同じ音を持つ異形


「戻ったぞ」

ノックも何も無しに部屋に入れば、電気のついた部屋からはなんの音も聞こえない。いや、よくよく耳をすませば女がベッドの上でスヤスヤと眠っている寝息がわずかに聞こえた。
ギシ、とベッドが軋む。ベッドの上に腰を下ろして片手を伸ばせば、指通りの良くなった髪の毛に指先が触れる。髪を梳くように手を動かせば、わずかに口をへの字に曲げて長い睫毛が揺れる。

「ん、む……のぜるさま……?」
「あぁ、私だ」
「ふふ……ほんものだ」

夢でもお会いしました、と頬を緩める**につられて口角の力が抜ける。そのまま滑らかな頬を撫でれば、幼子のような体温の高い掌がそれを包む。

「手、つめたくて気持ちいいです」
「……熱いな、お前の手は」
「おやすみ体温です」
「なんだそれは」

くすくすと穏やかに笑う**。この顔は嫌いじゃないと髪で隠れた額を露わにする。スル……と真っ白なシーツが音を立てると同時に身を屈めて露わになったそこに唇を這わせた。

「……そっち、やです」

上体を上げたかと思えば、私の首筋に手を当てて目を瞑った。柔らかな唇が触れたそこはほんのり暖かくて、たった一度触れるだけで**しか考えられなくなってしまう。

「休日なのに、お勤めご苦労さまです」
「あぁ」

先ほど触れた柔らかい唇に親指を這わした。ん、と心地好さそうにまた目をうつらうつらと閉じようとするからそれを阻止しようと今度は目元を指でなぞる。

「もう昼だぞ」
「まだ寝足りないです」
「貴様は寝すぎだ」
「ノゼル様が早起きすぎるんですよ」
「起きろ」
「んむ、」

片手で両頬を掴めば、柔らかい感触にクスリと笑った。「やめへくらはい」と楽しそうに笑う**の頬を押したり摘んだりして遊べば容易に変わる顔はまるで綿菓子のようで。

「変な顔だな」
「のぜぅさわのせいれす」
「ふ、なんと言ってるかわからないぞ」
「うぅ〜」

砕けたように笑う**。細まった目がゆっくり開き、まっすぐ私を見つめた。欲しい、と思わず喉が疼く。片手を**の後頭部に回し、離れないように、そっと引き寄せた。
そのまま音もなく触れ合う唇に欲がじわじわと満たされていった。

「ん……ふふ、」
「……なぜ笑っている」
「なんでもないです」

もういっかい、と言わんばかりに私の首に腕を回した**。それに応えるべく、もう一度息を飲み込んで首を傾げた。唇が離れた後、伏し目がちな**の瞼がゆっくり上がるのが扇情的で、無意識に目の上に唇を落とした。

「ノゼルさま、幼子みたい」
「誰がだ」
「今日はなんだか甘えたさんですね」
「そんなことはない」

まだうつらうつらと寝ぼけているのか、舌ったらずな声で笑う**が私の頭を抱き抱え、そろりと手を這わせた。

「いい子、いい子」

普段なら、**でなければ、こんな屈辱的なと憤っていただろう。しかし**の掌が心地よく、体温が溶け込む感覚に思わず身を任せて目を瞑った。

「ノゼル様のお母さまって、どんな方ですか?」

スゥ……と息を吸うと、**のわずかに甘い、花のような香りが鼻腔に広がる。同じ石鹸を使用しているはずなのに、**の甘さは一体何だろう。

「……美しく、強い方だった」
「だった……?」
「末の妹……ノエルを生んだ時に命を落とした」

ピタ、と頭を撫でる手が止まる。それに気づかないふりをして、ゆっくりと口を開いた。

「鋼鉄の戦姫、戦場の舞姫、母様はそう呼ばれていた。誰よりも洗練された魔法……母様こそ最強の魔法騎士団長だった。」
「……そう、だったんですね、」
「私の、憧れだった」

末の妹とひどく容姿が似ていた。だからこそ、あの姿がまた戦場から消えるのが恐かった。そして安心した。ノエルが、魔法をコントロールできない、弱く、戦えない者で。

「酷い兄だな、」
「え?」
「だからこそ、私も最強の魔法騎士団長にならなければならない。誰も、傷つかせないために」

普段なら、聞かれてもこんなことを話さないだろう。なのになぜか、今日は素直にそう言った。**は何も答えなかったが、またゆるりと頭を撫でる手を動かした。

「……オマエの母様は、どのような人物なのだ?」

少し顔を離して視線を上げたが、**の表情は見えなかった。

「……やさしい人です。父は……幼い頃に亡くなったからよくわかりませんが、女手一つで私を育ててくれました」
「今は、どうしているんだ」

知っていることをわざと聞いた。初めて**の酒場に行った時、聞きもしていないのに野蛮人が勝手に言った。だがそれでは不確かで、当人の口から聞きたかった。

「……病気で、寝込んでいます。お金もないから、医療施設にも行けなくて」
「そうか……、」
「今はなんとか、私の稼ぎで薬代に当ててしのいでいるんですが……」

いつまでもつか、そうポソリといった声はひどく寂しげだった。うちの者が軽い風邪をひいただけでも、王国で有数の医療施設に行かせてやれる。私は王族だから。だが**は違う。差別される対象で、貧困層にあたる者だ。意識しなかったわけではないが、色々と考えさせられることが多い。

「不平等ですね、世の中」

この言葉にどう返答すべきなのか、私にはわからなかった。そう言えば、なぜ私は下民という存在を忌み嫌っているのか。ただ魔力が弱く魔法騎士団として使い物にならないから、貧しく卑しく、品がないからか。**は良くて、他の下民はダメなのか。
幼少期から自然と植え付けられた思想に、なぜかどうしようもなく腹が立った。

「……名前は、」
「なまえ?」
「オマエの母様の、名前はなんという」

ぱちぱちと瞬きした**が不思議そうに私をみた。私は何も言わず、ただジッと**の言葉を待っていれば、そろりと綺麗な言葉が耳を撫でた。

「アシエ、と言います」

自分の母様なわけがないのに、どうしようもなく泣きそうになった。

「……私の母様と、同じだな」
「! ノゼル様のお母さまも……、」
「あぁ。アシエ・シルヴァだ」

近いうちに、母様の墓参りに行く、それから**の母様にも会いに行く。そう伝えれば、**は泣きそうな目で口角をゆるりと上げた。そして何も言わずに私の頭を両手で抱きしめた。





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