砂糖三つと紅茶の香り





「*、最近そのバレッタ毎日つけてるね」
「ふふふ……なんたって、」
「『三輪くんから貰った』、でしょ?ほんと毎日聞いても信じられないんだけど」

 あの三輪くんがねぇ、と肩をすくめる友人をよそに後頭部につけているバレッタに手を伸ばした。貰った次の日から毎日バレッタをつけてくる私に三輪くんも流石に苦笑していた。だって嬉しいんだもん、しょうがないじゃないか。
 何十回もしたであろう話を繰り返す私に友人が私の頭を叩いた。もう覚えたわって、まだ話し足りないよ。

「で?その三輪くんは今日は午後から防衛任務でいないって?」
「うん……ノート頑張ってとるよ……」
「普段から頑張りなさいよ」
「うぅ……眠いよ……」

 なんでも、今日は学校中のボーダー隊員が緊急収集だとかでいなくなってしまった。仕事だもん、仕方ないよね、と諦めつつも少しさみしいクラスはどうしても退屈で。

「隣のクラスのハラちゃんもボーダーだったとは知らなかった……」
「ね。C級は公表されなかったの忘れてたよ」
「やっぱクラスから何人も抜けると静かになるねぇ。」
「まぁうちは3人もいないから」

 ふあ、とあくびをして外を見た。今頃三輪くんはお仕事なんだろう。近界民ネイバーを倒すのがボーダーの仕事だけど、三輪くんも戦っているなんて想像できない。うわぁ、絶対かっこいいよ。是非とも見てみたいし、A級なんだからきっと強いんだろう。妄想だけでにやけてしまう。だめだこりゃ。

「顔やばいことになってるよ」
「え、うそ」
「三輪くんいなくて良かったね、その顔は引かれるよ」
「戦ってる三輪くん妄想してたらにやけが……」
「素直でよろしい」

 戦っている三輪くんを見れるなら近界民ネイバーにちょっとくらい襲われても文句は言わない。バカだと思われるかもしれないが、好きな人に盲目になってしまうのは仕方のないことだ。

「明日が待ち遠しいな」

 明日になれば三輪くんがいる。眠たくてちょっと面倒臭い学校がこんなに待ち遠しくなるなんて思ってもいなかった。たまに三輪くんがいない午後も、どうすれば三輪くんのためになれるかってずっと考えていたらすぐにすぎてしまう。毎日がキラキラしてて、それに比例するように好きが膨らんでいく。
 早く会いたいな。

「はー……恋する乙女ね、完全に」
「そうだね〜」
「早くくっつけ」
「三輪くんが私のこと友達としか思ってないから無理だよ……」
「あー、もうごめんって、そんなすぐ沈まないでよ」

 まだそれ言ってるわけ、と呆れたような声にズーンと気分が一気に沈む。あまりの優しさに勘違いしそうになるし、きっと三輪くんじゃない別の男の子だったら勘違いしていただろう。でもまぁ、三輪くんだから。あの距離感も友人だからとあり得てしまう。

「あんなにやさしいのはずるいよね」
「私は優しくされたことがないからなんとも言えんわ」
「あんなの、絶対みんな好きになっちゃうよ」
「ま、ただでさえボーダーのA級だからそれだけで狙ってる子はいるだろうけど」

 そんな肩書きなんて、三輪くんの一部の一部の一部でしかないのに。もっと三輪くんのいいところいっぱいあるのに、でもそれは私だけが知っていたくて。まぁ、三輪くんにやさしくされたことがある女の子なんて他にもいるだろうけど。

「どうやったら、特別になれるんだろうね」
「私からすれば、十分特別だよ、*は」
「えぇ〜……」
「ほんとだってば」
「足りないよ、特別が」

 この欲深女め、とおでこを突かれた。仕方ないよ、そんなの。

「だって、好きなんだもん」

バチ……!!

