充分煮詰めた恋心





「いらっしゃい、三輪くん」
「…あぁ、」

 学校が休みの日、初めて*のバイト先に足を運んだ。*が言っていたように本通りから一本隣の裏道に佇んでいる隠れ家のようなそこは知る人ぞ知るお店のようだ。
 カランカランと中に入れば、まず店の雰囲気よりも*の姿が目に飛び込む。

 デニムのカッターシャツに黒スキニーとブラウンのカフェエプロン、シンプルな服装なのにオシャレに見えるのは店の雰囲気もあいまってだろうか。いつもと違う服装に目が惹かれたのは言うまでもない。

「似合ってるな」
「えっ」
「その服装」
「ほっ、ほんと?うれしい、ありがとう」

 恥ずかしそうにメニューで顔を隠した*。そんなに照れなくても、とこっちが恥ずかしくなる。

「あ、えっと、三輪くんも、私服、かっこいいね」

 いつも通りの服装で行こうとしたらどこからか嗅ぎつけた米屋と出水、そして米屋から話を聞いたらしい奈良坂から服をコーディネートされた。いらん世話だと言ったがかなりの圧に折れた。あれだこれだと着せられては怒る暇もなく背中を押され、よくわからないまま気づけば店の前。なんなんだあいつらは。

「……注文いいか?」
「うん!はい、こちらメニューです、お決まりでしたらお声かけください」
「何がオススメだ?」
「コーヒーはどれでも美味しいよ、何で飲む?ブラックとかカフェオレとか」
「カフェラテがいいな」
「それならイチジクのタルトがオススメかな、程よく甘くて美味しいの」
「ならそれにする」
「かしこまりました、カフェラテとイチジクのタルトですね」

 伝票にスラスラと書き始めた*は学校と随分違うように見える。別人かと言うくらい楽しそうだ。
 「ちょっと待っててね」と笑みを浮かべて厨房へと向かっていった後ろ姿をぼんやり眺めた。レトロな雰囲気で洒落た音楽が流れる店内はとても落ち着く。カランカランとまばらに人が訪れては立ち去っていく様子がさながら映画の中のようだ。

 カランカラン。
 そう周りの空気に浸っている時、完全に気を抜いていたが「秀次?」と俺の名前を呼ぶ声にびく、と肩が跳ねた。

「っ、東さん?」
「珍しいな、お前がここに来るなんて」
「……クラスメイトが、ここで働いていて、」
「あぁ、*ちゃん?仲良かったんだな、知らなかったよ。隣いいか?」
「っはい!」
「あ!東さんだ、いらっしゃいませ」
「久しぶりだな」

 まさかの登場人物に頭がついていかない。センスのいい東さんだからこう言う店に来るのもなんらおかしなことではない。いや、でもまさかこんなところで会うことになるとは。

「今日学校は休みか?」
「はい。その……、たまたま*に勧められて今日初めて来ただけで、」
「わかってるさ。仲の良いクラスメイトなんだろ?」
「! はい!」

 この世は男女がただ歩いているだけでカップルだなんだと噂されるような面倒な世の中だ。また訂正しなければならないのかと思っていたがさすが東さん。あの馬鹿共とは違う。

「東さんお久しぶりです、最近見られなかったので心配しましたよ」
「悪い悪い、ちょっと立て込んでてな」
「三輪くんの知り合いだったんですね」
「そ、俺の元教え子」
「教え子!?そうだったの!?」
「あぁ、東さんの部下だった」
「へぇ……世間狭いですね……」

 東さんがボーダーということは知っていたようだったから、なぜそこが繋がらないと思っていたのか疑問に残る。しかし軽快に会話を進める2人にうまくついていけず、ただ聞き流すだけの作業を繰り返した。なんとなく仲睦まじい2人から視線を逸らす。

「あ、そうだ、ご注文はいかがなさいますか?」
「んー、エスプレッソとメープルシフォンケーキを頼む」
「かしこまりました、少々お待ちください」

 そう言って早足に厨房に向かった*。厨房前のカウンターに手をつきながら注文を言っているのだろう、その先のチラリと見えた店主のような人は20〜30代そこそこに見える若くてスラッとしたいかにも優しそうな見た目のいい男だった。

(……*の顔が赤い、)

 彼氏はいないと言っていたが、好きな奴はいるのだろうか。爽やかで、顔も良く、誰もが好感を持ちそうな店のオーナーらしき人物。初めて見る*の赤くなった顔は俺とは程遠い人種に向けられているものだった。

 ふぅ、と息を吐いて肩を下ろした。どうにもこうにも、俺には関係ないと何度言い聞かせれば良いのか。

「秀次」
「……? どうかしましたか、東さん」
「んー、お前とこういう話したことなかったけどさ、」
「? なんのことですか?」

 ぽりぽりと頭を書く東さん。これは困っている時の仕草だ。珍しい。東さんが困るなんて相当なことがあったんだろう。

「あー……お前、好きな子とかいたことある?」
「……………………?」
「いや、悪かった、はやとちったな、悪い」

 眉間に自然にシワが寄った。東さんは考えなしに物事をいう人ではないから、いきなりこんな話をして来たのも何か意図があったのだろう。しかし深追いしないところを見ると、そんな大した内容でもないのか。
 一人首を傾げていたら、*がコーヒーカップと皿を手に持って歩いてくる姿が目に飛び込み、無意識に背筋が伸びた。

