21

「五色」
「は、はいっ……!」

 カクカクと震える足のまま教壇の前に立つ。監督の前にいるときのように直立すれば、普段目つきのキツイ数学教師がピラリと一枚の紙を渡した。

「ふ……よくがんばったな」
「……っ!! ッす!」

 グリンと振り返って後ろにいる△さんをみた。音はないが小さく手を叩いてる姿にうんと頷く。

 17点。そう書かれた小テストをもう一回見た。あぁ、ここ計算がごっちゃんなって間違えたけど、でも過去最高の点数。クラス底辺の俺が二週間がんばった結果だった。

「がんばったね、五色くん」
「マジで助かった、ありがとう△さん」

 授業が終わって終礼が始まる前の時間。平均2点ちょっとの俺がボーダー12点というデカい壁を乗り越え続けて試合直前の最後のテスト、ようやく緊張から解放されてホッと息をついた。

「すげー、お前めちゃくちゃ頑張ったんだな」
「うそでしょ……五色くんに負けた……」
「やればできる子だね」
「ふん、このくらい当然だ」
「調子乗んなよ、▽におんぶにだっこのくせに」

 ニコニコと嬉しそうな△さんは既に髪の毛を纏めていた。このあと、誰よりも早く体育館横の水道に向かうんだろう。一分一秒も無駄にしないよう靴下まで履き替えている。

「これで監督に堂々報告できるね」
「おう」

 この前は恥ずかしくなってできなかったが、やっぱり送るだけじゃなくてお礼の何かを買いたい。コンビニでもいいけど、なんとなくそれだけじゃ嫌だ。それにあの日から一度も帰れてない。俺から声をかけようと思ってたけど周りに同期とかがいてうまくいかなかった。ちなみに今日も同期と帰る約束している。無理だ。

「なぁ、あの、△さん」
「? どうしたの、五色くん」

 先生が来たから前を向いたその拍子に、後ろの二人にバレないようにコソッと声をかけた。やっぱり△さんにサシで話しかけるのは、まだまだ勇気がいるらしい。

「明日の試合が終わったら、なんかある?」
「んー、特にないかな」
「帰れるか、一緒に」
「えっ」

 先生の視線が向いた気がして、それだけ言ったらあとは前を向いた。返事を聞くのが少し怖くて、首をわずかに△さんの方から逸らした。まぁ断られたって俺には他に帰る奴いるし、別に1人で帰ったって全然問題ないし。ただ、なんもお礼しないってのは嫌だからなんかしたいわけで。

 コンッ……
 控えめな机を小突く音にほんの僅かに体が固まった。恐ろしいものを見るかのように恐る恐る首を動かせば、机の上にシャーペンで書かれた三文字に目を見開いて、1人小さく拳を握った。


「ほんっとアイアンマンって鈍臭いよなー」

 不穏な会話の始まりは、いつも突拍子だった。飯も食い終わって一年だけ集まった大ルームでそんなことを何気なく言ったのは、確かまぁ一年の中でも上手い方で、もうすぐ一軍に入れんじゃねーのと噂になっている奴だった。

「今日もすげー監督と白布さんに怒られてたな」
「俺らより怒られてるし」
「あんだけ怒られてたら俺辞めるわー」
「よく毎日来るよな、怒られに来てるようなもんじゃん」

 経験者と言え、ここでマネを始めてまだ数週間しか経ってないはず。できないことの方が多いのは仕方ないはずなのに、なんでこんなことを言ってるのか疑問になる。

「何回言われてもスコアミスるしタオルも粉ついてたりビブス出すのおせーし、ほんとなんでアイアンマンってマネやってんのかな」
「あいつあれだろ、元北一ってことはコート上の王様のいたチーム」
「俺北一と試合した時のアイアンマン見たことあるわ、もっと根暗っぽい顔してたんだけどなー」
「まぁ今も黒沢先輩に比べたらそうだろ」
「ははっ、言えてる」

