デスルドーに深淵


やってしまった。


前回はお酒で酔っていたけれど、今回は違う。一滴たりとも飲んでいない。
ちゃんと断った。
抵抗もした。

なのにダメだった。


「…私、何も悪くない…」


そう呟いたけど、罪悪感は計り知れない。
朝起きたら私だけがベッドに寝転んでて、例のあのお方がいたという痕跡は全くなかった。
ただ、薄くなっていた痕がまた色濃く、しかも増えているのを鏡で確認したときに、やってしまったんだと現実に引き戻される。


「…はぁ、」


今日もまた、大きく溜息が出た。
どうしてあの方は私を抱くのだろうか。貧相な体だと言っていたのに、私を抱く価値はないはずなのに。

シャァァ…

熱いシャワーが体を滑って行く。
あの視線が忘れられない。脳裏に映し出されて、快楽を記憶している体がわずかにキュンと疼く。


『私の名を呼べ、**ッ、』


呼ぶなと言ったり、呼べと言ったり。
あの方はよくわからない。

ただ、名前を呼んだ瞬間、私の中の何かは吹っ切れたように感じた。

気づいてはいけない何かが、もうそこまで迫ってると、そう感じた。


「…ふしだら、」


そう、この言葉が正しい。
体の関係から心を持っていかれるだなんて。相手は魔法騎士団団長、ましてや王族。
結ばれるだなんてまずありえない話なのだけれど。


『**、』


あの声が、視線が、指先が、私の頭をぐちゃぐちゃにかき乱す。逃げたくても逃げられない。

いや、本当に逃げようとしているのかすら、不確かなのかもしれない。


キュ、とノズルを捻ってお湯を止めた。鏡越しでは水に滴る私の体には模様のように刻まれた痕が残っている。

どうして痕を残したのか
ただの行為の延長線なだけ?
痕なんて残したら、夢だと言えなくなるのに
私なんかと体の関係があるってバレたら、どうするつもりなのだろうか


(ダメだダメだ、今日は王都に買い出しに行く日なんだから)


ぱち、と頬を叩いた。
切り替え、と無理やり脳に言葉を押し付けて、バスタオルでぐしゃぐしゃと髪を拭った。

ふと夜を思い出しては、キュンとしてしまう体が何と恨めしいことか。



:
:



「あつ、…」


もう夏も本番を迎えそう。マスターに手渡されたメモを再度ポッケから取り出した。大体のものは平界でも揃うけど、やはり王貴界にしかない代物ってのがあるみたいで。


ついでにお買い物しておいで、とにっこり笑顔で言ってくれたマスターに感謝しつつ、なに買おっかなーとルンルンで箒を降りたのはつい先ほどのことだった。


「すいません、この果実ください」


まぁ、倹約家の私が何かを買うだなんて滅多にないのだけれど。
多分今日も今日とて、王貴界の煌びやかなお店を見回って帰るだけかな、と苦笑いをした。


果実が入った袋をぶら下げ、次は果実酒とかドリンクのボトルを買いに行こう。そう思って何気なく辺りをキョロキョロとしたら、新しそうで綺麗な本屋に目がいった。

いや、目が行ったのはその下のショーウィンドウの中身。


「………」


スタスタスタ。
無言でそのショーウィンドウの前に歩いて行き、ジッととある雑誌の表紙をガン見した。
そこには、ナイスバディの水着のお姉さんが一人。

その雑誌の見出しには、

『そんなカラダで脱げるわけ?
カラダでカレを撃ち落とせ!
〜究極のバスト・ヒップアップ法を伝授!〜』

………なんとも強気な見出しだ。………なんとも魅力的な見出しだ。

いやいやいやちょっと待って、私。カラダでカレを撃ち落とせ?そんな、撃ち落とすようなカレなんて、……い、いないし………。


『貧相な体だな』


チラ、と下を見た。
胸、まぁ普通(よりちょっと小さめ)。
お腹、くびれというよりガリガリ。
お尻、女性らしいというよりガリガリ。
足、とりあえずガリガリ。
総合的に、貧相な体。


(……た、立ち読みだけ、…)


並べられてる雑誌と同じものを手に取った。パラリと一枚捲ってみると、そこには綺麗な女の人が胸を掴んで、なにやらリンパの流れなどと説明しながらおっぱい体操とやらを行なっていた。

ふむふむ、なるほど…ここを刺激するとホルモンが出るのか…。あ、まって、今胸触ったら変態だ、。


チラ、と背表紙を見て、値段を確認した。1000ユール。

すぐに雑誌を元の位置に置いた。

1000ユールもあったら私の節約術で5日間はご飯を食べていける。やはり美容というのはお金がかかるものだ。貧乏人がするものじゃない。


(……ボトル買いに行こ…)


チラ、と最後に目が行ってしまった。
『そんなカラダで脱げるわけ!?』の見出しが私の心をグサグサとぶっ刺してくる。


「〜〜っ、」



:
:



