26

「△さんは熱が38度を超えてたようなので今から帰ります」

 そう淡々と牛島さんや添川さんに報告した白布さんに、ほんの少し体育館がざわついた。

「……そうか、監督には俺から伝えよう」
「いえ、保健室の先生が直接監督には言ってくれるそうです」
「あちゃー、やっぱ無茶してたんだね」
「だから言ったってのにあの強情娘め……」
「荷物を持っていくので俺はこれで失礼します」

 俺はと言うと、気づけなかったことに対する自分への怒りや、もしかしたら俺が無理をさせてたかも知れないって言う後悔、それから、あんなきついこと言わなくても良かっただろ、という白布さんに対してのむしゃくしゃとした名前のつけられない感情を抱いていた。

「五色、顔怖いぞ」
「……寒河江は、どう思ったんだよ」
「なにが」
「……あの、▽のこと」
「あー……」

 白布さんへの気持ちには蓋をした。言ってもどうにもならないことを知っているから。それに▽の言動も、見ていてかなりキツかった。

「まぁ……北一だし、中学でなんかあったのは知ってっけど、詳しいことは何にも」
「…………おれ、まぶだちなのに……」

 あいつのこと、何にも知らない。知らなきゃダメなのかはわかんねぇけど、でも、なにも知らない。なにに悩んで、躓いて、落ち込んで、まだ出来ますって、あんな状態でなにをまだしようとしてたのかも全部知らない。

「言いたくなったときに、あいつが言ってくれるだろ」
「じゃああいつがずっと言わなかったら、ずっとこのままかよ」
「思い出したくもないことだってあるだろ」
「でも、ずっとこのまま独りにするなんて俺は嫌だ」
「そんなの俺だって同じだ。でも無理やり聞いても▽が傷つくかも知んねーだろ?」

 知らないからなにも出来ない。ずっと勉強とか、いろんなことでも助けられたから、少しでも俺だって何かしてやりたいのに。なにも出来ない自分がムカついて、嫌で、惨めで、でも俺が何かしてやるなんて余計なお世話じゃないのかなんて思うと怖くて。

「おーい一年、次のタイマーセットしとけよー」
「あっちのドリンクも無くなってっから補充もな」
「は、はい!」

 今まで全部▽がやってくれてた分が俺らに回ってくる。一年だし、仕方ない。けど、待ってほしい。

「……なぁ、タイマーセットのやり方、わかるか……?」
「…………待て、中学んときの微かな記憶を呼び起こしてる」

 ▽がいない穴は、俺らにとっちゃかなりの大ダメージになることをこのときの俺はまだ知らない。


「な、なにこれ……」

 2日お休みをもらって久しぶりに登校したが、目の前で起こっている状況に頭がついていかなかった。

「……ゴメンナサイ、」
「あ、いや、勇将に言ってるわけじゃ、ないから……」

 ぐちゃぐちゃなタオルやビブス。カゴからはみ出して地面に落ちているドリンクボトルに、よくわからないゴミが散乱している。二、三年の更衣場所は特に何も変わりなかったが、一年の場所は酷かった。目の前が真っ白になって頭を抱えた。たった2日だよ。嘘でしょ。

「……とりあえず部活の準備するね」
「まじで手伝うから本当になんでも言って」
「うん……ありがとう……」

 「まじで」の圧がものすごいのはさておき。いつもとさほど変わらない時間に来たが、その数分後には同級生もちらほらと来た。中にはいつも来るのがゆっくりな上にお喋りが多めの子もきたからかなり驚いた。

「△さん……!?治ったのか!?」
「まぁ、うん。せっかくのゴールデンウイークだし、休んでばっかもいられな、」
「ありがとう!!!!」

 がしっ、と強く両肩を掴まれ、目を血走らせてわたしを見つめるのは今まであまり喋ったことのない一年生。雰囲気だけど、わたしにあまりいい印象を持ってなさそうで少し馬鹿にしたような視線がたまにあったりなかったり、そんな子。

「ほんっとうに!今までありがとう!!俺らだけじゃ無理だ!!」
「あ、えっと……」

 だからか、ほんの少し、少しだけ怖いと思ったのは必然かもしれない。少しだけ人見知りしやすいのもあるかもしれないけど、顔がこわばったのはきっと相手にもバレてる。

「っあ、ごめん、そのー、なんて言うか、」
「▽!元気になったのか!?」
「っうわぁ!」

 ぐいっと片腕を引っ張られて体が傾く。声をかけた張本人に目を向ければ、いつもと変わらないキマった前髪がさらりと揺れた。ほう、と小さく息を吐いた。やっぱり、緊張していたみたいだ。

「おはよ、つとむ。心配かけちゃってごめんね?」
「ほんっ、本当に、っあ〜〜!もう!今日は一緒に帰るからな!!!」
「うん、帰ろっか」

 休み明けに来たのもきっと緊張していた原因だったが、いつも通りの工のおかげで変な緊張も恐怖もため息とともに消えて空気に溶けた。もう一度くるりと体の向きを変えて、わたしより随分高い目の位置を見つめた。なぜか、その視線にピクリと型を揺らしたのは彼だった。

「お役に立ててるなら良かった。今日からはちゃんと復帰するから、よろしくね?」
「あ、お、俺も、なんでも手伝うから言ってくれよな。…………手伝えるかわかんねーけど……」
「ううん、気持ちだけでもすごく嬉しい」

 語尾が小さくなっていくのはまぁ仕方がないとして。素直にお世辞でもなんでもない本音を言った。関わろうとしなかったのもわたしだ。これから少しずつ向き合えばいい。そう思うと自然と笑顔になって、ようやくちゃんと彼の顔が見えた気がした。

「っあ、お、おう!俺、頑張るから」
「うん、応援してるよ」
「………………▽、牛島さん来たぞ、挨拶したのかよ」
「え?ほんと?行かなきゃ!ありがとつとむ!」

 くるりと踵を返してその場をそそくさと去った。この時、工が怖い顔をしてるのなんて全く知らないままわたしは牛島さんの元へと行った。
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