砂糖三つと紅茶の香り





 俺は三輪秀次という男を侮っていた。いい意味でも悪い意味でもだ。

 ラッド捕獲作戦の真っ只中、ゲートの強制封鎖も数個は潜り抜けて開いてしまう恐れがあると通達されてからはより現場に緊張が走っていた。俺ら三輪隊もレーダーに映ったラッドを見つけては迅速に捕獲していた。あと数匹、それも学校の近く。やっと終わると思った強制捜索に誰もが安堵していた時、上空に現れたでかいゲートに目を見開いた。

『緊急警報 緊急警報 ゲートが市街地に発生します』

 聞き慣れた警報音に真っ先に反応したのは秀次。きっとボーダーの大部分のやつが青ざめたに違いない。ゲートが開いた場所は紛れもなく俺らの通っている学校だったから。

「うっわ、よりによってそこかよ、」

 たらりと額から汗が流れた。早くしねーと、と踏み込んだ前に先を走っていく秀次。うわ、速。なんて呑気に考えたが、この時の秀次の速さは今まで見た中で一番速かったんじゃないか。

 あー、そうか、学校には*さんがいるのか。

 幸いにもボーダー隊員の中で三輪隊が一番学校に近かった。かといって目の前にいるわけでもない。忍田本部長の指示の前に「三輪隊向かいます」とだけ伝えた秀次の声はひどく冷静で。俺も追いかけてるけど、秀次が間に合いますように、なんて他人事のように考えるほどには頭が混乱してたのかもしれない。

『学校から連絡が入った。一人の生徒を除いて全員避難できている。引き返した女生徒がいる、三輪隊、急いでくれ!』
ゲートが校舎内で開きました!モールモッド二匹が同じ場所に集まってきています!』

 こういう嫌な予感っていうのは存外よく当たる。引き返した女生徒が*さんでありませんように、三輪のためにそう願いながらも頭のどこかで*さんかもしれないと思った。

『女生徒がモールモッドに挟まれているわ、三階のB組の教室前よ!』

 蓮さんの焦った声。三階のB組って俺らの教室じゃねーか。これは*さんじゃないかも、だとしても俺のクラスメイトかもしれない。どっちにしろ最悪だ。

 ようやく見えた教室。窓ガラスに体を預ける女の子が誰かは俺にはわからないが、数歩前を走る秀次が一段と加速した。

 ぼんやり見えるモールモッドの腕。やばい、振りかぶった。これは間に合わな、

「屈め*!!!!」

 窓ガラスを蹴破って教室内に飛び込んだ秀次。その勢いのまま二匹をあっという間に倒し、俺は教室前の木の上に降り立った。

『……あー、報告。秀次が二匹倒しました、女の子は無事っす』
『……ご苦労だった、三輪隊』

 サラッと本部長にそれだけ報告して通信を秀次を省いた三輪隊だけに切り替えた。本部長も緊迫していた声が柔んで、ほっと小さくため息が聞こえた。一般市民がまた死ぬとかシャレにならないからな。

『間に合ったか』
『なんとかな』
『良かったです……間に合わないかと思いました……』
『ギリギリだったわ、女の子って*さんだったし』
『通りで三輪くんのあの焦りようね』
『あー、秀次の思い人か』

 残念ながら秀次のプライバシーはあってないようなものだが、三輪隊は全精力を注いであの二人をバックアップするとついこの間誓い合った仲だ。*さんが無事で本当に良かった。

 しかしほっとしたのもつかの間、教室から聞こえてくる秀次の怒鳴り声に嘘だろ、と冷や汗をかいた。

『おい、三輪の怒鳴り声が聞こえるぞ』
『み、三輪先輩かなり怒ってますよね……』
『……米屋くん、奈良坂くんたちが到着するまでよろしくね』
『……へーい』

 やれやれうちの隊長様は。よっこいしょと腰を上げて教室に入れば、泣いてる*さんの肩を掴んで睨みつける秀次の光景が飛び込んできて絶句。さっきまで近界民ネイバーに襲われかけてた女の子に何してんだ。

「おーい、大丈夫か?*サン」
「っ、え……、?」

 めちゃくちゃ怯えてんじゃん。ほんと何してんだうちの隊長様は。好きな子に向ける顔じゃねーだろ、それ。あとお前はトリオン体だけど*さんは生身なんだから力加減考えろっての。
 ため息混じりに放してやれよと言えば、今気づいたようでハッとした顔で申し訳なさそうに謝る秀次。

「ほっぺた血ィ出てんじゃん、早く手当てしねーと傷残るぞ」
「!? す、すぐ手当てをするぞ!」
「わ、私は大丈夫だから、その、三輪くん、お仕事中でしょ……?そっち行っていいよ……その、ごめんなさい、」

