01

中学の引退試合、私たちの脆かった関係はあっけなく崩れてしまった。


───たかがマネージャーのお前になにがわかるんだよ

───選手でもないのに口出しすんな

───うぜぇよ、お前

───選手がこんなことになってても何もしないなんて、▽だけ仲間じゃないみたいだな

───結局あいつの肩持つのかよ…俺らみたいな下僕には興味ないってか

───早く引退できて、良かったね


自分のことで精一杯で、大人になりきれなかった私たちは運命かのように衝突して、崩れた。しかもそれを立て直す術すら知らなくてもう救いようがなかったんだと思う。

選手の彼らは、今もこれからもバレーをし続けるだろう。私は?彼らに見放された私は、もうバレーに関わってはいけないんだろう。
あぁ、でももういいや。なにもかも、どうでもいい。バレーなんて、仲間なんて、大嫌いだ。


親が来ているから、と監督やコーチにも嘘をついて、長い長い帰り道を1人で歩いた。バスに乗ったところで誰とも喋らないし、誰1人喋らない。引退試合がこんな形で終わってしまったことに呆れている人や、何もかもに絶望している人。私はきっと後者だろう。セッターの彼も、後者に近しい立場だと思う。

(……涙、出なかったな…)

引退が決まっても、あんなこと言われても、涙ひとつでなくて、感情は「無」だった。そりゃ、薄情なやつだと思われるだろう。

無駄に広い川が優雅に流れている橋を渡った時、何かがふと手に当たった。ちらりとそれに視線をやれば、少し解れている不細工なバボちゃんだった。みんなの様子がおかしくなってきた頃に、まだ戻れると馬鹿みたいに信じていた私が、特別に3人にだけあげた、手作りのお揃いのマスコット。

こんなもの、いらない。バレーの神様は、私たちを見放したんだ

無残に紐の部分を引きちぎられたそれを、川に向かって振りかぶった。心の中で、罪のないバレーの神様にごめんとつぶやきながら。

「待て」
「っ?!」

しかし振りかぶった手は大きくて熱い手に阻まれた。バッと振り返った先にいたのは、ジャージを着ていた大柄の男の人だった。まさかの人物に驚きで頭が回っていない私は呆然とその人を眺めた。この人、見たことある、ありすぎる。いやむしろそんなレベルじゃなくて、この人の存在は、嫌という程頭に焼き付いている。

「うし、わか…、」

及川さんたちがどれだけ挑もうが勝てなかった、絶対王者。悔しいと睨みつけたことしかなかったあの牛島若利が、私の腕を掴んでいる。

「なぜ投げようとしたんだ」
「っえ、あ、あの、」
「いらないなら俺にくれ」
「は、はぁ…」

驚きと混乱で今自分がなにをしようとしていたのか忘れてしまった。言われるがままにどうぞ、と不細工なバボちゃんをウシワカに渡す。

…………え?待って、何が起こってるの。

「わっかとーしくーん、いきなりそんなことしたら驚いちゃうでしょ」

そんなウシワカの後ろからひょっこり現れたのは、県内1位の強豪の証、白と紫のジャージを着た白鳥沢高校バレーボール部の人だった。
頭の上にはてなマークをクルクルさせる私に、奇抜な赤髪さんはにっこりと笑う。

「ごめんねー、いきなり若利くんが走り出したからびっくりして止められなかった!」
「あ、はい、いえ、」
「君北一の子だよね?だよね?」

興味津々、と言うような表情で私をジロジロ見つめる視線に半歩後ろに下がる。なんなんだ、なんなんだこの人の変な動きは。髪の毛も赤く逆立っていて奇抜だし、なんなんだこの人は。

「そ、そう、ですが、」
「やっぱりー?まぁさっき見てたんだけどね!」
「っ…、」

いろんな意味を含んだ赤髪さんの言葉に息が詰まった。
さっき、とは、いつなのか。見てた、とは、何をなのか。ただの試合だけなのか、その後に起こった、事件なのか。
ごく、とゆっくり唾液を飲み込んだあとの、「そうですか」の言葉は誰が聞いても震えているものだっただろう。

「見てたのは、試合と、その後のこと、だよ」

一々言わなくてもいいのに、どうしてこの人は突き詰めるように言うんだろうか。
赤髪さんの言葉に、さっきチームメイトに言われたあれこれが一気にフラッシュバックして、顔がくしゃりと歪んだ。だめだ、また泣きそう。