「お買い上げありがとうございました〜」


やってしまった。


よくよく考えてみれば、もうあの方の前で脱がない。脱がないと決めた。なのに買ってしまった。

一体誰にカラダを見せるためなのか。


「…はぁ、…」


確実にあの方を意識してしまっている。こんなことにお金を使う私ではなかったのに。

チラ、と横に視線を向ければ、煌びやかなお洋服に身を包んだ貴族の方。しかも俗に言うボンキュッボンな体。
その顔は綺麗にお化粧されていて、元の作りの良さも相まってものすごく美人。

チラ、と反対側には、ガラスに映った私の姿が。
ど平民の格好に少ししかしてないお化粧。しかも自他共に認める貧相な体。


釣り合うわけがない、遊ばれている。
考えればすぐにわかることなのに、わけのわからない希望を持っている自分が恨めしい。


「はぁ……」


今日何度目かわからないため息が出た。考えても仕方がない、今はとりあえずボトルを買いに、


ドン…ッ!!


「え?」


ゴワァッ!!


凄まじい音と共に、突如、体を熱風が襲った。


「っきゃ、!」


ドサ、と体が倒れた。耳に響いたのは、人々の叫び声。
煙たい空気が一気にあたりを包み、すぐそこの建物からは火が出ていた。

なにが起こっているのか全く理解できない。ただ、あちこちで起こる悲鳴が私の体を震撼させた。


「助けてくれー!!」
「キャァァァ!!!」
「こっちにくるな!!」


まさに、地獄絵図。
ゾンビのような人じゃない何かが、人々を襲っている。
なんだこれは。今、なにが起こって、。


「グハッ、!!」


ドサ…と向こうでゾンビに襲われた男性が倒れた。それに伴い吹き出す血液。
途端に今の出来事が夢じゃないことを教えられ、恐怖で体がガタツク。


「嬢ちゃん!!逃げるんだ!!」
「はっ、はいっ、!」


ぐい、と引っ張ってくれた男性。
後ろからはゾンビが追いかけてきていた。
怖い。怖い怖い怖い。

もしかしたら死んでしまうのでは、と言う恐怖が身を包む。必死に足を立たせて、どこに逃げればいいのかもわからないまま走り続けた。
どこに行けば、安全なのかなんて、全くわからない。


「っ、おばあさん、私に捕まって…っ!」
「嬢ちゃん、私はもうほっといて逃げておくれ、」
「いいから早く!」


逃げれていないおばあさんを背負って、足を踏み出した。筋肉が弾けそうなほど痛い。

もう無我夢中で走った。


「嬢ちゃん早く!!」
「はいっ、!!」


引っ張ってくれる男性の後に続いて懸命に走る。息が切れる。喉が痛い。体がバラバラになるんじゃないかと言うほど苦しい。


「この建物へ!」
「っ、魔法騎士団…っ」


彼らの後ろには大きな教会。人々がそこへと入っていった。あそこにいけば、助かる。

良かった、やっと助かった。

そう思った瞬間、魔法騎士団の男性がゾンビに吹っ飛ばされた。


「なに、!?」
「騎士団の人が…っ」


こんな、いとも簡単に。


「建物にゾンビが…っ!」
「っ嬢ちゃん、建物から離れるんだ!」
「ですがあの中には人がたくさん、」
「今の俺たちになにができる!!」


ぐっ、と男性に引っ張られた。
正しい。
男性が言っていることはなに一つ間違っていない。

それに、魔力も乏しい下民の私がいくらほざいたところで、無駄なあがきなのは目に見えている。


「おかあさぁぁぁん、!!」


けど、


「っ、おばあさんをお願いします、!!」
「あっ、おい!!」


もし何かできるなら、なんでもいい。時間稼ぎでも変わり身でもいいから、なにか、。

泣く少年に降りかかるゾンビの手。私は持っていたコインをそっちに向かって投げつけた。


「っおりゃ、!」


コン、とコインがゾンビの頭にぶつかった。しかしゾンビはこっちなんて見向きもしない。

こうなったらもう、やるしかない。


どんっ!


一気に走ってゾンビの腰に体当たりした。
どうせ貧相な私のひ弱な攻撃だ。こんなのでゾンビが倒れてくれるわけがない、けど。

ぐら、とゾンビの体が傾いた。周りのゾンビが、一斉に私を見たのがわかる。

来い、来い、こっちに来い。


「っぼく逃げて!」
「えっ、あ、」
「こっちだ!」


どこかの人が、少年の手を取って走っていった。よかった、助けられたのかもしれない。

私も、早く逃げなきゃ、


そう立ち上がろうとした瞬間、ガシッと足を掴まれ、体が地面に叩きつけられた。
表情のないゾンビが、何体も周りを囲っていた。


「嬢ちゃん!!!」


掴まれた足を解けそうでもなく、逃げれるような魔法も使えない。

スローモーションのように振り下ろされる手。

あぁ、私、死ぬんだ。

来るであろう衝撃に備えて、目を閉じた。
走馬灯のように頭に映るのは、あの銀髪のあの方だった。



デスルドーに深淵
「よく戦った、後は任せろ」
轟々とあたりを燃やし尽くした炎と、熱い手のひらが私をの体を支えた。





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