「*ちゃん、風邪?」
「んー、そうかも。季節の変わり目だしね」
「ウチの部屋、生姜湯あるけど取りに来る?」
「ほんと?お言葉に甘えよっかなぁ」
最近、あの女の咳が目立つようになった。特に演習後は酷い。最後に演習場を出ては、人目につかないところで激しく咳き込む姿を何度目にしたことか。
そして俺の姿を見ると、眉を下げて笑うのが日常だった。
俺だけが知る、あいつの病気。限界が近づいているのが目に見えてわかって、人知れず歯を噛み締めた。
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「あ、爆豪くん」
「…どこ行くんだ」
休日の朝。特に何もすることがないからトレーニングでもしようかと思っていたところに、マスクをつけたあいつが外出しようとしていた。
「病院。今日は検査日だから」
「1人で行くんか」
「いつものことだしね。……一緒に来る?」
突然の誘いに、心臓が嫌な音を立てた。ぐ、と押しつぶされるような苦しさを感じながら、わずかに首を縦に振れば、じゃあ準備できるまで待っとくね、と今から遊びに行くようなテンションで言われた。
自然と拳に力が入る。無駄に緊張しているのか、そんな事実に腹が立った。
着替えて来る、と早足で部屋に戻れば、一枚の写真が目に入る。文化祭であいつを連れ回している時に隠し撮られた写真だった。
側から見ればただの恋人同士にしか見えない写真。何人に茶化されたかわからないが、嫌な気がしなかったのを確かに覚えている。
非現実から、現実に戻るような嫌悪感に苛まれながら必要最低限の荷物を持ってまた外に出た。
「あれ、着替えなかったんだ」
「どんな服でもいいだろ」
「それもそうだね。じゃ、行こっか」
前を歩く後ろ姿についていきながらダラダラと道を進んだ。秋風が心地いい季節のはずなのに、どうにも体が冷えて仕方がない。
「今日は何か予定あるのー?」
「あったら来ねぇよ」
「それもそっか」
待ち合い混むかなぁ〜、とさも遊びに行くようなトーンで笑う*に、嫌な意味で調子を狂わされる。まるで元気だと錯覚させられる。
「あ、帰りさ、コンビニでなんか買って、ここの公園寄ろうね、ルーティンってやつなんだ」
「…変なルーティンだな」
「ふふ、いーでしょ。さーて、今日は何買おっかな〜」
「デブ」
「うるさいな、標準体重は下回ってるよ」
1人で、病院に行って、1人で、公園に来て、こいつは何を考えていたんだろうか。病状知らされて、毎回毎回何を感じていたんだろうか。
こいつの考えてることは、なにもわからない。
「あ、空いてる。ラッキー」
「…俺はどこで待ってればいい」
「検査ついて来る?どうせ暇だろうし」
「アホか服脱いだりするだろ」
「あ、そっか。じゃあそこの椅子で待ってて。検査終わったら呼ぶね」
「俺に命令すんな」
「はいはい。じゃあ行って来るね〜」
くす、と笑みをこぼしたヤツが、ドアの向こうに消えて行くのを確認してから言われた椅子に座った。朝イチに来たのもあってか、病院は案外空いてて、騒々しさはなかった。
なんでついて来たんだろうか、と寮を出る前の自分に疑問を抱きつつ、あいつの体の現状を知りたいからか、と変な結論が出た。
どんな検査結果が出るのか。考えれば考えるほど悪い方向にしか行かない。 卒業はできるって本人が言ってたからすぐに死ぬことはないだろう。だがこのままヒーローになったとして、あいつはいつまでもつ。半分野郎のサイドキックになるとか言って、何年それができる。
だめだ、変な方向にしか考えがいかない。いや、最悪の想定をしていれば、それ以上はないだろ。
ぐちゃぐちゃといろんな思考が飛び交う。なんであいつのためにこんな頭使わないといけないんだ、と苛立ちが募るばかり。
「爆豪くん」
「…んだよ、もう終わったんか」
「1時間くらいかかったよ?ずっと考え事してたの?」
「…で、結果は」
「今から。ほら、一緒に行こ」
「俺が行っていいんか」
「そのために来たんでしょ?」
俺の手を取って引っ張る女に身を任せた。引かれながら後ろ姿をぼーっと眺めれば、歩くたびに髪の毛がサラサラと舞う。
コイツ、アレンジとかは全くできねぇけどケアだけはちゃんとやってるようで、文化祭で散々弄った時にかなり指通りが良かったのを覚えている。つい不必要に触ってしまうほどには。
「*さん、2番診察室にお入りください」
「はーい。ちょうどよかった、行こ」
診察室ギリギリで手を離され、慣れたように先に中に入る奴について行った。「こちらにおかけください」と看護師に促されるままに椅子に座れば、俺の前の席で*が優しそうな若い医者の前に座っていた。
「今日は彼氏も一緒かい?」
「そうなんですよー。どうしても来たいって言うから」
「確か体育祭で二連覇した爆豪勝己くんだよね?有名な2人が付き合うなんてびっくりだよ」
それじゃあ肺音聞くね、と聴診器を構えた医者に、はーいと呑気な声で返事をした。しかしその後躊躇なく服が上に捲られたから、慌てて俺は視線を下に向けた。
…つーか、彼氏ってサラッと嘘つきやがって。
深呼吸を何回か繰り返した後に半分椅子を回転させて俺と向き合った。背中から聴診されている間、俺と目があっては恥ずかしそうに頬を掻く*。腹の色がやけに白くて、細っこいのが目にこびりついた。
