01
本当に大切なものは、失ってから気づく。
あのかりそめの幸せで溢れているハウスの中で、俺が一番学んだのはこの言葉だ。
「レイはいつもむずかしい本読んでるね、たのしい?」
「アホな**にはわかんねー面白さがあんだよ」
「えー、なにそれ!」
俺らの一個下で、毎回じゃないけどたまーにフルスコアを取るようなやつ。ビビリなくせして冒険したがりで、感情表現が豊かなのに頑なに人前で泣こうとしない頑固者。単純そうで、ノーマン並みに嘘や隠し事がうまいやつ。
「おめでとう、**の里親が決まったわ」
晩飯を食った後のことだった。嬉々として言ってのけたママに全身が凍りつくのがわかった。そんなわけない。**はまだ10歳で、その中でもきっと成績はずば抜けてる。
「えへへ、似合うかな、レイ」
「……くそほど似合わねーよ」
「いや酷くない?」
今年、12歳になる俺らの出荷予定がある。ハウスの中でフルスコアをとったことあるやつは俺ら以外にまだ**だけ。こんな早いわけない。ないのに。
「……レイ?顔色悪いよ?」
「ンなわけねーだろ、いつも通りだよ」
「そっか……」
どうする、**にはあいつらと逃げて生きてもらおうと思ってたのに。あの2人に近い頭脳を持つ**なら逃げ切れるとも思ったから。それに、
「わかった!私が居なくなっちゃうのが寂しいんだ〜〜」
ニヤニヤと口角を上げて少し俯く俺の顔をしたから覗き込むように見上げた表情。くそ生意気なこいつが、どこか策士でズルイこいつが、俺は、
「……**」
「…レイ?」
自分より少し背の低い頭を抱え込んだ。そのまま背中にも手を回し、強く腕に力を入れる。まだあの2人にはハウスのことをばらしてはいない。次の出荷は悪いがコニーだと思っていた。その時に、2人にバレるよう仕向ける予定だった。まさか、**だなんて。
「あっ、あのっ、レイっ……!?」
「なんも反応すんな」
「! え、……」
言うか、逃げろと、逃げなきゃ死ぬぞと。ハウスのことも全部、全部言って、
「お、前、頼むから、すぐにここから出て、」
うまく口が回らない。頭がいっぱいいっぱいになって、考えがまとまらない。なんて言えばいい、逃げるってどこに、逃げた先に何がある、生きるって、どうやって
「大丈夫だよ、レイ」
柔らかい体。柔軟剤もシャンプーもボディーソープも全部同じの使ってるはずなのに、**はいい匂いがした。優しく抱きしめ返してくる腕が愛おしくて、永遠にこの時間が続けばいいのになんて馬鹿なことを考えた。
「何も言わなくても、大丈夫。全部わかってるから」
何が。絶対お前わかってないだろ。何も知らないくせに。敵のことも農園のことも何も知らないくせに。なんでそんな、全部わかってるなんて意味わかんないこといきなり言うんだよ。
「っバカ、いいから黙って俺の話を、」
「レイ」
ふに、と唇に柔らかい感触。見開いた目いっぱいいっぱいには目を瞑った**の顔が超至近距離で映る。**に勧められて読んだくだらない恋愛小説の中で、好き合った男と女がやっていたキス。ママや俺たちにするようなやつじゃない、もっとねちっこくて、ドロドロして、心臓が痛いほど締め付けられるような、そんな行為。
「……、わたし、レイが好きだよ」
目に溢れんばかりの涙をためた**が下手くそに笑う。まるで今日の夜、もう会うのが最後だと知ってるような表情だった。
「いじわるだけど、わたしのこと守ってくれて、たまにやさしいところ、好きだよ」
「…たまにって……、いつもやさしいだろ」
「えー、たまにだよ〜」
変におちゃらけた態度が、逆に最後を意識させてきて、やめろやめろと頭の中で警報を鳴らしてきた。これが、これで全部最後なんて、そんな。
「レイは、わたしのこと、きらい?」
ノーマンも十分策士で、俺だってそうだけど、**もずる賢さなら俺らとタメを張るくらい。これは質問じゃなくて、確信だ。わかってて聞いてやがる。いつから気づいてたなんてそんなもんもうどうでもいい。**は、あと数時間後に死ぬんだ。
「それ、否定したら、俺に何して欲しいんだ」
「キスして」
「は、」
「レイから、して。さいごだから。」
『さいご』と言った**の言葉。正真正銘の『最後』で『最期』だ。俺は、ママがやるように右手で**の髪をかきあげ、ポツリと「目、瞑れ」とつぶやいた。
「さよならだ」
音もなく触れて、離れた唇は、生ぬるく湿ってて、少ししょっぱかった。