「天童、毎晩誰と電話してんだ?」
風呂上り、スマホをいじっている手を止めて視線を上げれば、濡れた髪をゴシゴシ拭く英太くんが不思議そうに俺をみていた。
「んー」
「んーってなんだよ」
なんて答えたらいいのかな。答えたい言葉と実際の関係に違いがあるからもどかしいや。
「幼なじみだよ」
「へぇ、女子か?」
「うん」
「え、ちょ、まじか」
『覚くんもお風呂あがり?』という通知に既読をつけ、『そーだよ、電話もーちょっと待ってね』と返事をして画面を暗くした。早く部屋に行こっと。
「なんだよ、好きなやつとかか?お前彼女作らねーのその子がいるからとか?」
ニヤニヤといたずらっ子みたいに笑う英太くん。まぁそんなわけないよな、って副音声が聞こえる口調を少し焦らせたくて、期待に応えようと口を開いた。
「うん」
傑作傑作。英太くんは豆鉄砲食らった鳩みたいにぽかんと口を開けて固まった。その隙にそそくさと大部屋から退散し、自室に戻った。ばたん、とドアが閉まると同時に驚く声が寮中に響いて、隼人くんたちに怒られる声もまたうるさかった。
『電話できるよ』
謎の雪だるまが了解と敬礼するスタンプに既読をつけ、一言そう送れば間も無くくる電話に迷いなく通話のボタンを押した。
『もしもし覚くんですか!』
「そうだよー、もしもし▽ですか」
『ふふ、▽ですよー!』
俺以外ありえないはずなのに毎回これをするのはもはや彼女の癖だと思う。可愛らしいなぁ、と思いつつそれに付き合う俺も大概だ。
『今日はどんな1日だった?』
ずいぶん会えていない彼女の顔を思い浮かべながら、今日はね、と話し出した。ゆったりと流れるこの時間が今や何よりも落ち着ける。
「英太くん、花粉症でクシャミしまくってトスがブレブレで鍛治くん激おこだった」
『ふふっ、英太くん踏んだり蹴ったりだね』
「鼻も真っ赤でトナカイみたいだったよ」
『へぇ、こんなにかっこいい顔なのに、花粉症はイケメンの敵だね』
「ね、ほんとに」
送った写真を見ながら話してるんだろう、クスクス笑う▽はいつも嬉しそうに俺の話を聞いた。病室の中にいることを強いられる彼女はテレビやスマホ、俺の話でしか世界を知れない。
「ランニングでもマスクしないとくしゃみがすごいからさ、めちゃくちゃ苦しそうだった」
『うわ、マスクしながら走るって大変だね……』
「本人は花粉症って認めてないらしいけど」
『えっ!?認めてないの!?』
「認めたら花粉症になる、だってさ。よくわかんないよね」
『お薬もらった方が楽になるはずなのに……』
「俺もそういってるんだけどね」
だらだらと1日で起こったことを日記のように伝えれば、うんうんと頷きながら反応を返す▽。「俺の1日なんてそんなに楽しい?」とこの前聞いた時は「とっても!」と即答された。でもそのあとに、「私はいつも同じ一日だから、」と少し悲しそうに言ってて焦ったのを覚えてる。
病室から出られない彼女は毎日同じ景色をベッドの上で見ている。たまに来る面会者も家族と看護師と医者だけ。俺のつまらないと思っている1日は、▽にとって喉から手が出るほど欲しい日常だった。
『覚くんは今日も楽しそうだね』
「うん、ちょー楽しいよ」
『その話を聞くと私も楽しいよ』
「あ、でも楽しくないこともあったんだー」
『え?どんなこと?』
「今日晴れてたでしょ?ランニングがあったんだけど、走るの疲れてコースをショートカットしたら鍛治くんにバレて怒られちゃった」
『覚くんも怒られたの!?』
だから俺は、1日の小さな出来事を彼女に伝えて、楽しんでもらわなきゃ、ってなったんだっけ。1日1日を大切に、無駄にしたらダメだって思わされた。
「ちょー怖かった」
『あ、それ思ってない声だ』
「あれ、バレた?」
『バレバレだよ〜』
俺は無神論者だけどもしどこかに神様とやらがいるのなら、どうして▽がこんなことになったんだと問い詰めたい。ひとりぼっちの俺とずっと一緒にいてくれた▽が、なんで。
『覚くん?』
「……▽は、今日なにしてた?」
苦しいはずなのに、それを声に出さない彼女だから。同じような毎日の中に楽しいことを見つけようと懸命に笑う彼女だから、きっと俺は惹かれてしまったんだろう。
『わたし?今日はね、朝からお勉強してー、折り紙たくさん折ってた!』
「折り紙?」
『うん!小さな子が入院して来たらしくてさ、折ってプレゼントしたの!』
「へぇ、どんなの折ったのー?」
『んーとね、クマとか、朝顔とか、てんとう虫とかちょうちょとか!たくさん!』
「▽らしいね、今度俺にもちょーだい」
『ふふ、ただの折り紙だよ?』
「たまにはいーでしょ」
『じゃあいつか一緒に折ろうね』
もう何ヶ月も顔を見ていない。治療が進まない苦しい時期がやっと進みかけた今この時期、回復を願う俺らに未来の約束はお守りみたいなものだった。それがあるから、今を生きれる。▽も、俺も。
「ん、約束」
『約束、たくさんだね』
「料理もしよって言ってたもんね」
『あとは、遊園地とか、夜景とか、スキーとか、お花見とか、たくさんあるね!』
いつ叶うかわからないたくさんの約束。それでもお守りを両手に、今日も明日も生きていく。楽しみだね、と明るい声で言う言葉に、うん、と祈るように返事をした。