 その刹那、明るかった外からの光が暗闇に包まれた。

「え?」

『緊急警報 緊急警報 ゲートが市街地に発生します』

 キャア、と誰かの悲鳴が耳を通って行く。近界民ネイバーだ、誰かがそう呟いた。
 みんなが取り憑かれたように外を見る中、街中に響き渡った警報と、輪廻状のぎょろりとした目が姿を現したのは同じタイミングだった。

『市民の皆様はただちに避難してください』

「*、あれ……ッ!」
近界民ネイバー、」

 ジリジリ鳴り響く警報に恐怖心で身を包まれる。ボーダーの放送を受けてか、どこかの先生が焦ったように放送をかけた。校庭に降り立ったそれのズドン……となる地響きに一気に体が震え上がった。紫色の大きな巨体。早く避難しろ、と委員長が叫ぶ。

「*早く!!」
「う、うんっ、わ、待って……!」

 シェルターに向かうために我先にと教室を出始めたクラスメイトに押されて揉みくちゃにされる。なんとか体を支えてこけるのは免れたが、人の波に飲まれながら体があちこちにぶつかる。
 泣いている子がいる。やばいね、と笑う子もいる。頭の奥を刺激する警報音に思わず耳を塞ぎたくなった。

「みんな!急いでシェルターに向かうんだ!」
「押さないで、みんな訓練通りシェルターに!!」

 不幸にも私たちの教室は三階で、シェルターは一階。距離感にもどかしくなりながらも必死に足を動かした。怖い。こんな時、三輪くんがいてくれたらすぐやっつけてくれるのかな。焦りで心臓がバクバクなのに、のんきにもそんなことを考えた。
 よりによってボーダーの人が誰一人としていない今日。わざとなんじゃないかと思わされるほどバッチリなタイミングで攻めてきた近界民ネイバーにもう怒りすら湧いてくる。

 四年前のあの悲劇が脳裏に映る。逃げても逃げても追いかけてくる近界民ネイバーに、私たちは恐怖するしかできなくて。

(助けて、三輪くん)

 あの日のことを思い出したら涙が出そうになった。あの時はシェルターも何もなくて、あてもなく逃げるので精一杯だったからそれを思えばマシになったのかもしれない。でもやはり怖い。

(手が震える、)

 嫌な情景がフラッシュバックする。でも大丈夫。前を見ればようやく見えた階段。これを駆け下りればシェルターはもうすぐそこだ。ほんの一瞬の安心にほ、と息をついたその刹那、頭に強い衝撃が走って髪の毛がふわりと舞った。カシャン、と耳に届いた音に嫌な予感がする。

「いたっ、」

 今日の髪型は三つ編みハーフアップ。最近できるようになったお気に入りの髪型だ。しかし上体が少し前に傾いた瞬間、後ろで留めていたはずの三つ編みが視界に映る。反射的に後頭部をさわればそこにあったはずのものが見当たらなかった。

(ッバレッタがない……っ!?)

 慌てて辺りを見回した。足を止めてしまって、いろんな人にぶつかる。懸命に目を配らせて探したが走り回る生徒のせいで見つかりはしない。
 こんな時、なんの心配をしてるんだと思われるかもしれないが、まだ私の後ろに人がいたし、階段がすぐ目の前だったから気持ち的に余裕があったことと、三輪くんがくれた大切なものだからつい探してしまった。

(あ!)

 まばらになった人と人の間で一瞬見えたそれ。屋上に繋がる階段前にまで飛ばされたバレッタを拾うためにみんなとは違う方向に走り出した。大丈夫、まだ大丈夫。

「*!?」
「ごめん先に行って!!」

 あそこにあるのを拾うだけだから大丈夫。人に押されながらも懸命に掻き分けて進めばようやく目の前に出れた。
 無我夢中で手にとったバレッタは少し砂がついていた。でも幸運にも壊れてはなさそうで安心する。早く行かないと、そう思って廊下を見ればもう数人と先生しかいなくて。

「*!!何をしているんだ早くしろ!!」
「は、はいっ」

 階段を降りかけていた先生の後を追った。少し止まっただけでもう最後尾にいるなんて思いもしなかったが、案の定近界民ネイバーはここでは音沙汰なく静かで本当はもう向こうの方に行ってしまったのではないか、なんてことを考えた。
 でもやはり、緊急時に余裕を持ったり、安易に大丈夫だなんて考えてしまうのは良くなかったらしい。こういう時は大体最悪の想定をしておくのが道理というもので、希望的観測はことごとく裏切られることを身に染みて感じた。

 カチャ……

 先生と私の間にいつのまにか来た小さなロボット。さしずめ手足と尻尾のついたルンバみたいなそれが目の前に来て、それを凝視してしまった。私は尻尾が正面にくるが、その小さなルンバを見た先生がひぃ、と階段を数段降りた。

