25

 ついムキになって言い過ぎた、と悶々と反省しながらマネの手を引いて保健室に向かう。体育館を出る前に太一に頭を叩かれた。あんな状況で笑顔になったマネに、やっちまったと思ったところで後の祭り。お前が責任持って連れて行けと瀬見さんに言われたのは当然のことだろう。

「…………」
「…………」

 細くて冷たい手首は若干震えている。体育館で倒れかけた時も思ったが、どこまでいってもマネは女子なんだな、と思った。

(そう言えば、こいつが泣いたところみたことないな)

 今までのマネ候補にも最初はこいつと同じように接してきたけど、すぐに泣いて辞めていった。言い過ぎたことがなかったわけじゃないが、俺はどうしても言葉を間違うらしい。

「すいません、先生いますか」
「あら、白布くん?どうかしたの?怪我?」
「いえ、その、……△さんが、」

 初めて名前を呼んだかもしれない。まさかこんなところでとは思いもしなかったが、一度も喋らないマネを軽く引っ張って先生の前に突き出した。

「あら、おととい薬をもらいに来た子ね」
「……薬?」
「……すいません、」

 やっと喋った言葉もやっぱり謝罪だった。何に対して謝ってるのかわからなくて、それがまた苛立った。

「その様子だと、無理してたみたいね。こっちおいで」

 ベッドが並ぶカーテンを開ける先生に黙って従うマネ。自然と掴んでいた手が離れる。ドサ、と倒れるようにベッドに寝転んだマネ。限界だったんだろう、靴も脱がずにピクリとも動かなくなった。

「おととい来たのよ、解熱剤ないかって。その時すでに微熱だったからちゃんと休むように言ったのだけど……。その様子だと、知らされてないみたいね」
「…………」

 寝てるか起きてるかわからないが、先生がマネの靴を脱がして足を上げ、ベッドの上に乗せた。マネはまだ動かない。

「△さん、はい体温計。動ける?」
「は、い……」
「解熱剤いつ飲んだの?」
「……授業終わった、あとです、」

 ピピ、とすぐに鳴り出す音に背筋が伸びた。あらまぁ、なんて先生の呑気な声に1人耳をすませた。

「38度7分、そりゃ倒れるわね」
「……さむいです…」
「まだ上がるかもねぇ。白布くん、そこの毛布一枚持って被せてあげて」
「そ、れはいいです、自分でしますから、」
「……黙って寝てろ」

 起き上がろうとするバカを毛布の重みで押しのける。ぐえ、なんてカエルの潰れたような声がしたが無視だ。

「代わりに親御さんに電話しておくわね。あと監督さんにも伝えるから」
「っ!?か、監督はちょっと、」
「大丈夫よ、監督さん私に楯突けないもの」
「黙って怒られろ」
「…………すいません、」

 あとはごゆっくり、なんて俺にだけ聞こえる声でそんなことを言う先生に、何か勘違いしてるんじゃないかと思った。それとも、こいつの現状を全部わかってて俺に託したのか。どっちでもいいが、変に緊張しだしたのを隠せなかった。

「せ、せんせ、あの、」
「ちゃんと言いなさい、それがあなたのためになるわ」

 あぁ、これは後者だったか。いろんな意味で泣きそうなマネに仕方ないかと腹をくくる。でもよく言葉を間違うらしい俺が、こいつに何を言ってやれるんだろうか。

「じゃあね、そのうち戻るわ」
「……すいません、ありがとうございます」

 ガラガラと締まった扉。当然のように静まり返る保健室に、小さく溜息をついた。さて、なんて切り出せばいいのか。

「あ、の……白布先輩、」
「……なんだ」

 そんな時、蚊の鳴くような声で声を出したマネ。顔は布団で隠れて見えないが、震えた声に少し焦って、また冷たく返してしまう。何してんだ、俺は。

「ここまで、ありがとうございました、その……もう大丈夫なんで、あの、えっと……」

 たどたどしい言葉を繋げるマネの言いたいことがすぐにわかった。もう帰れとのことらしい。きっとそんなことは思ってないんだろうが、俺と2人きりの空間が耐えられないんだろう。それだけのことをしてきた自覚がある分、俺じゃなくて瀬見さんとかの方がここにいるべきなんじゃないかなんて逃げたような思考が出てくる。