 興味ないと踏んでケータイゲームに勤しんでいたが、やっぱり聴いてて気分のいい内容じゃなかった。▽可愛いだろ、素直だし頑張り屋だし、と言ってやりたくなったが、俺が口を挟む間も無く会話がどんどん発展していった。

「なんで先輩たちもアイツに構うんだろな」
「紅一点だからじゃね?黒沢さんにも他の先輩にもあんだけ迷惑かけといてヘラヘラしてるけど」
「そう言えばクラスの女子がアイアンマンのこと男好きだとか言ってたわ」
「え、じゃあマネもそれが理由?引くわー」

 流石にピクリとこめかみが震えて、眉間にシワが寄った。たしかに一年と▽は仲良くないが、それでもこの内容は違う。

「お前らなぁ……勝手な話すんなよ」
「寒河江、アイアンマンと仲良いもんな、やっぱクラスでもそんな感じなのか?」
「▽はそんな奴じゃないっての」
「▽だって、仲いーこといーこと。お前ら付き合ってんの?」
「茶化すなって」
「まさかアイアンマンに惚れてんの?」
「なんでそうなるんだよ……」

 さっきから▽への言葉がキツイのが、最初の発言をしたキザワという男。なんでマネしてるのだの引くだの発言にいちいち棘がある。好意的でないのはわかるが、あからさまに声に出すのは違うと思った。しかも本人のいない場所で。

「白布さんだって言ってたじゃん、使えない奴がいると困るのは俺らだって」
「だから今頑張ってんだろ」
「でも正直、いてもいなくてもいーだろ、マネなんて。こんだけ部員いるんだから普通に回せるだろ」

 洗濯くらいなら俺もできるわ、と言うキザワ。こいつのことは結構前からいけ好かないと思っていた。陰口とか普通に言うし、監督やコーチ、先輩の前ではあからさまにいい子ちゃんぶろうとしている感があった。別にその程度はいいけど▽に対しても見えないところで当たりがキツイのを他のやつから聞いたことがある。

「自分は何にもできねーくせに、ああやって大口叩くのとかほんと鬱陶しくて見てらんねーよ」
「……は?」

 さも楽しそうに、周りに賛同を求めるように、なぁ、と目配せする姿にドン引きした。こいつ、根っからのクソ野郎か。

「なんだっけな、好きなことするには嫌いなこともしなくちゃとかなんとか言ってたけど、寒すぎてマジ笑いこらえんの必死だったわ」
「お前、その辺にしとけよ」
「おー怖。そんな睨むなよ、絶対何人かそう思ったって」
「だとしても口に出して言うことじゃねぇだろ」

 俺の口調も強くなって、さすがの不穏な空気に他の部員が宥めようと俺らの間に入った。こいつ、▽のこと何にも知らねーくせに何勝手なことさっきから言ってんだ。

「なぁ五色、お前だってそう思うよな?」

 ピク、と名前を呼ばれた本人が小さく動いた。ここで五色に振るかよ。最近はまだマシとは言え、キザワほどではないが▽にいい印象を持っていなかった奴だぞ。それに一年の中で唯一ベンチ入りメンバー候補。先輩たちからも可愛がられていて、発言権だって大きい。
 なんて言っても結局は弱肉強食。強いやつの発言力がでかい。その点キザワは大きい方だった。でも俺は普通。男の中でも目に見えないカーストはあった。ここで五色がキザワの発言に賛同しようものなら、間違いなくこれから▽と部員の距離は縮まらない。

「……なにが」

 びく、と今度は俺の方が跳ねた。五色の口調がかなり強かったのだ。こんなの、初期の▽に対する声のかけ方よりひどい。

「え、あー、アイアンマンがお前に説教してたやつだよ」
「それがなんだよ」
「すっげー寒かったなって、話、なんだ、けど……、」

 どんどん語尾が弱くなっていったキザワ。それもそのはず、五色のキザワを見る目が驚くほど冷めていたのだ。お前、たまにそういうところあるよな、と心の中で軽口を叩かないとこの空気に押し潰されそうな気がした。

