よるのとばり 01

「こんにちは、水無月さんの担当看護師の**です。今日はよろしくお願いします」
「初めまして、観音坂です。こちらこそよろしくお願いします」

 今日の受け持ち患者が新しい医療機器を導入することになり、それを持ってきた病院の取引先らしい営業マンの観音坂さん。ひょろりとした体格に鮮やかなえんじと青緑色の髪の毛で、少し隈が目立つくたびれたサラリーマンだった。いや、でも、このエメラルドグリーンの瞳はとても綺麗だし、顔もクマが濃いだけで整っている気がする。

「こちらが今回水無月さんが使用される家庭用の心電図モニターの『こころくん』と、付属の在宅酸素ボンベです。使用方法の説明はこちらのパンフレットに記載しています。」

 少し重そうな機械をワゴンの上に置いてもらい、その中身を見た。最新の心電図モニターはボタンが少なくて、手渡されたパンフレットに目を通せば手順がすこしばかり多いようだった。

「へぇ……モニターの設定がすこし難しいような……?」
「手順は一応モニターの画面通りに設定すればできるのですが、初めて使用されるとのことなので今日はまず使用方法の説明をさせていただいて、今日と明日は私もご本人さんと練習をさせていただきます。」
「明日も来てくださるのですね、ありがとうございます。よろしくお願いします。2日間、水無月さんの旦那さんも来られているので、一緒に説明の方をよろしくお願いします。看護師も同席させていただきますね。」

 私たちも最新の機械のことはわからないから一緒に聞くことになっている。あの高齢の水無月さんに理解できるかなぁと若干の不安を残しつつ、改めてお願いしますと観音坂さんに頭を下げた。観音坂さんも同じように、焦った様子を装いながら私に丁寧に頭を下げた。



………
……




「水無月さん、失礼します」

 コンコン、と個室のドアをノックしたのは看護師の**さん。第一印象は純粋に優しそうな人だった。マスクで覆われた顔は半分見えないが、年齢不詳が一番しっくりくる。妙に落ち着いてるけどどことなく幼さがある、不思議な人だった。でも怖そうな人じゃなくて内心ホッとしている。
 こんな、看護師がキラッキラしているような病院に俺みたいな陰湿極まりない野郎がいることに罪悪感しかないが、取引先の病院だと腹を括るしかない。

「水無月さん、こんにちは。今朝話していた機械をお持ちしましたよ」
「あらぁ、そうだったわね。お風呂に入るところだったわ」
「ほれ、俺は言ったろ、もう直ぐ看護師さんが来るて」
「水無月さん、こちら機械のことを説明してくださる業者さんです」
「初めまして、観音坂です。今日と明日の2日間、説明と練習を一緒にさせていただきます。よろしくお願いします」

 機械の使用者である水無月さんは、どこにでもいるようなおばあさんだった。年齢相応で認知機能も低下しているとか何とか。さっきパンフレットを見た彼女が難しそうな顔をしたのがわかった。なるほど、これは骨が折れそうだ。

「今回、お家でも心臓の動きを知ることができるようにとのことで伺いました」
「はい、いつ何が起こるかわからんからね」
「そうですね。その心臓の動きを知るための機械がこちらの『こころくん』です」

 パンフレットを用いながらまずは機械を立ち上げ、音声案内に従ってぽちぽちとボタンを押していく。水無月さんご夫婦はうんうんとわかってるのかわかってないのかいまいちわからない顔をしているが、とりあえず百聞は一見にしかずと説明を続ける。
 ふと視界に入った看護師さんも、ところどころメモを取りながら当人たちよりも熱心に聞いていた。あまり俺らが現場に出向いて説明する機会は少ないし、ましてやこんな目の前で看護師さん相手にするのはおそらく初めてだ。そのことに意識が向いてしまい、忘れようと思っていた緊張がわずかにぶり返す。

「……以上が一通りの機械の使用方法になります。それでは実際に私とやってみましょうか」
「はぁ……難しそうねぇ」
「画面を見て、それ通りにして、終わったら次に進むのボタンを押せば大丈夫ですよ。もう一度音声案内が聞きたい場合はここのボタンを押してください。」

 できるかしら、と不安げな水無月さんの横で、ほんの少しのアドバイスをしながらボタンを操作する。まぁ説明も何も、書いてあることをするだけなので簡単なものだが。

「ここはこうね、家で使ってたのに似てるわ」

 順調に進んでいたことがふと怪しい雲行きになる。あぁ、どうしよう、本当は全部説明を聞いてから次へのボタンを押して欲しいのに。でもこんなこと初めてでなんて言えばいいのかわからないあぁどうしようまだ説明も始まってないのに次のボタンを……!!