「天童」
「なになに若利く、…え、めっちゃ睨まれてる?俺睨まれてる?」
「ハァ……これ、貰うぞ」

赤髪さんを咎めるようなウシワカの声。グッと首を折り曲げて下を向いていたから、彼らがどんな表情かはわからない。ただウシワカの言葉にコクコクと頷いて拳を握りしめるだけだった。

「よくできているのに、もったいない」
「ほんとだねー、あ、でも目が取れかけてる」

3人にそれを渡した時、ふーん、と興味なさげに眺めていた。きっとみんなそれどころじゃなかったんだろうけど、作らなかったら良かったと思ってたから、ウシワカにちょっと褒められて、目頭がどんどん熱くなった。

「ぬ、ぬい、なおし、ます」
「今すぐできるのか?」
「いま、は、むりですが、」
「ならいい。このまま持って帰る」

たくさんたくさん思いを込めた。みんなが仲良くなりますようにって。元に戻れますようにって。また四人で、笑えますようにって。
一針一針、神様に懇願しながら作ったのに。

「っふ、う…っ、」
「ありゃ、泣いちゃった?」
「……天童」
「あー、俺のせいか〜」
「ず、ずびばっ、ぜんっ、」

仲間だと思っていたのは、私だけだった。所詮、選手とマネージャーなんて、そんなもんだ。期待した私が悪かったのだ。

「ごめんごめん、俺らもあんな場面に出くわすと思っていなくてさ」
「い、いえっ、ひっく、そのっ、グスッ…ごめんな、さっ、」

ぽんぽんと私の頭を撫でるのは赤髪さんだろう。涙なんて止まれ、とゴシゴシと目元を擦りながら鼻水を啜っていたら、また遠くの方で二人の名前を呼ぶ声が響いた。

「おい!若利、天童!なにしてんだよ!」
「若利、いきなり走り出してびっくりしたぞ」
「え、なんか女の子いねぇか?」
「あらら…みんな来ちゃった」

人が沢山来たし、ここは普通の橋のど真ん中だ。やばい、泣き止まないと、どうしよう、どうやって泣き止めばいいんだっけ。どうしよう、どうしよう。

「……泣いてる!?」
「ちょ、おまっ、なに中学生泣かせてんだよ!!」
「ん?この子さっきの…」

ジャージのズボンを見ればみんなお揃いで、きっと白鳥沢のバレー部の方たちだろう。もうその事実にもパニックになっちゃってなおのこと涙は止まらなかった。

「ちょ、どーすんだよ!?」
「……天童」
「ごめんって若利くん!」
「グスッ、うぇっ、ご、ごべんなざっ、ヒッグ…っ」
「よしよし落ち着け、な?そんなに目を擦ったら傷つくぞ」

そう言って褐色の人が私の目の前に膝をついて、エナメルバッグの前ポケットから紺色のカバーに包まれたポケットティッシュを出してくれた。二、三枚取り出しては私の目に押し付け、さりげなく擦っていた手を抑えられる。一瞬見えた褐色さんはなんだか教科書に出てくる弁慶みたいだった。

「ごめんなぁ、うちの部員が」
「ご、ごめんね?マネちゃん」
「もっと精神誠意を持って謝れ!!天童!!」
「チョコか飴、食べるか?」

そして弁慶さんの隣にしゃがんだのは、前髪をセンター分けにしたイケメンさん。その両手には一口サイズのチョコとオレンジの飴が乗っていた。もういい、どうにでもなってしまえ。

「ぢょ、ぢょごれーど、が、いいでずっ、グスッ、」
「ぶふっ!」
「なに笑ってんだ馬鹿!」
「ん、ほらよ」
「あ、ありがとっ、グェッ、ございますっ」
「チョコを食べる元気があってよかった」

こんな小娘に手を煩わせてしまって申し訳ない。でも今だけは、あと1分だけでもいいから、これに甘えたい。弁慶さんが追加でティッシュを出してくれたので、恥を捨てて鼻水をかんだ。息ができなかった。

「ははっ、泣き止んだか?」
「す、すみません、その、ありがとうございます、」

鼻水と涙でぐちゃぐちゃのティッシュとは反対の手で、もらったチョコを握りしめる。泣き止んだ私に弁慶さんもイケメンさんも優しく笑った。

「若利、そのバボちゃんどうしたんだ?」
「彼女が作ったものだ」
「へぇ、よくできてんじゃん」
「ちょっとは落ち着いたようだな」
「はー、良かった。若利くんに1ヶ月分くらい睨まれたよ」
「お前は謝れ」
「いてっ」

