(きっつ…)
昨日クソ親父が喋りかけてきたから腹立ってトレーニングを夜中までやってたお陰で寝不足。しかも今日は演習があった上に相手があの緑谷(と常闇と透明のやつ)だったから一切手を抜けなかった。何かとオールマイトに気に入られてるあいつに目をつけてから勝手に張り合ってる自分が酷く馬鹿らしく思えた、そんな放課後。
家にも帰りたくないし、かと言ってこの疲労じゃロクなトレーニングもできない。どっかで適当に時間を潰すか、と思ってカバンを持ち直して廊下を歩いていたその時。
「ふぎゃあ…っ!?」
ガシャン…ッ!!
情けない叫び声とともに聞こえてきた音に目を向けた。案の定曇りガラスに阻まれたが、『化学研究室』と表記されたそこは授業で入ったこともない教室だった。
無視しようか、疲れからそう一瞬思ったが仮にもヒーロー志望。誰だよ、と苛立ちつつも重い体に鞭打って部屋のドアを一気にスライドすれば、開けっ放しの窓が心地よすぎるほどの風を運んできた。
「すっ、すすすすすいません!!物を落としただけなので…!!」
「…大丈夫か」
「だっ、大丈夫です!」
空気がもったいないと思ってドアを閉め、心地よさに誘われるがままに近寄れば、そのなんとも言えない感覚に体の力がふっと抜けた。そこにはちっこい女子が変な機械に囲まれて肘をついて座り込んでいた。制服が新しそうだったから多分一年。顔は見た事なくて特別目立つようなタイプでもなさそうだ。それでもなんか、すげぇ気持ちいい。
「立てるか」
「は、はい!!」
そう手を差し伸べれば小さなそれが俺のをつかんだ。その瞬間、体が驚くくらい軽くなって、なんか、やばい。なんとも言えない心地よさに言葉が出てこない。
立ち上がった女は俺が手を離さないことに疑問を感じているようで、どもりながら顔を覗き込んできた。
「あ、あああのっ、えっと、轟くん…?」
「…俺のこと知ってんのか?」
「あ、その、有名だから、きみ。」
「お前、名前は?」
「わ、たし、C組の、****、と申します…」
「**、**…」
C組、普通科か。通りで知らないわけだ。自分のクラスすら覚えてないのに他のクラスなんて覚えているわけがない。興味もないが。未だ手を掴んで離さない俺に困ったように笑う**。でもなぜだかこの手を離したくなかった。いや、むしろ…
「なぁ」
「は、はい?」
「抱きついていいか?」
「え」
何を聞いているんだと自分に聞きたい。普通会ってすぐの女子にかける言葉じゃない。いや、わかってる、わかってるんだが、なんか、これはやばい。
「…………いや、わりぃ。なんでもねぇ、忘れてくれ」
「あー、はは…えっと、…とりあえず、一旦離れましょうか」
よくよく考えてみろ、俺は不審者か。やべぇのはわかる。気持ちよすぎて家に持って帰りたい気持ちも十二分にある。それでも会っていきなりはミスった。本音がダダ漏れだった。
するりと離された手。それとともに心地よさが少し減った。残念な気持ちを隠せないまま落としたよくわからない機械を拾う**を手伝った。
「ありがとう、轟くん」
「あぁ。…これ、なんの機械だ?」
「これは肌年齢を調べる機械で、成分がどう影響してるか唾液から調べてたの」
「肌年齢…?」
「うん、私の個性が肌にどう影響してるか調べてるところなんだ」
「お前、なんの個性だ?」
「マイナスイオンだよ」
「あぁ、」
なるほど、と驚くほど腑に落ちた。だからあの心地よさか。引きずり込まれるほどの癒し効果はもはや中毒性があるんじゃないかと思うほど。
「ミッドナイト先生とか、リカバリーガール先生に実験のお手伝いしてもらってるから、それの検証してたの」
「どんな実験なんだ?」
「一日5分私に触れた時のお肌の変化を見てるの。マイナスイオンってお肌をぷるぷるにする効果があるから、どのくらい効果あるのかなーって」
「実験なのに二人だけなんだな」
「ははは…被験者募集中なんだけどね、」
なんでも、まだ効果がどれくらいかわからない状況で10代の肌に敏感な女子を巻き込むわけにはいかないと思ってるらしく、被験者を決めあぐねているらしい。
「ところで轟くん、最近寝れてるの?」
「なんだ、藪から棒に」
「うっすらだけどクマできてるよ。やっぱヒーロー科は勉強も訓練も大変そうだもんね」
「いや、これは…」
意地になって夜更かしした、なんて言う気にはなれず、そのまま言葉を濁して視線を逸らした。しかし**はそれに追求せず、黙ってよくわからない器具を弄っていた。