「お待たせいたしました、カフェラテとイチジクのタルトです」
「……あぁ、ありがとう」

 コト、と最小限の音をならして正面が俺に来るように並べられた二つを見た。女性向けにはちょうど良いサイズに思えるそれは俺には少し小さそうだ。
バイト中だからだろうか、時折話される敬語は*を別人のように見せる。

「東さんはもう少々お待ちくださいね、今店長が急いで作って、」
「はいお待たせー!」

 ニカッと笑う*の後ろから現れた背の高い顔の整った男。先程*が顔を赤らめていた要因となる人物だった。表情の明るい要因を見て、勝てないな、漠然とそう思った。何で勝負しているのかと聞かれれば人としての何かだろう。それと同時に*が惚れるのも無理のないごく自然なことだと思った。

「やっほー、東」
「よ、クラ」
「東さんと店長、大学の同期なんだって」
「……そうか」

 こそ、と俺に教えるために腰を屈めて耳元に近づいた*。ふわ、と香った甘い菓子の匂いや不意に見えた鎖骨に思わず釘付けになる。ぎゅう、と変に心臓が締め付けられて、目を細めた柔らかい表情に居たたまれなくなった。

「嫁さんと子供は元気か?」
「元気元気。ちょー元気。相変わらず家帰ったら天使が2人」
「! 結婚されてるんですか、」
「おう!ヨメもムスメも超天使!」

 それなら*は既婚者に片思いをしていることになるだろ。まさか*の思い人を知った途端に失恋を知ることになるなんて。見た限り不倫をするようなタイプではなさそうで遊ばれる心配もなさそうだから少し安心したが、こんな会話、*には辛いんじゃないのか。

 途端にハラハラと胸がざわつく。*が嫌な思いをしているかもしれない。早く会話を逸らさないと、でも俺にそんな技術も気遣いもできない。一人勝手に焦っていたら、店主がじっと俺に視線を向けていることに気づけなかった。

「それで、君が『三輪くん』ね」
「ッ? はい、そうですが、」

 ニコニコと人の良さそうな笑顔。そのまんま嫌なことは考えてなさそうだが変に裏がある感じは好きになれそうにない。

「いつも*ちゃんが世話になってんな〜」
「ちょ、店長……っ!」
「いえ、……とんでもないです、」

 キラキラ。そんな効果音が似合う爽やかな男性だ。俺にはないものを全部持っていそうな感じがして言葉に詰まる。*の好きな人。男の俺から見てもかっこいいと言わざるを得ない。

「良い女だろ*ちゃんは〜」
「わー!もう!余計なこと言わないでください!!」

 グイグイと店主の腕を必死に引っ張る*。触れている腕になんとなく気分が悪くなる。俺はそこまで触れられたことがない。この感情の名前はきっと嫉妬に近い。なんで、俺が初対面の男に嫉妬しているんだ。

「可愛いし頑張り屋だし、素直で一途!いやぁ、良いやつ、いでででっ、痛い痛い*ちゃん!!」
「三輪くんに変なこと言わないでください〜〜っ!!」
「そうだなぁ、*ちゃんは良い子だ」
「東さんまでっ、何ですかこのいじめは!やめてください良い年した大人が!」

 テンポのいい会話にじわじわと心臓に嫌な熱がこもった。茶番にすら見える光景に目つきが鋭くなりそうなのを必死で抑える。

 それだけじゃない。もっと、もっと俺は、*の良いところを知ってる。なのに俺よりも*のことを昔から知っているこの人に色々言われるのがとてつもなく悔しかった。

「知っています」

 机の下で握りしめた手は微かに震えていた。*が小さな声で「え、」と戸惑うように声を出したのを遠くの方で聞き流す。

「*のいいところ、もっとあること、俺も知ってます」

 自然に視線が*に向く。ぽかんと口を開けて俺を見返す姿に笑ってしまいそうになった。

「俺、…………*の隣の席ですから」

 俺だって。俺だってちゃんと知ってる。まだ知らないことは多いが真剣に*と向き合ってる。素直さも、穏やかさも、よく笑うところも、好きなことに夢中なところも、真面目だがたまに授業中に寝て、焦ったりするところも、照れたように笑うと肩をすくめて歯を見せて笑うところも、知っている。

「……そうか、隣の席なんだな」
「だってよ、*ちゃん」
「〜〜っ、あ、えっと、わ、わたしお皿洗いしてきます!!」

 ぴゅーとその場を早足で去っては俺が見えない場所に入っていった*。その姿を見た東さんがプッと吹き出した。こんな風に笑うのは珍しい。一体何が東さんのツボに触れたのだろうか。