「言いたいことはそれだけかよ」
「は、」
「だっせ」

 五色は、割とわかりやすいやつだ。尊敬できるやつには懐くが、そうでないやつにはこれでもかというくらい冷たくなる。初対面にはあからさまに距離を置いて接するけど、仲良くなったらよく笑うしいいやつだ。
 お前、何キレてんだよ、と苦笑しながらキザワが苦し紛れに言った。わかる、このトーンはビビるし、五色の発言力は多分一年の中でも一番大きい。

「人貶すことでしか仲間作れないんだろ、お前」
「っは、はぁ!?何言ってんだよ!」

 それにしても今日はどうした。部活の時は試合に出れると超ルンルンで絶好調だったし、機嫌も最高に良かったのに今の悪さはなんだ。まるで、▽を庇ってるような発言はなんだ。

「あれだけやってくれてんのに、何も見てないんだな」

 五色は、確かに変わった。▽に向ける気持ちが前とは180度違う。前は何をやっても認めようとしなかったのに、今は受け入れて、多分、信頼もしてる。まぁ小テストで良い結果が出たってことが大部分の理由だろうけど、▽にキレられてから五色は小さな片付けとか掃除とかも疎かにしなくなった。

「だからバレーも全部中途半端なんだろ」
「っは、てめ…今なんつった……!」
「ちょ、落ち着けって。五色もあんま煽んなよ」

 五色の発言が癪に触ったキザワの声が一段と低くなる。今にも殴り合いを始めそうな二人に赤倉が堪らず間に入った。俺はもう何もできなくて、ただ眉間に皺を寄せて二人をぼんやりと見つめていた。

「おーい、何してんだお前らー」
「っ瀬見さん、!」
「明日も朝早いんだから早く寝ろよー」

 そんなとき、風呂上がりなのか絶妙にダサ…………個性的な服を着た瀬見さんが髪の毛をタオルで拭きながら部屋の横を通った。それだけ言って去って行ったが、私服姿の瀬見さんがその場にいるだけでどうも笑ってはいけない瀬見さんの私服24時が開催されてしまうから、早々に切り上げてくれて助かった。

「っあ、おい、五色、」
「寝る」

 静まり返る部屋の中、五色が1人立ち上がって部屋を出て行った。何かしたかったわけでもないけど、気づいたらその背中を追っていて、最後にちらりと視界に入ったのはキザワの悔しそうな顔だった。なんでお前が、何に悔しがってるのかは何1つ分からないままで。


「五色、」

 戸惑いがちにかけられた寒河江の声に歩くスピードをゆっくりにした。なんであんな、△さんを擁護するようなことを言ったんだと聞かれているようで、ダサい俺がゆっくり息を吐いた。

「△さんにあんなに怒鳴っといて、何を今更って思うよな」
「いや、その、……」
「でもあの時△さんが怒ってくれなかったら、俺絶対何も変わんなかった」

 勉強は相変わらず嫌いだけど、できることはしようと思った。だるくてサボりそうになる掃除も、日直の仕事とかも、面倒だけど、ちゃんとやるようになった。そしたらクラスでも話すやつ増えたし、応援行くと言ってくれるやつもいた。あんなに敵対してた数学教師ですら、授業の後に頑張れよと言ってくれた。

「△さんのこと、苦手だったけど、今は違う」

 時間ないのに勉強教えてくれたり、こんな態度とる俺にもちゃんと向き合ってくれる。だから少しでも見えないところくらいは助けたかった。

「……ははっ、そーかよ」
「……練習試合、△さんに、すげープレー見せるって言ったから、もう寝るな」
「おう。おやすみ」
「ん」

 本当は、△さんとあんなに親しくできる寒河江が少し、ほんの少しだけ、羨ましかったりもする。なんて言葉はぐっと飲み込んで、奥深くにしまい込んだ。
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