 バチバチ……、とさっきも聞いた嫌な音が耳を刺激する。思わず息が詰まった。ルンバの頭上に現れたのは、既視感のありすぎる真っ黒なゲート

「に、逃げるんだ*!!!」

 ゲートの中から出てきたのは、これまたさっきも見た紫色の巨体を持つ近界民ネイバー。恐怖で足が震える。ぎょろりと私を見た近界民ネイバーが、ズドンと私の前に降り立った。

「*!!!」

 鋭く尖った手を振りかぶる近界民ネイバー。何も考えられなくなって、全身の力が抜けたように脱力した。

 カシャン……

 足元で鳴ったその音に反応してしゃがみ込んだ。その瞬間近界民ネイバーがその腕を私の髪の毛を掠めてすぐ隣を突き刺し、ドカン……!と廊下がひび割れる。しゃがんでなかったらと思うとぞっとして、死がこんなにも近いだなんて今更ながらに気づいた。無意識に音のした方に手を伸ばせば、さっき拾ったバレッタが。

(三輪くん、)

 やだ、まだ死にたくない。だって、まだやりたいことがたくさんあるから。

「っ、!」
「ど、どこ行くんだ*!!?」
「ここはもう無理です……っ向こうから行きます!!先生も早く逃げて!!」
「待て*……っ!」

 何かが弾けたように階段と近界民ネイバーを背中に走り出した。ガリガリと廊下を削りながら後ろから追ってくる近界民ネイバー。怖い。怖くて仕方ない。頭の中に思い浮かべた避難経路は単に別の階段から一階に降りるだけ。
 すぐ気を緩めたら追いつかれそう。でも狭い廊下じゃ近界民ネイバーも動きが制限されるらしく、なんとか私の足でも逃げれた。

(早く、早く階段に……っ!)

 今にも縺れそうな足を必死に動かす。止まったら死ぬ。恐怖に頭が混乱しつつも火事場の馬鹿力というやつで喉がカラカラになりながらも息を荒げて走った。
 教室を三つ四つとまたいで行く中、ようやく近づいた踊り場。あと教室一つと半分の距離。これなら、と思って一歩踏み込んだ瞬間、グキ、と右足に激痛が走った。

「い……っ!」

 思わず膝から崩れ落ちる。走ってた勢いそのまま床を滑った。足を向けた方向には近界民ネイバーが。転けている場合じゃない、逃げなきゃ。

 踏み込んだ痛みに耐えて立ち上がった。しかし現実はそうやさしくなくて、窓ガラスが割れたと思えば最初に来たであろう近界民ネイバーが外から壁を突き破ってきた。

「ひっ、……」

 逃げ切れる、と思った矢先の出来事。踊り場にはもう一匹の近界民ネイバー降り立ち、階段に行くことができなくなる。
 後ろからも迫ってくる近界民ネイバー。もうだめだと思っても、体が反射的に生きたいと、悪足掻きにも教室に飛び込んだ。

 窓側に足を引きずりながら駆け寄るが、二匹の近界民ネイバーがゆっくりと教室のドアを破壊しながらやってきた。
 ぎょろりと目を剥くその姿に死を悟る。鋭く尖った腕が教室の床に突き刺さる。握りしめたバレッタはもう緩くなっている。手汗で濡れてしまって気持ち悪い。

(死にたくないな……、)

 まだ17年しか生きてないのに、こんなのあんまりだ。好きな人に告白もできてないし、ファーストキスすらしたことない。バレッタを拾ったのはまずかったかな。でもさっきバレッタに助けられたから、拾っても良かったよね。
 お父さん、お母さん、親不孝な娘でごめんなさい。友達も、先生も、店長も、東さんも、もっといろんなお話がしたかったのに、もう無理らしい。

 三輪くんに、ちゃんと告白しとけば良かった。最期に一目見たかった。

 心臓はどくどく脈を打ってるけど、息が自然とゆっくりになっていった。人間死ぬ間際はひどく冷静で、冬の寒さを忘れるほど窓越しの日の暖かさを感じた。
 一匹の近界民ネイバーがまた腕を振りかぶった。痛いんだろうな、どうせなら一瞬で死んでしまえればいいのに。

 ぎゅ、とバレッタを握りしめた。好きだったよ、三輪くん。

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