寒い。真冬の極寒の海に放り出されているような寒さがあった。
太ももから下の感覚が全くなくて、体を蝕む激痛も次第に馴染んでいくように思えた。


「やぎ、あのね、足、動かないの、」


なんでと問う私に、絶望したような表情を崩さない八木。
なんでか理由はもうわかっている。ただ単純に、限界なんだ。


「八木、」

「…宝石さん、ごめん、僕がもっと速く、」

「たすけてくれて、ありがと」


あのクソヒーロー、やっぱり最初から変な目をしていると思った。まさか希少な宝石のコレクターだったとは、なんとも運のないことをした。
八木が来てくれなければ、もっと早くに結晶化しきっていただろう。それに、あのクソヒーローに一矢報いてくれた八木には本当に感謝しかない。
だから、ちゃんとこれは本心だった。


「っ、ありがとうって、なんだよ…ッ!!」


なのに八木は、感謝される側としては全く反対の反応を示した。何かに怒っているようで、苦しそうで、今にも壊れてしまいそうな脆さがあった。
普段の、八木らしくないな、なんて思いながら、彼の叫びを見つめていた。


「僕は…ッ、僕は何一つとして、君を助けることができてないじゃないか、ッ!!」


あぁ、やっぱり八木はヒーローだ。
助けた人が生きてくれないと、助けたって思えないんだろうな。でも心が助けられるとか、きっとそういうのもあると思う。それが、今の私だから。

ポタポタと床を雫が濡らしていた。もったいない、そう思って手を伸ばした。
視界に入った指先は、いつもの皮膚の色をしていなかった。


「泣かない、で…」

「宝石さんッ…、」


手が届かない。涙を拭ってあげたいのに、なにもできない。
クラスで一番親友だから、一番信頼してるから、だから親友の涙は、私が拭わないとダメだと思ったから。
なのに、届かない。


「わたし、たぶん、もう起きない、よ…」

「宝石さん、なんで君が…ッ」


結晶化が、下半身を支配している。もういつ体を支配されてもおかしくない状況だ。つまり、死ぬことも生きることもできなくて、ただの宝石になってしまう瞬間が、そこまで来ているということだった。
もうすぐ、私が私で無くなる。


「や、ぎ…」

「宝石さ、」

「やっぱ、八木は、ヒーロー…だね…」


だから、伝えたいことは伝えないと。もう今しかないから。後にも先にも、私にはもうないから。
頭の中によぎるのは、やたら熱くて、大きくて、超えたいと思った、あの後ろ姿。


「や…ぎ、…」

「宝石さんっ、…僕は、僕は君が…ッ」

「轟に、言って欲しいことがあるの…」


本当は、直接言ってやりたかった。あいつの驚く顔を見て、笑ってやるつもりだった。でも、もうタイムリミットのようだ。
こんなことなら、もっと早くに言っとけばよかった。まぁあいつは私のことをそういう対象で見ていないだろうから、振られるのはわかりきっているけど。

やらなかったことを今更後悔する。もっともっと、やりたかったことがあった。
ここ卒業して、でもたまにみんなで集まって、昔話をして、たまに共闘したり、隣に立って、一緒に成長したかった。

あわよくば、あいつの隣で。


「轟くん、に…?」

「……ばーか、」


これ以上にあいつに似合う言葉はない。
馬鹿みたいに真面目で、負けず嫌いで、真っ直ぐすぎるあの馬鹿。
そんな馬鹿だから、目が離せなかった。


『お前に背中は任せられん』

『っはぁ!?何それ!役立たずってこと!?』

『…俺の隣で、戦え。俺の視界から外れるな。お前は俺が守る。お前も俺を守れ』


私も、轟を守りたかったんだよ、あの時。
今まで、個性のせいで散々守る守るって言われて来た。されるばっかで、私はずっと見てただけ。
なのに、あいつは違った。あのプライドの高い轟が、あんなことを言うなんて驚いたけど、でも心地よかった。
自分のためにヒーローになるつもりだったのに、誰かのためにヒーローになりたいって、本気で思えたから。


「それと、…ね、…」


ライバルだった。憎たらしいし、空気読めないし、不器用で、優しくするのがド下手だった。
でも、どうしても、惹かれてしまった。そのことを伝えたら、あいつは驚いただろうか。


「……すき、」


願わくば、最期に顔が見たかった。



:
:


ぱち、と目が覚めた。なんかよくわからないけど、ずいぶん眠っていた気がする。
勢いよく起き上がってみれば、そこはあの保健室で、部屋の中には知らない男性とここの制服を着た生徒がいた。


「……誰?」

「え、いや、あの………」


えぇぇぇぇぇえええ!?!?!?

