声は檻のかたち


11時に終わる。
そうは言ったものの、実際にシフト時間が変動するだなんてよくあることで。


「**ちゃん、すまんねぇ…」
「いいですよ、マスターはゆっくり休んでいてください」


腰痛持ちのマスターは長時間立っていることが苦痛。だから腰痛が悪化したときは、私が変わって店閉めを行う。
そういう日の終わりは、日付を回って1時くらいになるわけで。


「…おい、まだ終わらないのか」
「ひっ…!まっ、マスターが腰を痛めたので、いっ、1時くらいに終わります…っ」
「………」


そう、あの方が口を開いたのは11時をとうに回ってむしろ12時前だった。
声をかけるべきかものすごく悩んだが、なんだかかける気になれずにそのまま放置してしまっていたのはきっと間違いだった。
例の方からはものすごい不機嫌オーラが漂い、お店にいたお客さんはそそくさと帰ってしまったから。

ある意味営業妨害だ。


「……もう他に客は来ないだろう」
「…そ、うですね…」
「さっさと店を閉めたらどうなんだ」
「で、ですが、ううううちは店閉めは12時半と決まっていて、」
「………」
「まっ、まだ閉めれませんっ、」


言った。言ったぞ私。すごく勇気を使った。きっと一生の半分くらいは。

私はこの店の店長でないから、店閉めの時間を変更するわけにはいかなかった。
確かに、この時間からお客さんが来るなんてまずありえないから片付けはしてもいいんだろうけど、まだ電気を消すわけにはいかない。


「……そうか…」


あぁ、結局最後まで待つんだ、この方は。

ある種の絶望を感じながら、もう一杯、ともはやカクテルドリンクに近いそれを頼まれ、掃除の手を止めて手際よくドリンクを作った。

そんなこんなで、掃除の合間に時折注文され、掃除をしてまだドリンク作り、というのを繰り返していたら時間というのはあっという間に過ぎて。


「あ、あのっ、もう閉めます…っ」
「そうか」
「え、あ、はい…」


お店を閉めるから、出て欲しい、そういうニュアンスを含んだはずなのに、この方は一向に動こうとはしない。
え、と思わず声が漏れてしまったのは仕方のないこと。

だがしかし、この方がお店を出れば、私はこの方から逃げることができる。
店閉めの日はここの二階に泊まっていいと言われているから、この人がお店を出たらもう会うことなく寝ることができる。
失礼は重々承知だ。
でも私にも拒否する権利はあると思う。たぶん。


「あの、お代を、」
「これでいいか」
「っ!?」


ジャラジャラ、と袋に入れられたものすごい数の硬貨。え、と動きを止めていたら、「釣りはいらん」なんて言ってきた。


「なっ、何言ってるんですかっ、!お、多過ぎますっ」
「はした金などいらん」
「はしてませんっ、全然はしてないお金ですっ、」


失礼します、とおおよその料金を頭に浮かべ、その分だけの硬貨を袋から取り出した。
伝票と硬貨を持ってレジに数字を打ち込んでいけば、当たり前のように発生するお釣り。
そしてまたお釣りを持ってあの方の元に駆け寄って行った。


「お釣りです、」
「袋が重くなる。いらん」
「そっ、そんなこと言わずに受け取ってくださいっ」
「私に命令するな」


めちゃくちゃだ、この方は。ものすごくめちゃくちゃだ。

でもお金が関係することだ。きっちりしなければならない。
それに私も疲れてテンションがぶっ飛んでいる。
「いれますね」と無理やり袋の中にお金を突っ込み、レシートを袋の下敷きにした。こんなこと、初めてした。

…確かに、この量のお金の前じゃ、お釣りなんてはした金に見えるのだろうけど…。


ふぅ、と一息ついて、最後の片付けを行う。
これ以上出て行ってというニュアンスの含んだ言葉を用いるわけにもいかず、心の中でどうか帰ってはくれないだろうかと念じながら洗い物をした。

まぁ、あのめちゃくちゃな方がお店を出るだなんて、すでに諦めてはいたが。


「おい」
「っ、はい、?」
「家はどこだ」
「え?あ、ここから、箒で1時間半くらいの、ギリギリ平界のところに、アパートを借りてます…」
「…今から帰るのか?」
「いえ、店閉めの日はここの二階に泊まらせてもらってます」