「……お前、その大丈夫ってやつやめろ」
「っ……、すいません……」
「……なんでそんなに、無理ばっかできんだよ…」

 素直に思ったことを口にした。誰にも頼らず自分を削って、倒れそうになってなお大丈夫だと上っ面だけ取り繕って。中身がボロボロなはずなのに、なんでそんなにも抱え込む。

「少しは自分の気持ち言ってみろよ」

 こいつの気持ちって、なんだ。三年の先輩らはなんか知ってるらしいけど、この四月から初めて知り合った俺は何も知らない。こいつが何も言わないから、わかろうともできない。誰にも頼らないから、一切涙を見せないから、元気を取り繕うから、本当に大丈夫だと思ってしまう。それがもう手遅れだった。

『わたしはッ、っまだできますから…ッ!!!』

 今思い返せば、見捨てないでと言ってるようだった。まだできるからと、自分の存在意義にしがみついてるような、そんな感覚。

「…………できないって言って、」

 ぽつんと呟いた言葉に精一杯耳を傾けた。なんで俺がこんなことしてるのか、よくわからなかった。

「じゃあもういらないって、いわれるのがいちばんこわいから」

 自虐のような、でも穏やかに、ゆったりとした口調だった。

「……中学で、なんかあったのか」

 ピンポイントで中学ってワードが出てきたのは、太一がボソッと言ってたことを思い出したから。中学の話はすんなって言われたって、納得いかなさそうに言っていたから。

「……、私は、仲間だと思ってたけど、マネージャーだから、選手とは関係ないって、ずっと言われて、」
「うん。」
「マネージャーだから、少しでも支えたかったのに、うまくいかなくて、どうしたらいいかわからないまま、みんなの関係がずっと壊れ続けてて、」
「………………うん、」
「……私をマネージャーに誘ってくれた三人から、じゃまだとか、話しかけてくんなとか、……全国大会行けずに、早く引退できてよかったね、とか…言わ、れ、て……」

 中学の男子なんて面倒くさいこの上ない。多感な時期でカッコつけたがりで、だから優しくするすべを知らなくて、どんな言葉でも言えてしまう。どんどん涙を含んだ声になるマネにどうしたらいいのかわからなくて、自分の気持ちを言ってみろと言った割には俺が何してやれるかわからなくて。

「がんばらないと、ちゃんと役に立たないと、私がいる意味がなくなっちゃうから、」

 なんで、ずっとこいつを気にかけてたのかわかった気がした。俺と同じで、不器用なんだ。勉強も部活もできるなんて言われても、言葉足らずで対人関係が下手な俺と、不要だと見放されるのが怖くて、他の人頼り方を知らないこいつと。かたちはちがうけれど同じ不器用。
 俺はまぁ仲間に恵まれたからなんとかやってるけど、こいつは全部自分でやるしか方法を知らないんだ。だからできないっていうのが怖くて、自分を削るしかできない不器用なやつ。

「最初からできないなんて当たり前だろ」
「………………」
「……なんて、わかりきってるけど、そうじゃないんだよな」

 もぞ、とわずかに動いた布団は、きっとその中でこいつがうなづいたんだと思った。

「自分の存在意義を示せないと、そこにいる意味がわかんなくなるんだよな」

 スタメンになってからあまりの不調で交代させられた時、俺が思ったことだった。その時の気持ちをなぞるように言えば、そうだと言いたげに握りしめた手がくしゃりと布団にシワを作る。

