砂糖三つと紅茶の香り
まるで見世物のような視線を浴びながら基地内をぐるぐる駆け回り、着いた先は何処かの部屋。「失礼します」と返事も待たずに問答無用で中に入ったそこはいろんな機械がたくさん置かれていて。
「わ、すご……」
「うちの開発室だ」
「か、かっこいい……」
趣味が機械いじりの私にとってはいじりたい欲を刺激されまくる部屋だった。うわぁ、うわぁ、と一人興奮しながら三輪くんにお姫様抱っこされてるのも忘れるくらいはしゃいでしまっていた。
「……先に手当てするか」
「あ、ありがとう、ございます……、」
この部屋で?と思いつつ、大人しくされるがままに椅子に座らせてもらい靴を脱いだ。いてて、とできるだけ刺激しないように靴下を脱げば、見事に腫れ上がった足首がお見えになる。
「うわぁ……」
「冷やすものを持ってくる」
「あ、はい、ありがとう、三輪くん」
「あぁ」
いつになく穏やかな三輪くん。もう怒ってる雰囲気は全くなくて、やさしい声のトーンにほっと心が緩む。
「あら、こんなところにいたのね、*さん」
「え?」
ガチャ、と部屋に入ってきたのは髪の長い綺麗なお姉さん。スーツ姿のすらっとしたかっこいいお姉さんに知り合いはいなくて、えっと、と返事に困ってしまった。どこかで会ったのかな……?
「あらごめんなさい、私三輪くんの隊のオペレーターなの。月見蓮、よろしくね」
「三輪くんの……、わ、私**と言います、よろしくお願いします」
オペレーターって……光ちゃんと同じだっけ。なんか、色々サポートするって聞いたから、月見さんはそうなんだろう。まさかこんなお姉さんがサポートしてくれるなんて……ちょっと予想外。で、自分のガキっぽさにちょっと引け目を感じてしまった。
「あ。安心してね?私三輪くんに恋愛的な興味はまったく持ってないから」
「っ!? え!?あ、いや、ちが、あのそそそそんなっえ、!?」
「ふふ、顔に出てたわよ」
「あっご、ごめんなさい、そんなつもりじゃ、」
え、と言うより、なんで月見さんは私が三輪くんのこと好きなこと知ってるの?三輪くん隊ネットワーク……ってそれ三輪くんも知ってたり……っ!?
……やめだやめだ、もう考えないことにしよう。うん、それがいい。
「*ちゃんって呼んでもいいかしら?」
「はい、うれしいです」
「私も気軽に蓮さんって呼んでね、みんなそう呼んでるから」
「はい、蓮さん」
蓮さんは大人っぽくてやさしかった。穏やかに進む会話が心地よくて、つい夢中になって話し込んでいたら、カチャ……、と控えめに開けられたドアから三輪くんが入って来た。
「……随分仲良くなりましたね」
「えぇ。*ちゃんいい子だもの」
「恐縮です……」
「*」
「え?あ、わっ、」
氷より先に手渡されたのはあったかいミルクティー。ぬくぬくとちょうどいい暖かさがペットボトルから伝わって来て、冷え切った指先をやさしく温めた。
「すまない、寒かっただろ」
「大丈夫だよ、ありがとう、うれしい」
コートも何も着ずに寒さの真っ只中をすごいスピードで走ったんだ、結構寒かったけど三輪くんが気を使って(どう言う原理がわからないけど)風が当たらないようにしてくれたからへっちゃらだった。それより三輪くんに抱きついていたって事実で熱かったというか。
でも指先はキンキンに冷えていたらしく、固まった指を解くように両手でミルクティーを包み込んだ。
「冷やすぞ」
「うぅ、つめたい……、」
「少しだけ我慢しろ、放っておくと酷くなる」
「ごめんね……ありがとう」
椅子に座る私の前で跪く三輪くんがさながら王子様みたいで恥ずかしくなって視線を逸らした。さっきもお姫様抱っこをされていたし、もう三輪くんは私をどうしたいんだ。かっこよすぎてにやける口を抑えようと変な顔になる。