 ガタガタ震えた手を抑えながら顔を歪ませて笑う*さん。ひどい顔だ。お世辞にも大丈夫なんて顔じゃない。むしろ助けてっていってるような顔なのに、俺らの邪魔をしないためかそんなことを言う。

 大丈夫、平気と繰り返す*さん。そんなに自分の心殺してまで秀次が好きか、と健気な姿に同情する。今にも泣きそうな顔して、強がって。

「あとで、救護班とか来るだろうし、私待てるから、だいじょうぶだよ」

 こりゃさすがの秀次も放っておけないだろ、めっちゃ震えてるわけだし。まぁなるようになるか、なんて思っていたがさすがはうちの隊長。そんな期待をことごとく裏切ってくる。

「…………そうか、じゃあ俺は行く。」

 それに続く後の言葉は聞かないことにして、渾身の力を込めて頭をはっ叩いた。いやこれはもう反射的に手が出た。いや、嘘だろ。嘘だといってくれ。通信の向こうで奈良坂が「はぁ?」と聞いたこともないようなドスを効かせている。

「ば、おま、ほんっと馬鹿か!」

 三輪くん、から始まる蓮さんの絶対零度な声に震え上がった。やべぇよ、一番怒らせちゃダメな人怒らせたぞ。俺もうしーらね。

『そんな状態の女の子を放ってどこ行くの?』
『っえ、いや、近界民ネイバーの回収を、』
『その子を放っておいてまですることなの?』
『*は、大丈夫だと、』
『本当にそう見えるなら貴方は男として失格ね』
『おとっ……!?』

 いつもクールで優しい蓮さんの攻撃が凄まじい。もう苦笑しかできない俺をよそに蓮さんはさらに追い討ちをかける。

『女の子の大丈夫は強がりなの。貴方に迷惑かけたくないの。わかる?仮にも大切にしている子でしょう、ちゃんと顔を見て話すのよ。』
『……一人にして欲しい可能性が、』
『三輪くん、その子を助けてから怒鳴り散らしたみたいね。恐怖に怯えてた子にすることなの?それは』
『ッ……それは、その……、』
『大切な子なら抱きしめて優しい言葉をかけるくらいしてみなさい』
『だ、抱きしめ……っ!?』

 蓮さん無双がすごい。俺もう絶対怒らせないって決めた。俺らより年上で、しっかりしてて、俺ら四人を陰でサポートする凄腕だ。俺ら全員が尊敬してるからそんな蓮さんからの言葉は秀次をグサグサと刺さっているようで、顔を真っ赤にさせたり青ざめさせたりとせわしない。やべー、面白すぎて笑いが。

『米屋くんならそうするわよね?』
『え、まぁ……こんだけ怯えてたらしなくもないっす』
『なら米屋がしてやれ、秀次はできないみたいだしな』
『な、ッ』
『えぇ〜、まぁ*さんかわいいからいいけど……』
『ふ、ふざけるな!!そんな気持ちで、』
『だってお前、こんな*さんほっとこうとしてんじゃん』
『っ、……』
『大丈夫だって、ひどいようにはしねーよ』

 あーあ、結局とばっちりか。まぁいいか。*さんめっちゃ震えてるし、さっき秀次にすげー力で掴まれてたし、少しくらい優しくされたいだろ、こんな命狙われてた状況下では。
 秀次の視線を受けつつ、跪いて努めて優しい声で*さんに話しかけた。まずは自己紹介。そして一応謝る。嫌だったらまじでごめん、でも秀次がしないなら、本気で俺がしようと考えていたから。

 ゆっくり両腕を*さんに伸ばした。怯えられた顔したのはショックだったけど、まぁ誰かにしがみついとけば気は楽になるだろう、多分。ごめんなー、と心の中で謝りながらも、触れる寸前で聞こえた秀次の苗字にやっぱそうだよな、と心の中で笑った。

『っやめろ』
「グハァっ!」

 えぇーーー……。横腹一発ホームラン。すげー力でけられた俺はゴロゴロ転がって後ろのロッカーに突撃。悪い、出水のロッカーぶっ壊した。

『……*に触れるな』

 ジト目で秀次を睨めば、眉間にしわを寄せた秀次がバツの悪そうに唇を尖らせている。すげー嫉妬深い台詞聞いた気がしたが本人は気づいているのだろうか。
 俺を心配する*さんの声。うわ、やさしー。さっきまで怯えてたとは思えない。けどその声を遮るように秀次が*さんを引き寄せて頭を抱きかかえた。やればできんじゃん、うちの隊長。