「あ、あの、説明を聞いてからの方が、その……」
「これ、聞いた方がいい言われとるやろ」
「わかってるわよ」

 わかってない。絶対にわかってない。もう二、三個先の手順に説明より前に取り掛かろうとしている。待って待って、本当にこれ以上は。

「水無月さん、一度ここで画面を見てできているか確認しましょうか」

 そんな時、ごく自然に水無月さんのとなりに行き、視線を合わせるようにしゃがみこんだ**が聞きやすい声でそう言った。俺の前を横切った時、どこかいい香りがした。

「そう?じゃあこれは……」

 おぉ。すげぇ、止まった。少し安堵して気づかれないように息を吐いた。けどこれがこれでと確認する2人の姿に何も言えなくて、どう対応したらいいか分からなくて。

「ちゃんと全部言ってくれるのね、これも」
「画面にも手順が表示されるからわかりやすいですね」
「っあ、はい、手順は全て機械が言ってくれて、画面通りに進めばできます」

 ふわ、と見惚れるくらい綺麗に笑って俺に話を振ってきた。まるで俺も包まれているかのような暖かさを感じて少し恥ずかしくなったし、上目遣いがなんかこう、ぎゅっと体に力が入って息が詰まった。緊張して何も言えなくなってたのがきっとバレたからだろう。

「次は機械の音声案内と一緒に確認していきましょうか」
「そうねぇ……」
「時間もたくさんありますし、私もこの機械は初めてなので焦らずゆっくり一緒にやっていきましょう」
「あら、貴女も初めてなの?じゃあゆっくりしないとね」

 すげぇ、さすが現場の人。1人勝手にやってた水無月さんが完全に止まった。俺はその場で突っ立ってるしかできなくて、俺、いる?なんてそんなことを思った。

「でも少し声が小さいわねぇ……」
「そうですね……あの、観音坂さん、音量って調整できますか……?」
「っ、できます、少し手順がいるので、こちらでさせていただきます」

 少し慌てて画面をトントンと指で操作した。マスクで口元が見えないのに、この人は表情豊かで。それなのに俺は、いろんなことに緊張してる。初めての仕事にも、たぶん、彼女の綺麗な視線にも。

「さすが若いからこういう機械慣れてるんだなぁ」
「いえ、そんなことは、」
「あなたいくつ?若そうだけど」
「えっと……26、です」

 なんだこの夫婦。ものすごくグイグイくる。無情になんども「この音量でいいですか?」と繰り返して言うこころくんにもっと頑張れと思いを込めて大きい音に設定した。

「あら、**さんはいくつだったかしら?」
「あはは……24ですよ」

 彼女は少し気まずそうに苦笑した。そうか、24、二歳差か。ちょうどいいな、なんて思わず思った自分をぶん殴りたくなった。

「若いわねぇ、いいわねぇ」
「み、水無月さん、音量の設定ができたみたいですよ」
「うふふ、照れちゃってる」
「恋人はいるのかい?」
「えっ、あ、い、ないですけども……!」

 困ったように眉を下げる彼女は照れていて。そっか、若いんだな、と漠然と思う。24だろ、働いてまぁ二、三年と言うところだろう。それなのにこんなにしっかりしてるなんて。それに比べて俺は……もう何年も働いてるのにこんなにドギマギして……はぁ……。

「はい、わたしのことは置いといて、まずは水無月さんのことですっ」
「ふふ、あんまりいじめちゃうと**さん怒っちゃうからね」

 呆れたように笑う彼女の顔を、多分俺がその姿をじっと見ていたのに気づいたのか、その視線が俺に向く。パチパチ、と二、三度瞬きをしたあと、恥ずかしそうに目を細めた。

 いいな、なんか。

 この時のことが忘れられないまま、その日は終わった。



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