指、ちゃんとネイルとかすればよかった。少しでも綺麗に可愛く見せれるようにしとけばよかったのに、素足というのは案外恥ずかしい。臭いとかしないかな、全力で走ったし、冷や汗たくさんかいたからお風呂入りたいよ……。臭いとか思われてたらどうしよう死にたい。
「白いな、*は」
「っ、え、あ、まぁ……外に出ること、少ないし……ちょっと病的だよね」
「? そうか?綺麗だと思うぞ」
「んぶっ……!」
っほら!こういうとこ!こういうところです先生!!恥ずかしさに耐えきれなくなって思わず蓮さんに助けを求める視線を送った。蓮さんはニコニコと微笑むだけだった。ちょっぴり意味深に。
あぁ、もうだめだ。触れられてるところが熱い。氷を当てられてるのに体が熱くなって、ミルクティーより熱くなるんじゃないかって思うほど。
「あ、ありがと……。」
ふぅー、と心を落ち着かせるためにゆっくり息を吐いた。好きな人に綺麗なんて言われたことがないからもう頭がぐちゃぐちゃだ。うわ、だめだ、いま絶対赤い。
どく、どく、どく、と心臓が強く脈打つ。好きの言葉がぽろっと出てしまいそうで、堅く口を結んだ。
「三輪〜準備できたぞー」
「……ありがとうございます」
「準備……?」
少しぽっちゃりな男の人が部屋の中にある扉の中からひょっこり顔を現した。なんのかな、と思って首を傾げていたら三輪くんが少し言いにくそうに視線を私にちらりと向けた。
「いきなりで悪い、ボーダーの決まりで*に記憶封印措置をとりたい」
「……え?」
記憶封印措置?と単語だけ聞いたらいい予感が全くしないそれに、どき、と嫌に心臓が音を立てる。真剣な三輪くんの表情はどこか怖くて、無意識に体を後ろに引いた。
「
「ま、待って?記憶を消すって……そんな、できるわけ……、」
「ボーダーにはその技術がある」
ゾッとした。それがさも当たり前みたいな口ぶりにウソでしょ、と曖昧に笑顔を浮かべる。記憶を消すって、そんな、全部……?
「今日あった出来事は全て思い出せないように封印させてもらう」
「……今日のこと、ぜんぶ?」
「あぁ。全てだ」
「っや、やだ……っ、そんなことしないで、!」
「……決まりなんだ、すまない」
「なんで、っ私別に誰かに言いふらしたりしないよ!」
「わかっているがそう言うことじゃないんだ」
蓮さんや奈良坂くんたちに会ったことも忘れるなんて。そんなの嫌だ、せっかく会えたのに、忘れちゃったらなかったことになるじゃないか。
三輪くんが、私のためにミルクティーを買ってきてくれたことも、怪我した足を手当てしてくれたことも、全部忘れちゃうなんてそんなの嫌だ。こんなに嬉しかったのに、忘れるなんてしたくない。
「やだ、忘れたくない!」
「……
「ならないよ、そんなの全然、忘れなくたっていいから!」
「怖かっただろ、殺されかけたんだ」
「っ、あ、あんなの別にへっちゃらだし、」
「手、震えてるぞ」
やだやだと幼子のように諭してくる三輪くんを遠ざけようと体を押す。しかし三輪くんはそんな子供の親のように優しい手つきで私の腕をとった。
怖かった。確かに忘れたいほど怖かった。本気で死ぬかと思った。トラウマになってもおかしくない出来事だった。あの時の
「っ三輪くんに、助けられたこと、忘れたくないよ、」
「……泣いてるお前を責め立てただろ」
「でも、こうして手当てしてくれてるし、あんなのなんともないよ……!」
だめだ、ここで泣いたら絶対だめなのに。うまく言いたいことが伝わらなくて、ポロポロと目から涙が零れた。ただ無我夢中でやだ、やだ、と繰り返しては首を横に振った。
「泣かないでくれ、お前の涙はどうすればいいかわからない」
「みっ、三輪くん、すごくカッコよかったの、ヒーローだと思ったの、お姫様抱っこだって、全部うれしかったの、」
「*、」
「おねがい、わたしから記憶を取らないで……っ」
感情が緩んでいるのか、涙が溢れて止まらない。再三謝る三輪くんにバカバカと八つ当たりした。もうただの駄々っ子だ。でもみっともないって思われたっていいくらい記憶を消されるのが嫌だった。
