06

「おかえり。どうだった?体育館一周して見て」
「っへ、え、あ、す、すごいです!」
「説明しながら周っただけだよ」

少し笑みを浮かべてやれやれといった感じで腰に手を当てる黒沢先輩。何もかも初めましての私にはもうすごいとか、やばいとか、そんな頭の悪い言葉しか出てこなかった。だって本当にすごくやばいんだもん。

「△さんの代の北一って、どこまでいったんだ?」
「っあ、えー…決勝戦敗退、でした」
「なんかすごい子いたって聞いたよ、えっと…王様?だっけ?」
「あー、名前だけ聞いたことあるわ。それ北一のことだったんだな」
「めちゃくちゃうまいとか下手とか噂聞いたけど実際どう…………▽ちゃん?」

カサブタになりかけた傷口に、泥を塗りこまれるような痛みに襲われた。私の頭は「王様」という言葉を聞くだけでいとも簡単に思考を停止させてしまう。

「▽ちゃんどうしたの?大丈夫?」
「っ、あ、え…あ、だ、大丈夫、です、」
「顔色悪いぞ?保健室行くか?」
「い、いえっ、大丈夫です」

「自己中の王様」「コート上の独裁者」。天才だった彼がチームメイトに付けられた皮肉な名前だ。言葉選びができない彼が、キツイ言葉でチームメイトに指摘をする姿は誰がどう見てもそう思えるものだっただろう。私も、彼が怖かったから。

「…………」
「……北一時代、なんかあったの?」

黒沢先輩たちは、学年的には私たちとはまるまる入れ替わりだから関わることは全くない。天才の彼のことを聞きはしても見たことはないだろう。

「……ちょっと、けんか、と言うか、ゴタゴタしてしまったんです」

なんかあったじゃ済ませないほど私の心臓は不可視のナイフで抉られた。付けられた傷はやっと塞がりかけたと思ったけど、すぐに開いて血が流れるようだ。その血が、透明になって目から出るもんだから堪ったもんじゃない。

「……ま、中学生だもん。多感な時期だし、そりゃうまくいかないときはゴタつくよ」
「そ、うですね、はい………そうだと思います」
「それにさー、男って、熱中することができたら周りなんてぜーーーんぜん気にしなくなるもん」
「…………そうですね」
「おいおい、俺は気にしてたぞ?」
「気遣いが足りない」
「厳しいな」

黒沢先輩も、そんな時があったんだろうか。いろんなこと言われて、たくさん傷ついたんだろうか。

「ちょっと優しく言ってくれたり、思いを吐露して甘えてくれればいいのに、シャイで甘え下手だからってなんでその言葉選んだテメェってブチギレたくなる時とか私もあったし」
「! そうなんですか、」
「あー……一時期荒れてたもんな、お前…」
「そーそー。選手の気持ちがマネにわかるわけないだろー!なんて言いおってさ。お前だって私の気持ちわからねぇだろ!ってなったもんだよ。本当はいろんなことでいっぱいいっぱいになって助けてほしいはずなのにさ」

自然とこぶしに力が入ったのが嫌でもわかった。同じだ。私も、その言葉を言われた。何回も、その言葉を突きつけられた。でもそれが甘え下手から出た言葉だったとは思えなくて、そこだけ少し混乱した。
次の言葉を出そうと、ごく、と唾液を飲み込んだ後の口の中は、ひどく乾燥している。

「そ、のあと、どう、したんですか」
「我慢した」
「え、」

ぱ、と顔を上げれば、困ったように笑う黒沢先輩。三年の大きな差を感じてしまった。

「男って、馬鹿だから。最終的には女が許すか水に流してあげるしかないんだよ」

いつか私に、できるだろうか。忘れようとしている彼らを許すことが、果たして可能なのだうか。

「言った後もずっと後悔してたんだろうね、ごめんなさいって泣きながら謝ってきたから、もう許しちゃった」
「…………許せる、もんなんですか、?」
「気持ち切り替えようって決めた私より傷ついた顔してるんだもん。最初は流石に腹が立ったけどね」
「……その人は、言った言葉、後悔しているんですかね、」
「さぁ。でもしてるにしろしてないにしろ、結果は同じ」

言われた言葉に、こんなに傷つくんだってくらい苦しめられた。大好きでこれからも一生仲良くするんだろうなって思ってた3人が、今じゃ名前すら言えないほどトラウマになってしまった。そんな3人を、いつか許せる日が来るなんて今じゃ到底思えない。

「馬鹿たちの世話役のは大変だけど、本当は素直でいいやつなのは知ってるから」
「……馬鹿で悪かったな」
「よっ、馬鹿代表」
「クッソむかつくなこの野郎」

ぽん、と頭の上に置かれた手。瀬見先輩とは違った、小さい手だったのに、私には瀬見先輩よりも大きいものを感じた。

「謝ってきたときはちゃんと私の気持ちも言ったよ?傷ついたとか、ムカついたとか、本当は顔も見たくないとか」
「……………………」
「でもあいつは私の言葉を全部受け止めた」
「……………………」
「だから最後は往復ビンタで許したの」
「………………お、え?」
「△さん、こいつのビンタまじでヤベェから」
「往復ビン……え??」

シリアスな展開から一変、まさかのワードに頭が混乱した。往復ビンタって、あれだよね、多分私が思ってるので間違い無いと思うんだけど、こんな華奢で綺麗な先輩が、あんなでかい男子高校生に往復ビンタって……ちょっと信じられない。