うるさいなぁ、と布団を剥いで、ベッドの側に立ちながら耳を塞いだ。いきなり叫んだ生徒たちは目をひん剥いて狼狽している。なんなんだ、この子たちは。


「えっ、いや、あのっ、さっきまで宝石で、っ」

「目が…覚めたのかい…?」

「え、なに?あなたたち、私のこと知ってるの?」


ひとりのおばあさんが、恐る恐ると言うようにこちらに近づいてきた。なぜか、この人を知っているような気がする。誰かはわからないけど、なんとなく、知りあいに似ている。


「ここ、雄英の保健室ですよね?関係者か何かですか?」


パッと見た感じ、先生っぽかったけどこんな先生は見たことがない。生徒も生徒でみんな初めて見る。先輩、にしては幼い顔だけど、B組にもこんな人たちはいなかった。


「……イレイザー、オールマイトに連絡してくれるかい」

「…わかりました」

「オールマイト…八木のこと?おばあさん、八木のこと知ってるの?」


八木?と目を点にする生徒。そしたらおばあさんは、ふぅ、と一つ息を吐いた。
なんだか、心臓がぞわぞわした。


「信じられないかもしれないがね、よく聞くんだよ、宝石」

「…なんで、私の苗字を…」

「思い出せないかい?私のことを」

「え、?」


銀色の髪をお団子にまとめ、そこに注射器を指した髪型。
このヘアスタイルの人を、私は知っている。知っているけど、記憶の中の人とは随分違う。だから、信じたくなかった。


「……リカバリー、ガール……?」

「…三十年ぶりだね、宝石」


三十年ぶり…?

思わず目の前が真っ白になって、身体中の力が抜けた。カク、と膝が折れるのと同時に、ひとりの男の子があぶねぇ、と体を支えてくれ、転倒を免れる。

赤と白の変わった髪型の男の子だった。ひどく顔が整っていて、一瞬目が惹かれる。


「…どういうことですか」

「…その話はオールマイトが来てからするよ。ほらあんたたち、見学は中止だよ。教室に戻っといで」

「は、はいっ。行こう、みんな」


委員長みたいな子が先頭を切って保健室を出て行った。それに続いてぞろぞろと出て行く生徒たち。
私を支えてくれた紅白くんに一言お礼を告げると、あぁ、と短い返事が返って来た。その不器用な感じに、変な懐かしさを覚える。

暖かい左手が離れた瞬間、緑色の髪の男の子が、迷いなくある名前を告げた。


「行こう、『轟くん』」


その瞬間、体に電撃が走ったように思考全てが固まった。え、と驚く間も無く、反射的に『轟くん』と呼ばれた男の子の腕を掴んだ。


「っ、……なんだ…?」

「待って、君の名前、轟って言うの…?」

「あぁ…それがどうした」


もしかしたらこの男の子は、アイツの親戚かなにかかもしれない。それなら、八木以外にもこの場にいて欲しいと思った。
今もう何が何だかわからなくて、頭ん中ぐちゃぐちゃだから、せめて信頼してる二人が側にいてくれたら安心できると思って。


「あのさ、轟炎司って人、親戚とか知り合いにいない?いたらこの場に呼んで欲しいんだけど、」


安心材料にするつもりだった。そんなことで呼び出したら、何してくれるんだと怒りそうだと思ったけど、私が本気で頼ったら絶対に応えてくれる自信があった。
轟は、そういう男だ。

でも紅白くんが次に発言した言葉は、私を容易にどん底へと引き摺り下ろした。


「…んで俺が親父なんか呼ばないといけねェんだ」

「…え?」


パッと振りほどかれた腕。その腕を追いかけるほど、思考はついていけていなかった。


「おや、じ…?」

「…宝石、後でゆっくり話すから、今はベッドに座ってな」


リカバリーガールにされるがまま、私はベッドに座らされた。さっきから散々働いていない頭が考えることを放棄したそうにウトウトと眠気が襲って来た。
パタン、とドアが閉まり、部屋の中には私とリカバリーガールだけになる。

静まり返る部屋の中で、ドタドタと近づいてくるうるさい足音がやけに響いた。


「っ、宝石さん…!!!」


勢いよく開かれた扉。そこから入って来たのは、骸骨みたいなヒョロヒョロ男と、さっきオールマイトを呼びに行ったとされるモジャモジャ男。

誰、この人たち。
思わず出たのは笑いだった。そんな私に細身の長身男が心配そうにてんやわんやと焦るその行動は、よく見た光景と全く一致していた。


「…っはは、…八木、なんだね、」


随分とおじさんになって、ガリガリになっちゃったもんだ。


「宝石さん……」


ゆっくりと近づいて来ては、弱々しく私を抱きしめる体。大きな手のひらに包み込まれ、少しばかり安心した。
それと同時に、目から雫が溢れ出して、心臓がぎゅうぎゅうと締め付けられた。


「……眠ってたんだね、私、」

「…あぁ、三十年間も眠り続けていたんだ、宝石さんは、」


とめどなく流れ出す涙。これはショックなのかよくわからない。ただ受け入れることに精一杯で、八木の服で涙を拭ってやった。


「…ねぇ、八木、」

「どうしたんだい?宝石さん」

「…本当のこと、言ってね」


轟、結婚したの?

震えた声で、下手くそな笑顔だと思う。でも笑顔を作ってないと、心臓が壊れてしまいそうだった。

八木が、そのことに何も言わなかった。嘘はつかない男だ、これが何を意味するのかは容易に想像できた。


「…っ、そっ、か…」


そりゃあ、三十年も経ってたら、結婚くらい、してるか。
ボロボロと壊れた蛇口みたいに涙が止まらなくなる。八木が黙って私を強く抱きしめてくれた。こんなことで失恋がわかって、情けない人生だな、と悲観した。


「…っふ、ぅ…ヒック…、ッ」

「…宝石さん…、」


私以外の時間が流れていた。私は、ずっと止まったままだった。
一人だけが世界に取り残されたような孤独感に目眩がする。八木が優しく背中をさすってくれるから、また余計に涙が止まらなくなった。


宝石少女:オリジン



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