困ってるのがありあり伝わってきて、三輪くんが小さな声で「蓮さん……」と助けを求めた。
「うーん……こればっかりはごめんね、*ちゃん。ボーダーじゃない子はみんなこの措置をとってるの」
「じゃあボーダーに入ります」
咄嗟に出てきた言葉。いった自分ですら驚いたんだから聞かされた部屋の中の人はもっと驚いていた。
「な、何を言ってる!混乱しているのはわかるが、少し落ち着け」
「私がボーダーに入ったら、記憶消さなくていいんでしょ」
「そんな馬鹿げた動機があるか!」
「馬鹿げてないよ、私は真剣だもん」
ですよね、蓮さん、と続ければ戸惑ったようにえぇ、と肯定の返事が返ってきた。そうか、そうすればいいんだ。誰もなんの違反もしてない。
顎まで伝って少しこそばゆい涙を肩で拭った。いつのまにか涙は止まっていて、頭がクリアになる。三輪くんは私をつかむ腕の力が強くなって、目つきが鋭くなった。
「ボーダーはそんなふざけた気持ちでやっていけるほど甘くない」
「やるからにはちゃんとする。戦えなくても、エンジニアとしてやっていくつもりだよ」
「お、それは助かる。若い人手が足りないしな」
「寺島さん……!!」
あーだこーだと私を折れさせようと三輪くんがいろいろ言ったが全部聞き流した。もう何を言われても折れる気がしない。ダメだと強く言う三輪くんにゆっくり口を開いた。
「規則は何も破ってない。それともちゃんと真っ当な理由がないと入っちゃダメなの?そう言う規則があるの?」
「それは、……ないが……」
「私、記憶を消さないためならなんだってするよ」
「……なんでそんな、」
「だって三輪くんが助けてくれたから」
それ以上に理由なんていらない。そう付け足して言えばもう三輪くんはお手上げと言わんばかりに頭に手を当てて大きなため息をついた。そしてまた「蓮さん……」と助けを求めたが、蓮さんは三輪くんとは違ってニコニコと楽しそうだ。
「*ちゃんがボーダーに入るなんて嬉しいわ」
「なぁ、エンジニア希望だろ?早いとこ鬼怒田さんに話しつけよーぜ。俺がスカウトしてやるよ」
「ほ、本当ですか!?**です、よろしくお願いします!」
「……家族にはどう説明するつもりだ」
「家族は自分で決めたことは自分で責任持ってやり通せって主義だから、大丈夫」
とことん三輪くんは私の入隊に反対らしい。でもエンジニアさんがスイスイと話を進めてくれて、蓮さんも時たまアドバイスをくれて、三輪くんの反対を他所に私が入隊する話は面白いように進んで行った。まるで元からその準備が整っていたみたいに。
難しい顔をして眉間にシワを寄せる三輪くん。私のことを心配してくれるのはわかってるから申し訳なくなって、恐る恐る声をかけた。
「あ、あの、三輪くん……、」
「…………なんだ」
「……ちゃんと本気でする、もし私が邪魔になるならその時は記憶を消す。でもお願い、私にチャンスをください」
三輪くんの手を掴んでいたのは無意識だろう。ミルクティーで温められた私の手は三輪くんのより温かくて。この熱全部伝われと言う思いで指先に力を込めた。
「……楽な仕事じゃないぞ、危険もあるしエンジニアへの周りの期待も大きい」
「うん」
「普通の機械いじりとはまた違う」
「わかってる」
「…………辛くなったら、すぐ言うんだ」
「! 三輪くん、」
「無理はするな」
もっと怒ると思っていたし、呆れてしまうとも思っていた。でもやっぱり三輪くんはやさしくて、許してくれたことに安心して、するりと掴んでいた手を解いた。名残惜しくてゆっくりになってしまったけど普段の私じゃ考えられない大胆な行動にすごいな自分と頭の中ですこし笑った。
「ありがとう、三輪くん」
この時三輪くんは少し目を見開いて、そして少し素っ気なく「あぁ」とつぶやいた。