんて言える手じゃないのに。
死んでしまいそうなほど苦しい。今まで押さえつけていた思いが爆発しそうになる。

「今度は、あの時とは逆だな」
「え…?」
「**」

唇に這わせていた顔がスローモーションのように上がった。いつかに見た、優しく私を思うような、あつい熱を孕んだ視線。そして、まるで私の全てを包み込むように微笑んだ。何度この方に救われてきたことか。

「別れを告げられてからも、お前を忘れたことはなかった」
「フエゴレオンさん…」
「好きだ、愛している、**」

私のところに戻ってきてはくれないか、なんて続けて、きゅ、と手に力を入れられた。そんなわずかな刺激が愛おしくて、もう離れられないな、なんて思った。

「**の気持ちを聞かせてくれ」

諭すように穏やかに、でもなんだか、わかっている、なんて言いたげで。もしかしたら、この人には全部筒抜けなのかもしれない。

「っ、私、は…」

まるでリボンを解くかのように、するりするりと心が解かれる。真っ直ぐすぎる彼だから、お世辞なんて一つもない言葉が心にじんわりと沁みていった。

「その、「誰かいるのか?」
「!?」
「………」

ザク、ザク、と懐中電灯の光とともに足音が近づいてくる。まずい、フエゴレオンさんと一緒にいるところを見つかったら、何を言われるかわからない。
まずい、どうしよう、どうすれば、

「こっちだ」
「あ…」

流れるように引っ張られ、立ち上がった。私にしか聞こえない声を発した後ろ姿は、何度憧れ、追い求めたことか。
さっきの場所とは違う、建物と建物の間の隙間。体格のあるフエゴレオンさんと並ぶには、あまりにも狭い。
私を隠すように抱き締め、じっと外を見つめる表情がもうかっこよすぎて仕方ない。ズルすぎる、この人は。一度求めてしまえば、もうどうしようもない。

「……?気のせいか、…」

また、ザク、ザク、と遠ざかっていく足音。隠れなくても良かったくらいだったけど、見つかってしまうかも、という焦りと密着する体のせいで心臓がバカみたいに早く脈打つ。
そっと離れるフエゴレオンさん。空気に晒された皮膚が寒い。

「ありがとうございます、フエゴレオンさん、」
「………**」

スッと顎を掴まれ、持ち上げられた。否が応でも絡み合った視線。しかしそれは、途端に逸らされる。
代わりに、私の唇のギリギリ手前、フエゴレオンさんのそれが触れそうなくらい近くで止まった。

「…いいか、?」

微かにかかる息。それがあまりに彼との距離を示しているようで。
これは、生殺しってやつだ、たぶん。
だめ、だめ、と抗う私と、欲しい、欲しい、と欲を溢れさせる私。ぐちゃぐちゃとした感情は、もう解放させたかった。

「〜〜っ、」

ぎゅ、と彼の服を握り締めた。過去に幾度となく重ね合わせた熱。
だめだ、それが、欲しい。

「、すき…、ッん…!」

噛みつくようなキスだった。リップ音を含ませる唇が、何度も熱を伝えて隅から隅まで溶かしていく。愛おしくて愛おしくて、この人を思いすぎて死んでしまうんじゃないか。そんなバカなことを考えるほど、あついキス。

「んん、ハァ…フエゴレオンさん、」
「、ん……**、まだだ」

ーー足りない

吐息を交えた一言が、私の全てを狂わせた。ゾクゾクと背中を走る甘い刺激。きゅん、と締め付けられる心臓。気づけば彼の首に腕を回して、その唇を貪るように重ね合わせていた。体に絡まる強い腕が、熱を啄む唇が、なんと愛しいことか。

「っふ、ん…フエゴレオンさん、ごめんなさい…、」
「なにを謝っている」
「星は、ちゃんと、けじめつけますから、」
「またそのことか」

背負い混みすぎだ、そう言ってまた息をも食べられそうになるほどに唇が重なる。どんどん酸素がなくなってきて、頭がぼーっとしてくる。なんて幸せな瞬間なんだろう。

「お前の重荷を、私にも背負わせてくれ」
「でも、私がしたことだか、ッ…」

息がうまくできなくて酸素が足りない。苦しいを示す生理的な涙が頬を伝った。言葉を喰らったキスがあまりに熱すぎて、もう考えるな、と言われているみたい。
この人は、きっと、私を狂わせる天才だ。そうじゃなけりゃ、こんなにめちゃくちゃになるわけがない。体を掻き抱く筋肉質な腕に全てを委ねても構わないような気がして、なんて甘えな、と自嘲した。

「なら、勝手に背負わせてもらう」
「っ、…ずるいひと、」

そんな素敵な顔をして、どれほど私を落とす気なの。
最初から、離れるなんて無理だったんだ。きっと、あの日あなたに想いを告げた瞬間から、あなたしか考えられなくなってたんだ。

「…、すき…好きです…、もっと、フエゴレオンさんが欲しいです、」
「…お前が望むままに、差し上げよう」

ただし、そう続けたフエゴレオンさんが、おでこに小さなキスを落とした。ちゅ、なんてかわいい音を鳴らした後に、いたずらをする、みたいな顔で私を見つめた。

「私も、お前の全てを貰い受ける」
「………、キスする場所、間違ってますよ、」

そう言ったら、はは、なんて笑って、また唇に熱を与えた。

宵、酔い、好い



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