「……お前に散々言った俺がいうのもふざけんなって話だけどよ」

 1人で無理なら俺を使えよなんてガラにもなくかっこいいことを言った太一を思い出した。俺の言葉足らずできつくなる言い回しも、周りが補ってくれた。部員全員がライバルだけど、いろんなことを助けられた。絶対こんなこと言ってやらねーけどな。

「ここは、お前のいた中学じゃなくて、白鳥沢だぞ」

 俺を使えなんて到底言えない。なんだよあいつ、めちゃくちゃかっこいいじゃねぇか。

「お前ができなくたって、誰も見放したりしねーよ」
「……なんで、そう言い切れるんですか、」
「俺がお前を、絶対に見放さないからだ」

 あーくそ、言ってることがめちゃくちゃだ。かっこわりぃ。ほんとこういうのガラじゃねーのに。

「……ふ、ふふ、なんですか、それ」

 案の定笑われたがもうどうでもいい。それになんとなくその笑い声は大丈夫な気がして、仕返しとばかりになんの声もかけずにいきなり布団を剥ぎ取ってやった。

「わっ、」
「ははっ、顔ぐちゃぐちゃだな」
「う……仕方ないですよ……」
「……今のお前にがいても迷惑だ、なんてこと言ったけど、そんなぐずぐずの体調でいたら周りが死ぬほど心配するだろ」

 五色のあの顔見てねぇのか、と言えば頭にクルクルとはてなを飛ばすマネ。だから、あいつの方が死にそうだったなんて言ったら冗談だと笑われた。ここを出る時に俺がすげー睨まれたのは言わないでおくけど。

「はぁ、もう、ずるいです、白布先輩」
「なんもしてねぇだろ」
「絶対泣きたくなかったのに」
「あー、お前ほんと泣かないもんな」

 ずりずりと壁を背中につけ、上体を起こしていくマネ。その表情はなんかスッキリしてるようで。

「泣いたら、面倒臭いじゃないですか」
「……まぁ、そう思う奴もいるっちゃいるだろ」
「あぁ、もう、ずるいです」

 口角は上がってるのに目を覆うマネに、あーあ、泣かせた、なんて他人事のように思った。でもあんま焦らなかったのは、さっき泣かずに笑ってたのに死にそうな顔してるこいつと、泣いてるのに安心したように笑ってる今の顔を比べたら一目瞭然だったから。
 はは、の笑い声の合間に聞こえるしゃくりあげるような声はまるで生まれたての赤ん坊のように苦しそうで。どっちかにしろよ、なんてガシガシと頭を撫でまわせば、より一層泣き声を大きくするマネ。

「やっと泣いたか」
「しらぶ、せんぱいは、どえすです」
「そういうお前はドMかよ」
「うぅ…」

 俺にとってチームメイトがいてくれたように、俺も誰かにとってのそういう存在になりたかったのかもしれない。そんな言い訳を考えてみたが、素直にありがとうございますと言うマネに自然と口角が上がるのがわかった。
 こう言うところを純粋に嬉しいって感情で片付けられないところが、俺の不器用なところなのかもしれない。

「△さん、親御さんが迎えにきてくれ…………何してるの白布くん」
「泣かせてました」
「泣かされました」
「…………まぁ、うまくいったんなら良いけど……」

 ガラ、といきなり開いた扉から入ってきた保健室の先生に怪訝な顔をされたけどまぁそれはそれで。さて、こいつが帰るなら荷物を持ってきてやらねーと、とちらりと時計を見た。もう2セット目くらいはしてるだろうか。

「じゃあお前の荷物持ってくるな」
「あ、いえ、自分が、」
「あ?」
「お願いしますありがとうございます」

 スチャ、とすぐに頭を下げたマネの頭を軽く叩き、じゃあそう言うことで、と先生に伝えた。先生はよろしくね、といつもの軽い口調で言ってのけるのを聞き流しながら保健室を出た。はぁ、と疲れ切ったようにため息を吐いたのは、緊張からやっと解放されたからだろう。
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