きれいごとの戯れ


『っ、あっ、ノゼル、さま、ぁ…っ』


私に挿れられながら、体を震わせ仰け反った時のあの表情が忘れられない。相手は一端の下民だと言うのに、あの妖艶な姿にまんまと引っかかる自分が情けない。


「ノゼル様、ご昼食は、」
「いらん。外に出る」


女が酒で酔わされ、蕩けたような視線をしていたとは言え、たった一言、名を呼ばれただけで理性が飛ばされるとは。

情けない。


聞けばあの女、王都へ出稼ぎに来ていると聞いた。酒場だが、看板娘のあの女のおかげで繁盛していると異邦人が言っていた。


『だっはっは!お前も飲めよ王族!』
『寄るな、私は飲まないと言っているだろう』
『遠慮すんなって!おいねーちゃん!こいつになんか酒持って来てやってくれよ!』


日頃の鬱憤を晴らす、などあの異邦人の言葉に惑わされるほどには疲れていたんだろう。
まさか酒場に連れていかれるとは思ってもいなかったが。


『失礼いたします、こちらカクテルドリンクです』


やけに耳に残る声だった。女に視線を預ければ、穏やかに表情を緩ませ、吸い込まれそうな視線に捕らえられた。


『**ちゃーん!こっち!注文よろしくー!』
『はい!ただいま!』


軽く一礼して去っていく後ろ姿をじっと見つめた。ただのほんの一瞬の出来事だったのに、あの視線が忘れられない。


『あの嬢ちゃん、惠外界からここまで箒乗って出稼ぎに来てるんだとよ』
『…ただの下民か』
『なんでも、病気の母親がいるとか』


哀れだな。
純粋にそう思った。世の中には運というものがある。そう思えばあの女は下民に生まれ、貧困な生活を強いられる運のない女だったんだろう。

そうか、と呟いてグラスに手を伸ばした。酒はほとんど飲めないが、それをこいつに知られたら厄介だ。
少しくらいなら大丈夫だろうと、グラスを傾けた時、程よく甘味のある柑橘が口の中に広がった。


これには、ほとんどアルコールが含まれていなかった。


『お?酔ったか?酔ったか??』
『…この程度で酔うか。後こっちを見るな、異邦人』


ちら、と女の方へと視線をやった。
男たちに囲まれ、困ったように酒を飲まされていたが、ふと私の視線に気づくと、申し訳なさそうに小さく頭を下げていた。

よく味わってみないとわからない程度のアルコール。
まさか、私が酒が苦手なことに気づいたのだろうか。


『あ、あの、もう仕事に戻らないと、』
『もう一杯だけだって、**ちゃん』
『私もう飲めなくて、』
『ひと口!ひと口だけ!』
『ですが、『おい』


ほんの少しのお礼のようなものだ。自分でもぬるくなったと自覚せざるを得ないが、酒場の雰囲気に酔っていたのだろう。
そうでなければ、注文をとれ、と言って女を助けようなど、普段の私にはあり得ない行動だった。


『はっ、はい!ただいま!』
『げ、魔法騎士団の団長じゃねーか、』
『なんでこの酒場に…』


少し酔っているようだった。さっきの席でかなり飲まされていたから仕方がないが、蕩けたような熱のこもった視線に誘われているような気分になる。


『ご、ご注文は、?』
『……異邦人、頼め』
『お前めちゃくちゃな奴だな…んじゃあーこれとこれ』


少し崩れた字でメモを取る指先に視線が向かう。決して傷ひとつない綺麗な肌ではなく、ガーゼやテープで固定されている指先が気になった。


『ご注文を確認いたします、』


だめだ、このままではなにかおかしくなりそうだった。

女の声は聞かずに、ぐ、と酒を呷った。



:
:



カランカラン、と昨日聞いた音が響く。そうすれば店の奥からパタパタと走ってくる足音。


「すいません、まだお店開いてなく、…っ!?」
「…昨日ぶりだな」


首まで覆う服を着ているのは、昨日私がつけた痕のせいだろう。
深夜はぐったりと眠っていたのに、もう働いているとは熱心な女だ。


「な、なぜあなたがここに…っ、」
「…さぁな」


逃げようと半歩後ろに下がった女に一気に間合いを詰めその手を取った。
昨日と変わらず華奢な体だった。


「はっ、離してください…っ」
「貴様は…、なんなんだ」
「え、?っきゃ…!」


その身をぐっと引き寄せ、昨日のように顎を掴んで軽く上げた。震える視線を絡ませ、鼻がつきそうなほどの至近距離でその瞳の奥を見た。

昨夜の、あの快楽に溺れる瞳が脳裏に移る。


「…下民のくせに、」


蔑んでいる下民の腰を抱いているというのに、離そうとしない手が恨めしい。昨日のことは誰にもいうなと口止めをするつもりでここに来たのだ。
なのに、行動が伴わない。


「私に、何かしたのか、?」


何かした、など馬鹿げた質問だ。私が昨夜この女を無理やり抱いたというのに。

夜道に一人、忘れ物だと私の私物を家の近くまで届けに来た時に、名前を告げられただけだったのに。


「ノゼル、様…?」
「気安く名前で呼ぶな」
「んっ、!」


私の名前を告げた口を自らのもので塞いだ。柔らかいそれに触れる度に昨日の情事が脳裏に映り、何度も角度を変えて重ね合わせた。


「んっ、むぅ、…っ、」
「っ…はぁ…、」


互いの息と、女の小さな抵抗する声が鼓膜をくすぐる。それだけで徐々に体の芯に熱がこもる感覚がした。

ぐ、と私の体を押し返すように腕を当てて来たが、ひ弱な女の力ではなんの意味もなかった。


「っぁ、ん…っ」
「ん…は、…」


どん、どん、と胸を叩かれ、薄眼を開けて女を見たら、涙を含んだ瞳で切なげに目が細められていた。
そういえばさっきから、ろくに息すらしていなかったようだ。


「、っ、はぁ…っ!」
「……貴様、名前はなんだ」


唇を離した瞬間、はっ、吐息を吸いむと同時に、咳き込んだ女。苦しそうに肩で息をしては、涙を含んだ目で私を見上げた。


「え、?」
「名前だ、貴様の。」


名前も知らぬような女を抱いたというのか、私は。
昨日客がこの女の名前を何度も読んでいたようだったが、一文字も頭に残ってはいなかった。


「、?**、と申します…」
「……そうか…」


そういえば、そんな名前だった。

なぜかもうそれで満足した。あとは、この女に口止めをして、昨日のことは忘れろと伝えるだけだ。


「………」


伝えるだけなのに、なぜか、うまく言葉が出ない。
私のせいで溢れた涙を指先で拭った。何をしている、こんなことする必要などない。さっさと言えば、それですむのだ。

なのに、口から出た言葉は思っていたこととは全く逆の言葉だった。


「……また、来る」
「え、…あ、……」
「昨日のことは忘れるな、いいな」
「〜〜っ、あ、あのっ、!」


どうしてですか、?

混乱を含んだ声がまっすぐ届く。至極当たり前な質問だった。だが、私はそれの正しい回答を知らない。

ただ無意識に、女の額に唇を当てつけた。


「また、今度だ」


昨日から、自分がおかしい。
こんな下民とたった一回体を重ねただけなのにも関わらず、行動も思考も全てが思い通りに進まない。

微かに酒の香る店をまっすぐ出た。
女には、一切視線を向けずに。



きれいごとの戯れ
(触れられたところが、…あつい、)





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