「…………その……、大丈夫か、?」

 『大丈夫なわけないだろ』と個人通信で奈良坂がキレたが、これも秀次の最大級の気遣いなんだろう。許してやってくれ。やれやれとひっくり返った体勢のまま頭をぽりぽり掻いた。2、3言声をかけた秀次がようやく背中にも手を回せば、それを拍子に秀次の服を掴んで縋るように泣きじゃくる*さん。怖かったとようやく声に出せてむしろ安心すらしてそうだ。なんにせよ良かった。俺の蹴られ損だったらもう一発殴りに行ってたわ。

 もう時期現着すると言う奈良坂の通信にやれやれと立ち上がっては*さんに声をかける。服がボロボロで目を真っ赤にして鼻をすする姿はちょっぴりそそられたなんて変態チックな考えは死んでも口に出さない。

「〜〜ッ!? あ、え、あのっ、」
「……そんな顔をこいつに見せるな」
「へっ、えっ!あ、みみみみみみわくんッ?!」
「ぶっは!そりゃねーだろ秀次〜」

 *さんが秀次を引き剥がしたかと思えばまた逆戻り。また嫉妬心バリバリの発言で抱きしめるときた。秀次の執着心の異常さにはいつもヒヤヒヤさせられる。だがしかし面白いのもまた事実。一人ケラケラ笑っていたら、さっき通信があった奈良坂と古寺が窓から入ってきた。よ、なんて声をかければお疲れ様ですと古寺の礼儀正しい返事が返ってくる。

 あれよあれよと二人の自己紹介が済み、秀次の腕の中で混乱している*さんにも、一向に離す気配のない秀次にも笑いを堪えていた頃、蓮さんが本部に連れてきたらと提案してきた。

『先にケガの治療を、』
『大きな怪我もなさそうだし、本部でも手当てはできるわ。それに、』

 その後に続いた言葉にあぁ、と、一同が納得した。記憶封印措置。戦い方全面が機密情報のボーダーのトリガーを目の前で見たのだ。されないわけがない。せっかく助けたヒーロー秀次の姿も綺麗さっぱり忘れてしまうわけだ。なんだかなぁと思いつつも仕方ないと割り切って*さんに向き合った。

「てな訳で、」
「え?」
「*さん、とりあえず本部に行くか」
「…………え??」

 ぽかんとした間抜け面は最高だった。コロコロ表情変わって面白い。秀次が好きなタイプはこう言うのか。つーか二人はいつまで抱き合ってんだ。無意識か?無意識なのか?でもこれを突っ込んだら二度としなくなりそうだからそっとしておく。俺ってばやさしー。

『車は来てるか?』
『それが……結構時間かかりそうなのよね』
『早く怪我の手当てはしたほうがいいだろう』
『じゃあ三輪くん、*さんを抱えて連れてきてくれる?』

「ブッフォッ!!」
「え、どうしたの米屋くん、」

 これは流石に吹いた。蓮さんが強すぎるし秀次も固まった。奈良坂はなるほど、みたいな妙に納得した顔してる。古寺は一人ついていけてない。

『か、抱えって、え、あの、』
『そのほうが一番早いでしょう、あなた達なら車よりも本部に一直線で来れるんだもの』
『そ、れは、そうです、が……、』
『*さんの怪我も早く治したほうがいいもの。顔の傷が一生残ったら三輪くん責任取れるの?』

 いつになく責めまくりの蓮さん。一人腹を抱えた。*さんが心配してくれているが自分の心配をしたほうがいいと思う。やべぇ、笑いが止まんねー。

『お、おぶるなんてそんな……っ』
『え?もちろんお姫様抱っこよね』
『いいのか三輪。おんぶは*さんの胸がお前の背中に当たることになるんだぞ』
『おっ、む……っ!?!?』
『なっ、奈良坂せんぱっ……!?』

「ゲッホ、オエッ、ゲホガハッ、」
「よ、米屋くん大丈夫っ!?」

 奈良坂の爆弾発言に全俺が死んだ。古寺は立ったまま泡吹いた。しれっとした顔で言うもんだからもうこいつこんなにむっつりだったとは知らなかった。そうだけどそうじゃねぇ。さては奈良坂お前今回本気だな?キャラ壊してまでこの二人を引っ付けようとしてるな?
 三輪はもうパニックだし顔真っ赤だし目ぐるぐる回してるし可哀想な状態になっている。蓮さんと奈良坂を組ませたらやばいなと痛む腹をさすりながら必死で息を整える。マジで死ぬ。笑いすぎて死ぬ。

