ミザントロープの落とし穴


「ふ、ふおぉぉぉ…っ」
「なんてだらしない顔だ」


たかが食事が運ばれてきただけでこの反応。貴様は子どもかと言ってやりたくなる。


「こんな料理…初めて見ました…」
「…そうか」


今にも食いつきそうなくらい目を光らせる下民。確かに、こいつの稼ぎではこの料理は食えないか。それにしても顔が緩みすぎだ。


「ノゼル様、こんなお料理を毎日食べているんですね…」
「このくらい普通だろう」
「くっ…格差社会…っ」


よく表情が変わるやつだ。でもこの騒がしい表情も、なぜか嫌いになれなかった。
それどころか、意識していなくても視線がこいつを向いてしまう。


「…席につけ」
「あ、あの、わたしテーブルマナーとかわからなくて、…」
「私の真似をしていればいい」


嬉しそうな表情から一変、すぐにしおらしく視線を下げる下民。此奴がテーブルマナーを気にすることに素直に驚く。

私は知っている。以前店で此奴が大口を開けてハンバーガーを頬張っていることを。テーブルマナーの欠片もない食いっぷりに下品だと思う気さえ削がれたことは記憶に懐かしい。


「貴様にもマナーを守る気持ちがあるんだな」
「そ、そのくらい常識ですっ」
「この前は品の欠片もなくハンバーガーを頬張っていたじゃないか」
「なっななななんで知って…っ」


すぐさま顔を青くさせる下民。その表情があまりに愉快で、嘲笑うような視線を向ければその視線に拗ねたように睨み返して来た。


「い、いいじゃないですかっ!ハンバーガーは大口を開けて食べるのが一番美味しいんです!」
「品の欠片もないな」
「〜〜っどうせ品なんてないですよ!」


猿のように騒ぐ下民をもう一度あざ笑った。笑いがこみ上げて止まらない。
そんなに必死になることか?とどうでもいいことで怒っているの下民があまりに不憫で可笑しい。


「ノゼル様、デザートはいつお持ちいたしましょう」
「呼ぶ。それまで部屋に入るな」
「かしこまりました」


失礼します、の声とともに去っていった使用人。ドアが閉まった瞬間、わずかに肩を震わせた下民を見逃すことはできなかった。

私が怖いのか、緊張しているのか、その両方か。
急に喋るのを止め、部屋の空気が若干重くなる。

あぁ、そういえば。
態とらしく思い出したように、テーブルの上にあるそれを注視した。それを見た瞬間、さっきまでの愉快な感情はどんよりとした支配欲に覆い被さられた。


「……」


さりげなくテーブルに置かれている、使用人に準備させたソレを手にした。ほぼ無意識に、21日分と記載された錠剤を一つ手に取り出す。わずかに残った良心が心臓を痛めた。


「ノゼル様…?」
「……」


それを片手に、椅子に座る下民の側に立つ。

ーーやってしまえ。

誰かがそう呟いたような気がした。


「あ、あの、そのお薬、ノゼル様のですか…?」


不安そうに眉を下げる下民。その表情が何を意味しているから何も分からなかった。いや、分からなかったと言うより、考えることができなかった。
最後のぎりぎりまで、この薬を此奴に飲ませてもいいのか、という疑問が脳内を支配していたから。


「…すまん」
「え?」


聞こえなかったのか、首をかしげる下民。なんの懺悔だったのか、自分でもよく分からない。
ただ言っておけば、少し楽になるような気がして。

これを飲ませることが何を意味しているかを理解しながら、黙ってそれを口に含み、グラスに入った水を傾けた。


「…?え、あ、ちょっ…えっ!?ノゼル様、なに、っ…!?」


そんな慌てた声とともに口に手を当てられた。
薄い手のひら越しに唇が触れる。しかしそのことに苛立ちを感じ、無理やり下民の手を引き剥がして問答無用に唇を合わせた。
最後に抵抗の声が上がったが、そんなものは無いに等しかった。

頑なに唇を閉じて私の体を押す下民。煩わしくなって親指を口の中にねじ込み、開口させた。


「っぁ、!待、んぐっ…」
「ん…、」


顎を持ち上げ、重力に従って口の中の水と薬を流し込めば、驚いたように体を跳ねさせ、私の胸を叩いた。

痛くも痒くも無い抵抗を無視しながら、口の中のものが零れないように無理やり頭を押さえつけ、ゼロ距離をさらに詰める。


「ッ…!ん、ぐっ…」
「…飲めたか」


口の中のものが消え、苦しそうな声とともにごく、と喉が飲み込んだ音を立てたのを確認して口を離せば、同じように苦しそうに喉を押さえて咳を吐く下民。
少しの罪悪感と、なんとも言えない高揚感が身を包んだ。

ひとしきり咳をした後、鋭い視線が私の目を貫いた。


「っ、なに飲ませたんですかっ、」
「…薬だ」
「薬…!?なんでそんなの、!」
「……体の回復を早めるものだ。貴様は回復力が無さそうだからな」
「〜〜っ、」


なら普通に飲ませてください!!

そう訴える下民に、今回ばかりは少し冷や汗をかいた。
普通に渡せば、この馬鹿は飲むだろうが、ほんの気まぐれだ。
顔を赤らめ、うっすらと瞳に膜を張る涙を見て、後悔半分、優越感半分、と言ったところか。


「だいたい、体の回復なんて、すぐしなくたって、」
「……さっさと食事を済ませるぞ」
「人の話ほんっとうに聞きませんね…っ!」


ここまで怒っているのは初めて見たような気がした。此奴でもこんなにも感情を露わにできるのか、と少し感心する。

本当にいろんな表情をするやつだ。その表情を引き出しているのが私だと言うことに、少しながら満足した。
知らぬとはいえ、悪いことをしたと理解しながらも、変わらぬ姿を見せてくれる此奴に少し安堵した。

そしていつのまにか、罪悪感が消えていき、やってやったと言う高揚感に包まれる。そうすれば自然と口元が緩んだ。

今日は、なぜか気分がいい。


「〜〜っ、なに笑ってるんですか!」
「貴様には教えん」


怒りに震える下民をよそに席につく。そして黙って私がナイフとフォークを手に取るのを見て、慌てた様子で同じものを手に取る下民。
それがまた愉快で、眼前にあるトマトに刃を入れながらまた口元が緩んだ気がした。


ミザントロープの落とし穴
「お、おいひぃ…!」
「………」

幸せすぎると言いたげな顔に、口にものを入れて喋るなと注意することができなかった。





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