エデンの終焉まで

「山田くん、本当に頭がいいね。すごいや」
「**だってそこまで悪くないだろ。苦手な分野があるだけで」
「う……物理はいつまで経っても苦手だよ……」

二学期の中間テストの勉強で教室に残っていたら、「僕もする予定だった」と言って私の隣の席に座った山田くん。どうしてわざわざここに来たんだろう、と思いつつも、密かに想いを寄せている身としてはこんなにありがたいことはない。
ほんの少しだけ期待しつつ、集中せねばと参考書に向き合った。……まぁわからなくなって山田くんに質問したが。

「よしっ、あと3ページ!」
「ま、がんばれ」
「え、山田くん終わったの?」
「あとは丸つけが2ページ分だけだな」
「わ、私よりページ数残ってたのに……」
「……ふっ」
「うわぁ……すごいドヤ顔……」

く、くそぅ……、と唇を尖らせた。先に終わらせて山田くんの勉強している姿を拝見させていただこうと思っていたのに。
雑念があるから進むのが遅いのか、なかなかペンが進まない。決してわからないからとかそう言うのではない。と、思い込んだ。

「そこ、わからないのか?」
「いっ、いや、別に!もう少しでわかる!」
「ふーん、ならいいけど。わからないならもう一度僕が教えてあげようかと思ったんだけどね」
「次は解いてみせるから大丈夫!絶対解くからね!」

むむ、と参考書と問題集に向き合った。似たような問題を解いてるはずなのに、どうにもこうにも解けない。悔しい。

「………………。」
「はい、僕は終わり、っと」
「今集中してるので静かにしてください」
「ははっ、必死だな」

おかしい、数字がめちゃくちゃ気持ち悪い。絶対違う。きっときれいな数字になる。千分の一桁×百分の一桁の分数の計算なんて絶対違う。違うはずなのにどこで間違ってるかわからない。

うーんうーんと唸ったり、顎に手を当てて考えてみたが答えは分からず。仕方なしにこの問題は先生に質問しようと次の問題に視線を向けた。が、これが解けないと次も解けないものだったため撃沈。
チーン……と机の前で魂が抜けたように天を仰いだ。その時、ガタ、と机一つ分離れた距離にいた山田くんが、私の前の席に座った。それも私の方を向いて、背もたれに腕をついて。

「**、それ系の問題苦手だよな」
「なんか解けないんだよなぁー……」
「コツを掴むまでに手間がかかるのは認めるけどね」
「でしょ!?もーほんっとに悔しいー!」

口をへの字に曲げながら、筆箱に入っている赤いフィルム付箋を一枚取り出す。ぺたり、とページの上にそれを貼り、問題番号を記入した。

「うむ、致し方なし。」
「武士かよ」
「ここは諦めて先生に聞きにいきます。」
「っ……、」

そう言って問題集のページをめくろうとした。
しかしそれは、三郎くんによって阻まれてしまった。ページをめくっている私の手を、彼の手が掴んだのだ。

「…………ここ、ひっかけ。その参考書だと、225ページの公式使ったらすぐ解けるから」
「え、あ、えっと、そうなの……?」

手がきれいで、少し冷たくて、ドキドキした。どもってしまったが、こんなの仕方がない。男の子に手をつかまれるなんて経験、記憶の中では幼稚園の頃を除いてしたことがないから。びっくりした。触れられてるところがどんどん熱を帯びていく。

「に、225ページ……えっとー、……これ?」
「うん」

私が参考書をめくっている間も、山田くんは私の手を掴んでいた。自分の顔がどんどん熱くなって、心拍数が上昇するのを感じる。自分がひどく緊張している、とすぐにわかった。

「………………」
「………………」

問題集から手を離しても、山田くんの指先は私のと絡んでいた。恋人同士みたいに手を繋いでるんじゃなくて、ただ、私の指の間に山田くんのが挟まっているだけ、そんな感じなのに、心臓はどんどん主張を激しくしていく。

「や、まだ、くん……?」
「……ここまでヒントを出せば、物理苦手な**でも解けるだろ?」

指先からぬくもりが離れた。いつもの悪戯っぽい表情で、山田くんが頬杖を突く。
ドキドキしていたのは私だけなのかも知れない。バレないように、表情も変えずにゆっくりゆっくり深呼吸をした。触れることとか、あるある。私に今までなかっただけで、今時の高校生だもんね。あるあるなんだよ、いまのは。
そう思っていないと、勘違いしそうで怖かった。

