ズキズキガンガン。
オノマトペを用いて言うならばこれが正しい。いつも通り睡眠時間は片手で数えて余るほど、例に漏れず硬い廊下の上の寝袋で睡眠の質はいくら慣れていたとしても最悪だ。そんな日が数日続けば体に疲労は蓄積するわけで。
(眠ィな…)
そろそろ限界が近づく。たまにはうちに帰って眠前薬を飲んで無理矢理寝るか。とりあえず今はあと50分以上ある昼休みをどう有効に活用するかの方が大事だ。
ふあぁ、と寝袋片手に宿直室へ向かう。あそこなら昼休みの間ほとんど人は入ってこないし、まだ眠ることはできるだろう。
「っうわ!相澤先生、隈すごいですね!?」
そんなこんなで廊下を歩いていたら、最近教師の間で話題のマイナスイオン個性、****がいた。「新種の隈モンですか?」とよくわからないボケを入れつつもドン引きするような声に、今から寝るとだけ答えた。あー、やっぱり**がいると気持ちが安らぐ。眠い。
「先生って…すごく忙しいんですね…」
「まぁな。今から寝てくるからじゃあな」
ひらりと手を振ってその場を立ち去る。
そう言えば、アイツのマイナスイオンで生徒が爆睡、教師も眠気と戦うことになってしまい授業が成り立たないと誰かが言っていたような。
「あの、相澤先生、」「なぁ、**」
パッと振り返った俺と向かい合わせになる**。「何の用だ?」と問いかければ、偶然にも俺が言おうとしていたことを言ってのけた。
「あの、ご迷惑でなければいいんですが、」
「どうした」
「その、…わたしの個性使えば、睡眠の質が上がると思うんですが、どうでしょうか?」
そんな申し出願ったり叶ったりだ。まさに俺も言おうとしていたことでわずかに口角が上がった。
「…………いいのか?」
以前、職員室に来た**がミッドナイトさんのためにと濃度高めのマイナスイオンを振りまいた後、ぐっすり眠り出した教員。もちろんその中には俺もいたが、あの睡眠のおかげで午後からの集中は格段に上がった。家帰って寝るより睡眠の質が高かったのは考えもんだが。
「お昼、特に用事もないですし、流石にその隈は…放って置けないと言いますか…」
「……すまん、助かる」
「いえ、お安いご用です!あ、先生のご用事はなんで、っわわわ、!」
「それを頼もうとしてたんだ。ありがとな」
こてんと小首を傾げる**の頭をわさわさ撫でた。途端に感じる強いマイナスイオンにまた睡魔は襲ってきた。迅速に宿直室へ向かおう。眠すぎる。
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「あ〜〜〜……やべぇな、マジでやべぇ……」
この心地よさは犯罪級だ。ミッドナイトさんの個性よりもタチが悪い。思わず語彙力が底をついたが気にしてられない。ソファーの上の俺が横たわる頭もとに座ってかなりの濃度のマイナスイオンを放出する**を思わず抱きしめたくなる。
犯罪になるから死んでもしないが。
「何時に起きます?」
「……授業、10分前だな…」
ウトウトとすぐに瞼が落ちていく。永遠に寝てられるほど気持ちが良いこの空間を独り占めできる優越感に浸った。自分の呼吸が深くなっていくのがわかった。生徒の前で爆睡とは教師としてどうかと思うが、ウチは自由が校風だから良しとしよう。
「先生、頭撫でてても寝れるタイプですか?」
「…別に、そこまでしなくて、いいぞ…」
「まぁまぁ、そう言わずに」
そう言ってお世辞にも纏まってない髪の毛をふわふわと撫で始めた**。触れることによって増強するマイナスイオンに抵抗できず、心地よさに浸りながらとうとう意識を深く沈めた。
「先生、おやすみなさい」
そんな声はもう奥深くの意識の底でしか聞こえなかった。
:
:
ぱちり。
浮上する意識に身を任せて目を開ければ、弾力のある柔らかな枕が目に飛び込ん…………なんだこれは。うちの制服が視界にデカデカと映ってんじゃねぇか。なんだこれ、……は、………………。
(………………っ!?!?!?)