「……終わったよ、*さん」
「はーい」
「検査結果のことなんだけどね、」
その瞬間、声のトーンが一気に落ちた医者。思わずぎゅ、と体を硬くしたが、*は料理を待ってるガキみたいに足をプラプラさせて待っていた。
なんで、何もねぇように振る舞うんだ。
「……薬の量を増やしてみたけど、あまり改善してないどころか、前回よりも悪化している」
「あー、やっぱりそうですか」
「今かなり強い薬を使ってるから、これ以上量は増やせない」
「はい」
「…本当に、手遅れになるよ」
手遅れって、なんだ。
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
手遅れって、一体何がどう遅れるのか。考えたくないのに頭が勝手に働く。
「…爆豪くん、この肺の白い部分がわかる?」
「、あ、はい…」
「普通、肺は透けるから黒く映るんだけど、*さんのは白の部分がかなり大きい。血とか水が溜まっているんだけど、このままじゃかなり危険だ」
「…放っておくと、どうなるんですか」
「、個性でなんとか体内の酸素濃度は保っているみたいだけど、この状態は言わば個性が引き起こしたようなものだ。将来的には肺が機能しなくなる」
それって、どう言うことですか。
思わず聞きそうになった言葉を喉の奥に押し留めた。そんなのがわからないほど馬鹿でもなかった。
「彼氏の君からも言ってあげてくれないかな…?今の日本の技術じゃ到底治すことができないのが現状だ。このまま個性を使い続ければ、一生人工呼吸器に繋がないとダメになってしまう。最悪のことも…考えられる」
そこからは、よく覚えていない。
あまりの衝撃に頭がついてこなくて、気づいたら行きしなに通り過ぎた公園で座っていた。
はい、と渡された微糖コーヒーを無意識に手に取った。それが思ったより冷たくて、手に水滴がつく。
「もう12時か〜。爆豪くんお昼どうする?このままどっかに食べに、」
「お前、雄英やめろ」
「いや」
その言葉の力強さは、コイツとカフェに行った時の否定の言葉と同じ強さだった。あまりにあっさりと返された言葉にカッと頭に血が上る。
「っあんだけ医者に言われてんだぞ!!」
「学校はやめない」
「ざけんな!!ヒーローになる前に死んじまったら意味ねぇだろ!!」
「大丈夫、うまく、」
「やれてねぇから悪化してんだろ!?ぁあ!?」
胸ぐらを掴んで引き寄せた。俺と目を合わせようとせず、どこか遠くを見る*にはらわたが煮えくりかえりそうだった。
「絶対なるの、ヒーローに」
「なんで命かけてまでヒーローになろうとすんだよ…!!」
「…私が殺したヒーローへの、罪滅ぼし」
「は…?」
ぱ、と手が緩む。爪先立ちになっていた*が頭一つ低くなった。
殺した…?と呟けば、またいつものように何気ない笑顔でニコニコ笑いやがった。んだよ、気持ち悪い笑顔しやがって、感情がバラバラになってるようにしか見えねぇじゃねーか。
「……ここから先は、爆豪くんには関係ないよ」
「ッ、テメェ、ここまで巻き込んどいて今さら関係ねぇもクソもねぇだろ」
「誰にだって踏み込まれたくない過去があるよ」
「どう言う意味だ、言え」
「また命令?もう時効だよ〜」
「言わなかったら学校にバラす」
「……脅し、ね。まぁ弱み握られてるの私だしな〜」
その瞬間、*の目が今までにないくらい冷たいものになった。ゾク、と背筋が震える。小さく口を開いた*が、発した言葉も、ひどく冷たかった。
「ヒーロー、ウィンドって知ってる?」
「…?あぁ、風の個性の…もう殉職したヒーローだろ」
「その人、私の近所のお兄さんで、初恋の人なの」
「……!まさか、」
「ウィンドが死んだ銀行立てこもり事件、結構有名だったよね。私、逃げ遅れちゃってあの事件の人質だったの」
10年くらい前、1人のヒーローが殉職したと言うニュースが流れた。1人の少女を人質に取ったヴィランが、少女を生かしたかったらヒーローが代わりに死ねと言って、代わりに殺されたという忌々しい事件だった。
「私の前で嬲り殺されたよ、実際に見てた。初恋の人が、もがき苦しみながら死んでいくの」
「…だからって、テメェが殺したわけじゃ、」
「爆豪くんもわかるよね、私が捕まらなかったら、今もあの人はヒーローだったのに」
「ッ、…」
有無を言わせない発言に、言葉が詰まる。頭によぎった元No.1ヒーローが崩れていくような気がした。
「わかるよ、わかってる。私じゃどうにもできなかったって。でも言葉で理解しても、感情はどうにもできない」
俺と、同じだ。
「だから、あの人の代わりにヒーローになる。命をかけてでも、ヒーローになるの」
ただの自己満足な罪滅ぼしだとわかっていても、そうせざるを得ない。体が勝手に動く。どうしようもないくらい。
何も言えなかった。痛いほどにわかってしまったから、何も言わなかった。言ったところで、何かが変わるわけもないと知っていたから。
「…ふふ、そう言うこと。お昼、どうする?」
「…、帰る」
「ん。わかった。帰ろっか」
こんな状態で食えるか、と悪態つけば、それもそうか、なんていつものテンションで返ってきた。
「また秘密ができちゃった。でも爆豪くんも内緒にするなら、共犯者だね」
「…あん時テメェを見つけた俺が馬鹿だったわ」
「えー、ひどい言われようだなぁ」
【共犯者】
その言葉がやけに耳に残った。