時々変な音が鳴って難しい顔をしたり笑ったり、何やってるか全然わからねぇけど**の隣はやっぱり落ち着けるから、その場にあった椅子に座って俺も黙ってそれを眺めた。
「うーん、やっぱ二例だけじゃ効果ありとは言えないなぁ〜」
「被験者、誰でもいいのか?」
「うん、私と毎日五分ハグしてくれる人なら、あとお肌をあまり気にしてない人、かな」
「……男でもいいのか?」
「うん、もちろ、……ん?」
こいつが言ったんだ、誰でもいいって。男でも、いいって。
立ってる横から細っこい体に腕を回してスゥ…と息を吸い込めば、少し花っぽい匂いがして、あとは体の隅々の力がほぐされるようだった。まじでこれはやべぇ。それ以外の言葉が出てこない。昨日と今日のストレスが削ぎ落とされてどうでもよくなる。
「…お前、やべぇな…」
「っだ、きつくなら、先に、言って、ください…」
「さっき言った」
「きょ、許可だしてない、」
「気にすんな」
「いや、え、あの、轟くん、彼女さんに怒られちゃうから、」
「いねぇ」
「待って、あの、待って、心の準備を、」
「あと四分」
こいつは一家に一人いる。いや人間一人に1**いる。たまにCMでやってる人をダメにするクッションとかあったが絶対あんなのより**の方が人をダメにする。女子なんて面倒で触れるのさえ嫌な俺が自ら抱きつくのは人生初だった。倫理的にどうかとは思うがこれは別枠だ。この癒し効果は伊達じゃない。
「……轟くんって、末っ子でしょ…」
「すげぇ。よくわかったな」
「わかるよ、すぐ。…もう、緊張が一周回って落ち着いちゃったよ…」
「それはよかったな」
「……被験者、なってくれるの、?」
「あぁ。毎日5分な」
「…彼女さんできたら、被験者終了だよ?」
「なんでだ」
「そ、そりゃあ自分の彼氏が得体も知れない女の子に毎日ハグしてるとかあり得ないでしょ…!」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ!」
「じゃあ彼女作らねぇ」
「え」
「もともと面倒くせぇしな」
つーかお前と付き合った方が早くねぇか?なんて一瞬思ったが口が裂けても言えなかった。断られたらきっと俺は死んじまう。こじつけでも毎日五分の癒しを確保できたんだ。これ以上望むものは何もねぇ。マイナスイオンってすげぇな、クソ親父に対するイライラも気づけば跡形もなく消え去っていた。
「……轟くんって、なんか、こう、ダイナミックな性格してるね、」
「そうか?」
「あ、もう五分経つよ」
「……あと五分」
「えぇ…」
「、だめか?」
腕の力を強くして下から顔を覗き込めば「う、」と困ったように眉を下げて顔を赤らめる**。なんだ、こいつよくよく見れば案外悪くない顔してるんだな。
「…轟くん、疲れてるもんね」
「あぁ。すげぇ疲れてる」
「じゃあ、今日はサービスするね」
「っ、うお、」
**の手が俺の頭に触れたかと思うとさっきよりも心地よさが膨れ上がった。マイナスイオンと共にゆっくり頭を撫でられると不意に幼少期を思い出した。
「……なぁ、」
「ん?どうかしたの?」
「……焦凍って、呼んでくれねぇか」
「っえ、」
顔を服に埋めて抱き締める力を強くした。何頼んでんだ、と思ったが出た言葉は引っ込まない。
「、焦凍、…くん、」
「くんはいらねぇ」
「あの、いきなりどうしたの、」
「頼む」
俺はこいつに何を望んでいるんだ。ただ手つきが母親と同じだった。それだけだったのに。
ふぅ、と息をついた**が止めていた手をゆるゆる動かして髪の毛をくすぐった。
「…焦凍」
「、もう一回」
「焦凍」
「…おう、」
「焦凍」
『ふふ、…焦凍』
俺は一体、何を期待してたのか。変に泣きそうになって、胸が締め付けられた。心臓が抉られるようで苦しい。母親とは全然違う声が笑った。
「私は、ここにいるよ」
あぁ、ほんとうに、もう。
「……わりぃ、ありがとな」
「いいえ、どういたしまして」
腕を解放させて恐る恐る顔を見れば、ふ、と目を細める表情はやっぱり母親とは全然違うのに、こうも守りたくなるのはなぜだろうか。こいつには、ずっと笑っていてほしい。
記憶の中の母親が笑った気がした。
「明日からよろしくな」
「うん、こちらこそ」
とどろきまどろむ(い、イケメンさんの連絡先をゲットしてしまった…今日死ぬのかな…?)