体をピシリと固まらせ、恐る恐る視線を天井の方に持っていけば、真正面には生徒の体、もとい**がいた。そしてこの弾力のある柔らかな枕は紛れも無い**の太ももである。しかもスカートが上に捲れているため肌が直接触れている。誤魔化さずに言えば生足だ。
(っ、教育委員会…ッ)
やべぇな、これはやべぇ。職を失う意味でのやべぇやつだと思ってそろりと上体を起こした。**はスヤスヤ眠っている。はぁ、と頭を抱えて状況の整理だ。
寝て起きたら生徒の生足で膝枕していた。
(………………やべぇ……、)
心地よさはぶっ飛んで焦りしか出てこない。
マジかよ、とため息をついた。どうやって**に説明しようか。言わずに黙っておくなんてのは人としてどうかと思う。けど本当に何も覚えてない。寝ながらやってしまった行為だ、気をつけるじゃすまないぞ。
とりあえず捲り上がっているスカートをどうにかしよう。話はそれからだ。俺が寝転んでも肌しか当たらないくらいだから際どいも際どいほど捲られている。うちのクラスの約1名には何がなんでも見せられない光景だ。
(上着…は持ってねぇし、ブランケット……は、洗濯中……)
タオルも何もかも洗濯中のこの宿直室には何もなかった。あるとすれば、俺が持ち込んだ寝袋くらいで。
(……まだましか)
そっとそれを太ももにかけてひとまず任務完了。
時間は起きようと思っていた時間の2分前。まぁいい時間に起きただろう。褒められるのはそこだけだが。
さて、どうやって**を起こそうか。これ以上触れるのはまずい。
「……**、おい、起きろ**」
「スー……、スー……、」
「**、もう授業始まるぞ」
「んー、まって、……しおこ、んぶ…、スー…、」
どんな夢だ。俺は塩昆布じゃない。
それにしても声じゃ起きない。そう言えば授業でもうたた寝して怒られていると言われるほどのやつだ、寝るのは好きなんだろう。
教師とは言え男の前でこうも無防備に寝るのもどうかと思うが。
それにしても困った。どう起こそうか。肩をガッとすればセクハラにはならないか?その作戦でいくか。いやでも肩とは言え触るのは、
ピピピ、ピピピ、ピピピ、ピピ…
「ハムカツっ!……ん…あれ、あいざわせんせ、おきてたんですか…?」
「……目覚ましでは起きるんだな」
塩昆布からハムカツへの変化は何があったのかは知らないが、今度授業で目覚まし時計をセットすることをアドバイスしておこう。
そうだ、そうこう言ってられない。当初の目的を達成しなければならない。任務続行だ。
「……**、すまない、」
「え?どうかしたんですか?」
「……その………起きたらお前の足の上に頭を乗せていて、な……、」
「あ、寝惚けて腰に抱きつきに来たときですね」
「ッは!?腰に抱きつき…ってそこまでしたのか!?」
嘘だろ、嘘だと言ってくれ。
膝枕よりもやばいやつじゃねぇか、何してるんだ俺は。シャレにならんぞこんなの。犯罪だ。
「っすまない、何も覚えてないんだ、」
飲み会の後に起きたらホテルだった時の言い訳と同じだが内容も大差ない。頭を深々と下げてそう言えば焦ったように**が「かっ、かかか顔をあげてください!」と言った。
「寝惚けてたんだからしょうがないですよっ」
「不快だったろ、本当に申し訳ない」
「いえ、抱きつかれるのは慣れてますし、好きですから!」
俺の両肩を持って頭を下げさせまいと奮闘する姿にさらに申し訳なさが積もる。**のことだ、突き飛ばすなんて選択肢はハナからなかったんだろう。
「先生お疲れでしたし、ちょっと隈が薄くなってる気がしますし、私の個性のおかげでぐっすり休めたのならそれが一番うれしいです」
そう言ってフワリと笑うと途端にまた高い濃度のマイナスイオンが身を包んだ。う、と言葉が詰まり、半強制的に心を休めさせられる。
本当にタチの悪い個性だ。無理やり落ちつかされてしまうなんて使い方によればヒーロー向きだぞ。
「……すまない、今回は助かった」
「ひひっ、その言葉だけで十分です!」
「今度礼がしたい。何が欲しい」
「そんな、私も寝てただけですから良いですよ」
「アイスとプリンどっちがいい」
「超濃厚なプリンで!!」
遠慮していたのにわざわざ挙手をしてまで即答する姿にぷっと笑いが漏れた。目を輝かせてプリンを待ち遠しくする様子は小学生と変わらない。
さてそろそろ、と立ち上がったが、思わずうお、と声が出た。
「どうしました?」
「……めちゃくちゃ体が軽い」
「おぉ、しっかり休めたようで良かったです!」
「これはクセになるな」
「またいつでも呼んでください、睡眠にもちゃんと影響するってわかったら将来の幅も広がりますし!」
「……意外に真面目だな」
「意外って何ですか!?!?」
「授業中寝てると聞いてたからな」
「…………い、今善処している途中です、」
宿直室を同時に出れば授業まで5分足らず。遅れるなよ、と俺にも言えることを最後に告げて頭を撫でれば「はーい」と呑気な声が返ってきた。
「じゃあ相澤先生、またのご利用をお待ちしてます!」
「あぁ。じゃあな」
「はい!さよーならー!」
パタパタと廊下を走っていく後ろ姿を見てため息一つ。あれだけ心地よかったのが嘘みたいに何ともなくなる。クセになるとは言ったがもう麻薬と変わらないだろう、あれは。
(……次はいつ頼むか、)
身も心も万全になったご機嫌な俺を見て、A組生徒が震え上がったのは言うまでもない。
疲労全般抹消いたします!
(相澤先生、ネコみたいだったな〜)
「**、昼どこ行ってたんだ?」
「んー?んー…ネコとお昼寝してた!」