「*ちゃんと隣の席かー。」
「ッカー、青春だなぁ〜〜!!」
「俺らにはもうない響きだな」
「羨ましいねぇ!若いねぇ!」
「店長!?また変なこと言ってますね?!」

 泡がたったスポンジを片手にひょっこりと顔を現した*。相当怒っているようで、顔を真っ赤にさせて眉間に皺を寄せていた。あんな顔も初めて見た。*は俺に怒りを向けることがない。クソ、また苛立つ。

「いや〜、お前の好きな男の話してるだけだぞ〜〜」
「はっ、え、あ、ちょっ三輪くんの前で何言って…っ!?!?」
「*ちゃんってクラのことが好きなんだっけ?」
「え?そうなのか?いやぁ俺愛されてるゥ〜」
「んなわけないじゃないですか東さん!!こんな意地悪店長なんてこっちから願い下げです!!!」
「じゃあ誰が好きなんだ?」
「言うわけないじゃないですか!!!」

 いい加減にしないとイロハさんに言いつけますよ!と言った途端に謝った店主。思わずフォークを滑り落として、ガチャ、と食器がぶつかって音を鳴らした。手を拭きながらやってきた*は口をへの字に曲げて店主を睨んでいる。おそらくイロハさんとはこの人の妻なのだろう。その光景に東さんはケラケラ笑っていた。

 そんなことよりも俺は、*に好きな奴がいたことに驚きを隠せない。いや、最初こそはこの店主だと思っていたが、実際に本人の口から言われると酷く焦った。この店主でないにしろ、やはり本当に好きな奴がいたのか、と何故か心拍数が上昇した。

「好きな奴いたのか、*」
「ッへっ、あ、えっと、あの…その、」

 いるのか、好きな奴。この店主じゃない違う男。まぁ好きな奴の一人や二人多感なこの時期ならなんらおかしくない。おかしくはないが、なぜか面白くもない。

「……誰だ」
「んグッ!」
「…………おい東、お宅んとこの教育どうなってやがんだ。*ちゃんが固まっちまったじゃねぇか」

 俺の発言に驚いたのか、東さんがコーヒーを少し吹き出した。何をそんなに驚くことがあったのか。しかしそんなことを気にする余裕は皆無で。

「誰なんだ、*の好きな男は」

 なんて言って欲しいのかわからないが、とにかく知りたかった。この店主よりも見栄えのいい男なのだろうか。クラスでも*と仲いい奴は他にいる。その中の誰かか。

「……なんで三輪くん、そんなこと気にするの、?」

 半笑いでどこか嬉しそうな*。戸惑っているのがありありと伝わってくる。これに俺はどう答えれば*を喜ばせれるのか。

「……協力、できるなら、する」

 これは、俺の本心なのだろうか。きっとあれだ、仲良くなった*だから。恋をしているのなら叶って欲しいと思っただけで。なのになぜか、言った言葉にツキツキと心臓が痛んだ。
 きっと何か間違っていたのかもしれない。*はみるみるうちに顔をぐしゃりと歪めた。

「……できないよ、三輪くんには、絶対。」
「なんでだ、やってみなければわからないだろ」
「わかるよ、できないって」
「だからやる前から諦めてたら元も子も、」
「無理だよ」

 きっぱりと言い張った*。ここまで口調が強い*は初めてだった。俺はただ*の喜んだ顔が見たいだけなのに。なのになんで*は怒ったような、苦しんでいるような顔をしているんだ。何かが*を怒らせた、そんな事実だけがポツリと残る。

「ゴミ出し行ってきます」
「あー、……えっと、気をつけてな」
「……俺らも食ったらすぐ帰るか、秀次」
「……はい、」

 人付き合いが苦手な俺にこんな状況どうにかすることもできず、ただそのあとは*の姿を見ないまま冷めたカフェラテを飲み干した。甘酸っぱいイチジクのタルトも美味さがよくわからない。

「悪い、やりすぎた……」
「いや、俺も乗ったんだ、クラだけのせいじゃないさ。それよか*ちゃんのフォローよろしくな」
「賄い食わせて愚痴聞いてやったら多分元に戻るだろ、*ちゃんのことだからな」
「それなら安心だな」

 そんな会話をボソボソと繰り返していた二人の奥で、*の後ろ姿がちらりと厨房から見えた。こちらなんて一切見ないと宣言でもするような後ろ姿にまた胸がツキツキと痛んだ。

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:

「秀次は、*ちゃんのことどう思ってるんだ?」

 本部に向かう帰り道。なにに対して謝っているのかわからない東さんがごめんなと一言言って奢ってもらったあと、沈黙が続いていたのを破ったのはその言葉だった。

「……友人、です。」
「じゃあもし、*ちゃんに彼氏ができたら、秀次はどう思う?」
「……恋愛は本人の自由なので、俺が何かを思うことはありません」
「……そうか……、」

 ズキズキ。イライラ。ムカムカ。
 *の赤くなった顔。俺に向けたことのない顔。他の男に向けている顔。柔らかく、俺にだけ微笑む顔。それがなくなる。

 別に、別に俺には関係ない。

「何か思うことはないって顔、してないけどな。秀次。」

 よくわからないが、すごく嫌だ。この感情は、なんだ。

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