「監督よりお前のビンタの方が軽くトラウマだわ」
「あれは亮介が腑抜けてたから一発入魂してあげたのよ」
「魂吹っ飛ぶかと思ったっつの」
「あ、あの、えっと…」
「あ、ちなみにマネの引き継ぎノートに痛いビンタの方法が載ってるから安心してね」
「え」
「おまっ、あれ代々引き継がれてんのか!?」

マル秘ノートのやつだよ、と言われてカバンの中を漁った。そうすれば一つだけ妙に派手派手しい背表紙があったからそれを見てみれば、表紙には赤丸の中に秘密の文字が。

「最後のページ…あ、そうそう、これだよ」

タイトルは「スカッと!渾身の一発を決める方法!!!」と力強く書いてある。なんだこれは。

「指は0.5から1センチほどあけて腰のひねりを意識…ってガチのやつじゃねぇか!」
「必要なものに気合とこれで相手を沈めるっていう殺る気なんだから笑えちゃうよね」
「笑えねぇわ!!肝が冷えたわ!!なんてこと引き継いてんだよ!!!」

まじか…、とそのページを眺めていたら、わしゃわしゃと髪の毛を撫でられて思わず顔を上げた。黒沢先輩はゆるゆると口角を緩ませて笑っている。

「馬鹿には分からせないとダメな時があるからね。あ、でも渾身の一発なんだから、乱用はしたらダメだよ?」
「は、はぁ…、」
「△さんは優しく育ってくれますように…」
「何言ってんのよ、優しさだけじゃここで一緒に戦えないよ」

これが、三年の差か。
私には先輩が大きすぎて別次元の人のように見えた。私、こんな偉大な先輩に、なれるのかな。

「うちは、馬鹿のレベルが県内トップクラスだけど、」
「おい、県内トップはバレーの話だぞ」
「最後まで聞く!……でも、誰よりも強くなろうとしすぎて、心が追いつかない時があるから」
「…………はい、」
「だから、マネが選手の心を支えて上げて。私たちの戦い方はそれしかできないけど、それが何よりも必要だから」
「黒沢」
「はい、コーチ。ごめん、ちょっと行ってくるね」
「は、はいっ、!」

コーチ、と呼ばれた眼鏡をかけた人の元へと走って行った黒沢先輩。言われた言葉が全部沁みていって、心臓が熱くなっていくのがわかった。

「すげぇだろ、俺らのマネ」
「……惚れるかと、思いました」
「おう。俺も。」
「えっ」
「冗談冗談」

ぽんぽん、と二度頭を撫でた蔵王先輩。今日はよく撫でられるなぁ、と思いながらもその手に少しだけ甘えた。先輩って、こんなにかっこいいんだ。

「まぁ、なんとなく中学であったことは察したけどさ」
「……はい、」
「マネ、△さん一人になるかもしれねぇからさ、頼れる同性がいないってすげぇ心許ないと思うけどよ」
「、そう、ですね、」
「選手も、マネも仲間だから、頼る時は頼ってくれよ?多分あいつら、△さんに頼られたら食いつく勢いで力になろうとするから」

今日は、何回泣きそうになったら気がすむんだろうか。じわ、とこみ上げてくる何かを飲み込もうと唾を飲み込んで息を大きく吸った。苦しくて、でも嬉しいなんて不思議な気持ちだ。

「はい」

少し震えた声は、バレちゃったかな。はは、と笑って髪の毛をぐしゃぐしゃにする蔵王先輩にされるがままにしていたら、コーチに呼ばれた黒沢先輩がおーい、と私を呼んだ。

「ほら、行ってこい」
「はい!」

フロアの上を靴下で滑りそうになりながら全速力で駆け寄った。コーチの前に立った私の両肩を支えて、この子が、と紹介を始めた黒沢先輩。

「次の一年生のマネ希望の子です。私が教えられるうちにと思って今日たまたま来てたみたいなので呼びました。はい▽ちゃん、自己紹介。」
「きっ、北川第一中学の男子バレー部マネージャーをしていました、今年入学する△▽ですっ、よろしくお願いします!」
「黒沢がいてる間でよかったよ。コーチの斉藤だ。大変だろうけど、よろしく」
「はい!お願いします!」
「もうすぐ休憩だから、ドリンク配るの手伝ってくれる?」
「はい!」
「優しくしてやってくれな、黒沢」
「何行ってるんですか、私がいる間に全部教えないとダメなんですよ?インハイまでにこのチームで戦えるようにしないと」

このチームで、戦えるように。
その言葉だけで、ここに来てよかったって、心から思えた。ここじゃなきゃ、ダメなんだ。ここが、これからの私の居場所なんだ。

「っ、精一杯頑張りますので、ご指導よろしくお願いします!!」

気づいたら、そう叫んでいた。びっくりした部員がチラチラ私を見て、黒沢さんが「わ、」と驚いたように目を開いた。でもそのあとクスクス笑って、「任せて」と拳を私に突き出した。

「ん」
「え?」
「はい、ぐー作って」

言われるがままに拳を作れば、コツン、とそれに黒沢先輩のがぶつかった。

「食らいついて来てね」
「っはい!」

同じくらいの大きさの拳なのに、黒沢先輩のは大きくて、優しかった。
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