立ち上がった二人はもうそれはそれは大きくて。同級生とは比べものにならなくてさすが高校生だな、と感心した。ウシワカは及川さんと同じ学年だから、きっと今高校二年生か。

「あの、その、すいませんでした…、」
「俺もごめんね?思いつめた顔してたのに泣いてるところ見なかったから気になってたからさ」
「見るつもりはなかったんだけどな、わりぃ」
「いえ、えっと…す、すいません…、」

あんな心無い言葉が飛び交うチームも珍しいだろう。不快なものを見せてしまった、と深々と頭を下げた。

「い、嫌なもの、見せてしまって、すいません…」
「そんなの謝んなよ。つーか、謝んのは選手の方だろあの場面。見てて腹たった」
「まぁ当事者にしかわからないこともあるからな」
「それでも、言っていいことと悪いことがあるだろ」

眉をしかめたり、唇を尖らせたり、自惚れてもいいなら、私のために怒ってくれてるんじゃないだろうか。まぁこれだけたくさん泣いたし、女子中学生相手に気を使ってくれているのだろう。

「選手というのは」

突然、ずっと黙っていたウシワカが口を開いたから顔を上げた。私が作ったバボちゃんを握りしめ、迷いない目で私を射抜く。逃げられない、と漠然と思った。

「自分たちでは何もできない。支えられていることをわからないやつは、成長しない」

及川さんが言っていた。ウシワカは、話すことは全部本心。お世辞も気遣いも何もない、本心でしか話さないと。

「お前ほどのマネージャーに礼一つ言えないのなら、そいつらは選手失格だ」

私のマネージャーぶりをなんて、試合でのちょこっとしたものなのに。なんで、お前ほどの、なんて私が良くできるとでもいうような言い回しなのだろうか。

「なんで、わたしほどの、とか、言えるんですか…?」
「バボちゃんが、よくできているからだ」
「は…、」

この中じゃ、赤髪の天童さんが一番の変人だと思ってたけど、違う。やっぱりジャパンは、変人度合いもジャパンだった。

引っ込んだ涙がまた出そうで、でも口角が上がってしまうのが自分でもわかった。

「マネージャーだろうがトレーナーだろうがコーチだろうとが、ベンチにいる限り戦っている、俺はそう思っている」

あぁ、もう、なんで人が涙を我慢しているのに、泣かせるようなことを言ってくるんだ。

「若利くん、また泣いちゃうよ、この子」
「!……なんでだ…」
「そこはわかんねぇのかよ…」
「まぁあれだ、少なくともここにいる俺ら全員は、若利と同じ気持ちだってことだ!」

前髪センター分けの人の大きな手が少し乱雑に頭をぐしゃぐしゃ撫でた。反動で体も少し揺れたが、バランスを保とうと働く意識が涙のことを少し忘れさせてくれるからありがたかった。

「若利、バボちゃんもらったのか?」
「あぁ」
「へぇ、うまいじゃん」
「本当にいいの?半ば強引で貰ったようなものでしょ?」
「え、あ、あの…っ、」

なんだろう、心臓が熱い。色んなことが今日起こって、頭ん中ぐちゃぐちゃで、色んな感情にもみくちゃにされてたのに、頭はスッと覚めていく。私は今とても冷静だ。

「も、持っててください、それは差し上げます…でも、次はもっと綺麗で、大きなバボちゃんを渡しに行きます」

ここで言う、「次」は、私の中で具体的にイメージできてる。いや、できてしまった。

「そうか」

ウシワカは、少し笑った。

「期待している」

その言葉を最後に、ウシワカが私の頭をくしゃりと撫でて、体育館の方へと踵を返した。別れの挨拶をしてくださる白鳥沢の方々に何度もお礼を言ってペコペコ頭を下げた。
とうとう振り返らなくなった背中には、「白鳥沢学園」の文字が刻んであった。

少しの高揚感と不安が、それからの私を動かした。急いでお母さんに電話をかける。数コールなったあとに、「▽?お疲れ様」と何も聞かないでいてくれる優しいお母さんに感謝しつつ、覚悟を決めた言葉を口に出す。

「お母さん、私、白鳥沢に行く」
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