「……あ、あー、そっか、なるほど、うん、わかった」

こんな時でも、勉強用の頭は働いてくれているようだ。ツラツラと作業のように式を並べて、計算して、答えを書く。難解なのに、単純作業に思えた。
次の問題もその流れで解いてしまった。『A.』の隣に数字を並べて、解ききった問題にふぅ、とゆっくり息を吐いた。

「で、できた……」

達成感ももちろんあった。でもそれをいとも簡単に上塗りする山田くんへの感情に、ドギマギしてしまって。
今更になって、(前髪、崩れてないかな、)なんて思ってさらりと整えるように触れた。

「やればできるんだな」

ほんの少し上目遣いで、クス、と笑った山田くん。
もうそれがダメだった。

慌てて掌で顔を隠して下を向いた。心臓はバクバクするし、顔は熱くて絶対赤いし、見られている事実がとにかく恥ずかしいし、なにより、自分の想いが溢れ出てきて怖くなった。

「わ、たし、もう、できるから、だいじょうぶだよ」
「……なぁ、なんで顔隠してるんだ?」

山田くんの顔が近付いたのがわかったが、これ以上近づかれてしまってはもう身が持たない。それを本能で分かっていたのか、片腕は顔を隠したまま、反対の手で山田くんの肩を押した。

「っ、ごめ…いま、ちょっとだめ」

でもそれが間違いだったことに気づいた。肩を押したはずの手は、いとも簡単に取られてしまった。

「何がだめなんだよ」
「っあ、」
「顔、隠すなよ。なぁ、」

「**?」と顔を隠していた腕も掴まれ、いよいよ私を隠してくれるものがなくなる。緑と青のオッドアイが、真っ直ぐ私を見つめている。どうしよう、見られてる。真っ赤な顔が、君のこと好きって感情が、全部全部。

「……赤いけど、なんで?」
「〜〜っ、ま、まって、だめだから、」

うまく力が入らないまま、顔を精一杯逸らした。もう何が起こってるのかわかんなくなってきちゃって、恥ずかしさと苦しさで死んでしまいそう。

「こっち見ろよ、**」

耳に注がれた声にびくりと身体が震えた。溶けてしまいそうなほど全身が熱くて、目にうっすらと涙の膜が張った。
何も考えられなくなって、声に従ってゆっくり首を動かした。

「やまだくん、」

オッドアイが揺れる。次の瞬間には視界から消えた。

息が詰まる。視界にはぼやけた山田くん。

「……いや、だった?」

ほんの一瞬の唇への暖かな温度はすぐに感覚を失った。ぽろ、とついに涙が溢れる。頭の中にふと浮かんだ単語は、“ファーストキス”なんて甘酸っぱいものだった。

「なんで、きす、したの?」
「……わからない、気付いたら体が動いてたんだ」

「ごめん、」と山田くんが謝る。なんで謝ってるんだろう、と思考回路がショートした私が思った。
山田くんの細い指が頬を撫でる。拭われた涙が空気に触れて頬を冷やした。

(好きだなぁ)

困り顔、初めて見た。いつも大体なんでもできちゃうすごい人だから。でも耳は真っ赤だ。私と同じ気持ちだったら嬉しいのに。
「もうしないから」山田くんがそんなことを言ったような気がしたが、言葉の意味がうまくわからなかった。いや、その言葉を理解する前に、私の口が勝手に音を発した。

「もういっかい」

オッドアイが見開かれる。気づけば山田くんの制服をそっと掴んでいて、側からみればまるで縋っているようだ。
今度はスローモーションで。目を細めた山田くん。それに釣られて私もまぶたを落とした。

音もなく、くちびるが触れ合って、離れた。

ほんの一瞬だけなのに、何故か息が苦しくて、酸素を求めるようにはっと口を開けて息を吸った。もう涙は止まっている。

「好きだよ」

今にも消えてしまいそうな、か細い声だった。変な声、自分の発した言葉におかしくなって、口元がゆるりと弧を描いた。

山田くんは、少しむしゃくしゃしたような顔をして。でも耳が赤いのは変わらなくて。そしてそっと私の髪を撫でた。

「足りない、もう一回」

さっきよりも強く感じる唇の感触。それに浸るように目を閉じた。



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