スル、と腰のエプロンのリボン結びをほどいた。
あとは、この方のいる机を拭いたら全てが終わるのだけれど、果たして今日の仕事を終えることができるのだろうか。


「終わったか」
「え、まぁ、その、一応、です…」


くしゃ、とエプロンを纏めていたら、いきなり、ス、と立ち上がった。
もしかして、帰るのかな、なんて甘い考えは早々に消え去った。


「おい、下民」
「え、…あ、はい……」


ゆっくりと私に近づいて来る様子はまさに大魔王。一歩一歩、近づいて来るたびに私の足も逃げるように後ろへと下がって行った。


「逃げるな」
「っじゃあ、来ないでくださいっ、」
「私に指図するな」
「っ、!」


トン、と背中についたのは壁だろう。
まずい、と思ったがそれはもう後の祭り。
一気に間を詰められ、昨日のように腕を腰に回された。


「逃げるな、」
「ーーっ、」


射抜くような視線。
今から狩をする鷲のような視線に、体が固まる。
しかしその視線もすぐにあつい熱を持った。あまりの至近距離で見てられなくなって、ふい、と視線を逸らした。

このままじゃ、全てを覗かれてしまいそうで怖くなった。


「私を見ろ」


くい、と顎を掴まれ上を向けさせられる。もう私に触れないでほしい。

この手に触れられると、体がおかしいくらいにあつくなるから。


「**」
「んっ、」


あまい囁きのあとに、唇に落とされた熱。

ゆっくりと後頭部に回った手のひらが、サラリと髪を撫でた。
まるで宝物に触れるかのような繊細な手つきに、悔しいけれど心地よいと感じてしまった。


「…っん、ッ…!」
「…はぁ、……**、」
「っ、」


離れてください、
そう言おうとしたのに、煽情的な瞳に思考の全てを攫われる。


「あっ、まって…っ」


腰に回っていた指先が、服の裾を捲って中に侵入してきた。キャミソールさえも捲ろうとする手を止めようと、自身の手を伸ばしたら、それを阻止するかのように手首をぐいっ、と掴まれ、壁へと押し付けられる。


「〜〜っ、離してくださいっ、」
「断る」
「っん、ひゃ、!」


とうとう捲られたキャミソール。滑らかな指が肌に触れた瞬間、まるで媚薬を塗られたかのように体が反応した。

だめだ、この方の手は、私には刺激が強すぎる。


本能的に逃げなきゃ、と思った。なのにほんの少し、この方から意識をそらした瞬間、再度降って来る唇の熱。


「んんぅ、っ」
「ん、はぁ…逃げようとしても無駄だ」
「待ってくださっ、っあ、!」


ヌラ…と自身の舌に生暖かいそれが絡み合うと同時に、粘膜が触れ合う音が鼓膜に響いた。
心の準備なんて何一つできていないのに、ねっとりと熱を孕んだ舌が私のを弄ぶ。
歯茎を舌がなぞったとき、ぞく、とあまい刺激に腰が引けた。


「んぁ、っ、ふぁ、」
「ん…ふ、…はぁ……」


ちゅぷ、ちゅぷ、と淫らに唾液が絡み合う。熱に溶かされぐるぐると頭が回る。
キスだけで与えられる快感と肌をなぞる手のひらが私をめちゃくちゃに掻き乱した。


「っぁ、やっ、ふ、ん…っ、」
「は……**、」


するりするりと背中に上がっていった手のひら。キスを受け止めるだけで精一杯だったのに、ぐ、と胸を押しつぶされるような感覚に思わず目を見開いた。


「んんっ、!?」


パチン。

なんとも情けない音を立てる背中。
それと同時に緩む胸の締め付け。

まずい、このままじゃ、あの時の二の舞だ。


「っやめてくださっ、なにして…っ、!」
「ここでするか、貴様の寝室でするか、どちらがいい」
「っ、どっちもお断りしまっ、あっ、あぁ…っ、!」


ツツ…と背中の中心を上から下に指でなぞられ、面白いように背中を仰け反らせた。
敏感な部分を触られているわけじゃないのに、ほんの少し触れられるだけで淫らに反応する体が恨めしい。


「ならここでする」
「っあ、待って、!ここは…っ、ひっ、」


胸の輪郭を辿るように爪でやさしく引っかかれる。少しこそばゆい感触はなんとも身体を煽って来る。


ここは、仕事場で、マスターの大切な場所だ。そんなところを、私が汚すわけにはいかない。


「っ、し、しんしつっ、寝室にしてください、ッ」
「早くそう言え」


ひょい、と軽々とお姫様のように抱きかかえ、有無を言わさずに店の奥へと進んでいった。
従業員以外立ち入り禁止なのに、なんて言えるはずもなく、なんの確認もなくギシ、と階段を上っていった。


「部屋はどちらだ」
「ひっ、ひだり、ですっ、」


右に行けば、マスターが寝ている。部屋をこんな風に使ってしまうことに罪悪感と背徳感しか残らず、本当なら思いっきり突き飛ばして逃げようとさえ思ったほど。
だけど、


「余計なことは考えるな」
「ーーっ、」


至近距離であの瞳に見つめられるともうなにもできない。



声は檻のかたち





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