『お前がしないなら俺がする』
『! いい、俺がする!』
『*さん制服ならスカートでしょ?ちゃんと腰回りを服か何かで巻いてあげないと下着が見えちゃうわよ』
『したっ、は、え、あの、ッ』
『まぁ三輪くんがどうしても見たいって言うなら構わないけど……』
『なっ……そんな迅みたいな変態じゃないです!!!』
『蓮さ、いじめすぎっすよっぶふッ……!』
『笑うな陽介!!』
『無理無理腹筋が死ぬ!!』

 あぁ、くそ!と秀次がトリガーを解除し、いつも通りの真っ黒い服装でパーカーを脱ぎ出した。*さんはいきなり叫んだ秀次にビビったのか、肩を跳ねさせて一部始終を見ているだけ。

「*」
「は、はいっ」
「腰に巻け」
「え?あ、わ、わかった!」

 そのパーカーを受け取ると、すぐさま立ち上がろうと床に手をついた*さん。服が床につくのを避けようとした行動らしいが、右脚を支えに立とうとした瞬間、その姿勢が崩れた。

「いっ、!」
「っ、*!」

 ……うん、今日で何回二人が抱き合ってるの見たんだろう、俺。*さんが倒れそうになったのを秀次が抱きしめて支えた。以上。それ以上でもそれ以下でもない。もう二人して顔真っ赤だし奈良坂ガン見だし古寺顔を手で覆ってるしカオス。ツッコミがいない現場がこれほど辛いとは。誰か生駒隊の誰かを連れてきてくれ。

「あっ、わごごごごめん!!その足挫いてたの忘れててっ、」
「……足まで怪我してたのか……」
「ど、どんくさいから!私!あ、ほら、巻いたよ!あの、えっと……」

 う、と顔をしかめた秀次。あれは怒っているのではなく全力の照れ隠しだ。ド下手にもほどがある。しかし腹を括ったのか、「トリガー起動オン」と言っていつもの換装体に姿を変えた。さて頑張りどころはここからだ。

「……本部に向かうぞ」
「あの、本当に行くの……?」
「嫌か?」
「……行ったことないし、ちょっと、怖い……」

 しおしおと秀次の超至近距離で眉を下げる*さん。あれは人工か天然か。俺がされたら速攻で落ちる気がする。気になってる子なら尚更だ。男は女の子の怖いにめっぽう弱い。

「……大丈夫だ、俺がいる」
「三輪くん、」
「怖い思いなんてさせない」

 なんだこれ。見てるこっちがくそ恥ずい。ドラマのワンシーンかよ。思わず顔を逸らした寂しい男3人はまたも秀次を省いて蓮さんと四人で内部通話に切り替えた。

『やるじゃない三輪くん』
『さすが先輩です……かっこいい……』
『俺が女子なら惚れるわ』
『ここからが最難関だけどな』

 さて我らが隊長はどうするかあーーーーっといきなりお姫様抱っこだーー。これには*さんが固まったーー。なんなの?お前ヘタレなの?大胆なの?バカなの?イケメンなの?なんなの??

『隊長……男っすね……!!』
『え、もうしたの?』
『はい。無言でしました。』
『*さんめっちゃ固まってて笑えます』

「このまま行く」
「待って」
「聞こえん」
「本当に待って」
「足を怪我しているだろう」
「お願いちょっと待ってくれませんか……っ!?」
「なんだ!」
「私が聞きたいよ……っ!!」

 *さんが混乱して口調がやや荒ぶった頃、蓮さんからの容赦ないお達しに俺は顔を引きつらせた。わかりましたと奈良坂が一言。この二人まじで恐ろしい。
 スタスタと二人の元に歩いて行った奈良坂。マジで言うのか、お前すげーな尊敬する。

「*さん」
「はいっ!?」
「お姫様抱っこってされる側がする側から離れてたら重心の関係で結構重いんだ」
「……え」
「だからちゃんとしっかり離れないように三輪首に腕を回したほうがいいよ」

 *さんの顔が死んだ。秀次の顔はトマトになった。正直換装体の俺らは女の子一人くらい片腕で持ち上げれるが、*さんはそれを知らない。空気を凍らせた(一人は沸騰させた)だけでは飽き足らず、奈良坂は「じゃあ俺らは行くから」と言って俺ら二人に目配せをした後、意味深に頷いては颯爽と窓から飛び降りた。いやお前すげーよ。この状況の二人を取り残して行くとか最強かよ。

「あー……じゃあ後でな?秀次、*さん」
「お、お疲れ様です……」

 うちの隊での権力ランキングは蓮さんが不動で次は秀次かと思っていたが全然違う。奈良坂様だった。隊長の威厳はあの場ではミジンコほどもなかった。

 後方では*さんが「失礼しますごめんなさい」とデカイ声で叫んでるのが聞こえて、権力ツートップにいいように踊らされてんな*さん、と流石に同情した。

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