さよならわたしのシンデレラ


コンコンコンコンッ

魔法帝の勤務する部屋に、朝から響いた四回のノック音。それとともにやってきた膨大な魔力。はいはい、と腰を上げてドアを開ければ、そこには私の目線よりも下の位置からの弱々しい視線が。


「おはようございます、どうかされましたか?**様」
「おはようございます、少しお聞きしたいことがありまして…今お時間よろしいでしょうか?」


ユリウス様。
そう告げたのは戸惑うように揺れる瞳だった。昨日の今日だから、この方がなぜここにきたのかは考えなくてもわかる。


「もちろんですよ。部屋の中でいいですか?」
「はい、ありがとうございます」


目の周りが赤くて、その下にクマができている。ヴァンジャンスが**様の部屋で何をしていたかは知らないけれど、この様子なら泣き腫らしたあとに考え込んで眠れなかったのだろう。
不安そうな表情からは、まだ昨日のことを受け止めきれていないのだと感じさせられる。


(そう言えば、昨日の夜は王宮に大量の花やお菓子が送られてきたと護衛が言っていたか)


王宮内だけでなく王都ないがそわそわとしているような感じだった。きっとこの方の負の感情を含んだマナを感じ取ったのだろう。

本当に計り知れないマナだね…と苦笑した。この方が本気で魔法を使えばどうなることやら。

そんなことを思いながら部屋に誘導すれば、いつもとは違うある物がすぐに目に入った。15歳以上なら誰もが携帯していて、**様が今の一度も持ち運んだことのない一冊の本が。


「…今日は、珍しいものをお持ちなのですね」
「私にとっては、ですね」


一見、ハート王国の物かと勘違いしてしまう、一ツ葉のグリモワール。**様が手に入れるまでは聞いたことはあったが実物を見たことがなかったそれは、魔法マニアとしては是非とも調べてみたいものだった。今まではグリモワールの話をそれとなくすれば、憂いた表情をする**様であったから話すら聞けなかったが。

だめだだめだ、無意識に体が疼く。ニヤつきそうになる顔を必死に抑えた。ここで笑ってしまうのは違う。


「…嬉しそうですね、」
「……すいません、いつか見てみたいと思っていたものですから…」
「ふふ、可愛いですね」
「おじさんに可愛いはキツイですよ」


読まれたか。いや、顔に出ていたのかもしれない。この方は人の顔を伺いながら幼少期を過ごしていたからそう言う感性はもともと鋭かったしね。

ゆるく目を細める**様にむずがゆくなり、ぽりぽりと頬を掻いた。その表情にさっきのような悲壮な顔つきは見られなかった。
心なしかホッと安心する。この方にそのような表情は似合わない。


「見てみますか?」
「……いいのですか?」
「もとよりそのつもりで来たので」
「…それでは、お言葉に甘えて…」


一ツ葉ということ以外はいたって普通のグリモワール。わずかな高揚感と共にそれを開けば、予想していたこととは全く違う光景が飛び込んできた。


「……何か、書かれていますか?」
「…そうですね、書かれていますよ」


ページの上半分や左、右半分と中途半端に何かが書かれて、あとは消えている。文字一つ一つもおそらくかなり古代のもので、しかも潰れているのだから何かが書かれているのだと言うことしかわからない。
それにしても、ページの上半分であったり右半分であったり、あとは斜めだったり。見開き3ページ分の文字はどのページも読むことができない。


「…何も読めないですね…」
「探究意欲が刺激されるグリモワールですね」
「……魔法が、中途半端だからでしょうか」
「え?」
「私は見ず知らずのうちに魔法を使っているようなのですが、どれも完璧ではありません。このグリモワールは、それを示しているのではないでしょうか?」


なるほど、と綺麗に腑に落ちた。確かにその考えだったら納得できる。基本、新しい魔法を習得すればグリモワールにそれが記述されるが、**様のそれは全て不完全だ。自身でコントロールもできない。
ならば、このページが記述されるには**様が魔法を習得しなければならないことで。


(……お目にかかることはなさそう、か)


こんなことなら前女王のあの方のグリモワールを見させて貰えばよかった。
…いや、一蹴されるか。


「…ユリウス様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい、なんでしょうか」
「私の魔法のことを、どう思いますか?」


グリモワールから目を離し、視線を**様に向けた。
真っ直ぐに私を見つめるその瞳からは並大抵の覚悟ではないことが容易に窺える。

はてさて、どう言おうか。
今まで魔法を嫌うかのように一切を拒絶してきたこの方の覚悟を考えれば、簡単な言葉で返すのはきっと間違いだ。18年間、魔法から遠ざかってきた**様が、自身の魔法に興味を持って大きな一歩を踏み出そうとしている。

仮にもこの方は次期国王となる。ずっとこのままではダメだと皆がわかっていたことなのに、実際に伝えるとなるとこうも悩んでしまうのがひどくおかしい。


「…、どう、とは?」
「人を操る力のことです」


この覚悟を決めた瞳が眩しい。きっとこれは、誤魔化しても追及されるだろう。


「…ポイゾットの言うように、あると思いますよ。**様がおっしゃる『人の忠誠心を操る』魔法が」
「…………はい」
「しかしそれは国民すべてに作用しているとは思いません」
「……その根拠は?」
「アスタ君がいるでしょう。彼があの剣を持っている限り、たとえ**様の魔法でも無効ですからね」


少なくともアスタ君は**様に負の感情は抱いていない。それに私も過去に彼の剣に触れたが、何かが変わったわけではなかった。賭ける可能性はそこしかなかった。


「……なるほど、」
「今、では他の者は?と考えましたね」
「…心を読まないでください」
「**様はわかりやすいですから」


ゆらゆらゆら。
強くいようと思うのに戸惑いが隠せていない。そんな様子が手を取るようにわかった。不安な感情が垂れ流れているのもあるが、顔を見ればすぐにわかってしまう。

年齢ゆえか、可愛らしいと思ってしまうのは仕方がないことだ。悩める若者はいつでも可愛らしい。
あぁ、こんなことを思うなんて本当に随分歳をとったな、と口角が上がった。悩める子羊にどう答えれば納得するのだろうか。


「あなたが本気を出せば、どんな者でもコントロールできるでしょう」
「……随分、悪用するにはもってこいの魔法ですね」
「このことが世間に広まればそうしようとする者も現れるでしょうね」


まぁ実際、この方がそんな魔法の使い方をするとは思えないが、まだまだ10代と酷く若い姫さまのことだ。純粋な心をうまいように誑かす者が現れるのも時間の問題といえる。今は我々魔法騎士団が守っていると言えど、今回のようなことが今後二度と起きないとは言い切れない。
もし万が一、この方が敵の手に染まれば我々の存在も危うくなる。大きすぎる魔力と強力な魔法。それを手に入れたいと思うのはどの国でも組織でも同じだろう。


「……いつまでもお姫様はやっていられませんね」
「? **様?」
「この魔法をコントロールできるようにすべきかは、また今度考えます。それよりもするべきことがわかりました」


カタ、と椅子が音を鳴らして、**様が立ち上がった。凛と微笑む姿は王妃にそっくりで、それでいて美しく、どこかあどけなかった。


「ユリウス様」


もし私があと20歳若ければ、きっとこの方に忠誠心以外の心を寄せていたかもしれない。そう思わされる美しさだった。


「私に魔法を教えてください」


似たような言葉を、前女王もその当時の魔法帝に言っていたのを、頭の片隅で思い出した。もっとも、彼の方はもっと派手な言い方ではあったが。


「守られるだけはもううんざりです。私は、自分の身は自分で守れる強さが欲しい。自分の足で逃げる術も欲しいです。」


前に**様は、こと戦闘において自分がいることが何よりも足枷だと言っていた。**様を守るために魔法騎士団は攻撃に集中ができなくなる、そういう考えなのだろう。当たり前だ、**様を守ることも我々の任務なのだから。でもこの方はそれで良しとしない。自分が逃げることができたなら、魔法騎士団は攻撃に集中できるし、**様以外を守ることもできる。どうしたって**様の存在は、言いたくはないが国王と同様に真っ先に守らなければならないから。

命に優劣をつけるわけではない。それでも順番というのが存在してしまう。この国の象徴を失ってはダメなのだ。人を守ることは、そう簡単ではない。**様はそのことをよく知っているし、そのたびに心を傷つけている。


「このままではダメなんです。何もしないままでは、この先もっと状況が悪化するかもしれない。」


若くて、眩しい。変わろうとしている若者がこんなに浅ましくて眩しいなんて。素直に大人に守られていればいいのに。半端な強さは逆に危険をもたらすことを知らない純粋さが危なっかしくて仕方ない。
けれど。


「私にだって、国民を守る義務があります。」


その純粋さが**様らしい。いい意味でも悪い意味でも信じようとする。疑いたくないという矛盾の気持ちを抱える人間らしい**様は本当に守りたくなる王女様だ。


「だって私は、王女だから」


次期国王としてを考えるにはまだ青い。それでも考えようとしないことはできない。あの己のことしか考えていない国王とは真逆だ。なぜあの国王からこんな子が生まれたのだろうか。はたはた疑問だ。


「……だめ、ですかね……?」
「……あなたがしたいと思ったことに、私たちがNOと言えるとでも?」
「……! なら、」
「わかりました。魔法をお教えしましょう。」
「っありがとうございます!ユリウス様!」
「他の者にも伝えておきます。私一人では手が回らないでしょうから」
「はいっ!」
「ただし」


ピ、と一本指を立てた。そうすれば親猫に従う子猫のようにピタリと動きを止めて姿勢を正す**様。まったく、かわいいったりゃありゃしない。


「無理は禁物です。あなたは前女王ににて危なっかしい上に自分を追い込みすぎて無理をする。体を壊しては元も子もないですから」
「はい!もちろんです!」


この返事の信憑性のないことよ。でもまぁひとまずこれで良しとする。ウズウズと嬉しそうに口角を上げる**様。本当についこの間まで魔法を嫌っていたとは思えない。
これが、いい方向に行くのか、はたまた悪い方向に行くのか。神と言うものが存在するのならば一度聞いてみたいものだ。


「ならばまずは服の調達からですね!」
「……そちらが目的とは言わないでくださいね」


さよならわたしのシンデレラ



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