03


 俺の部屋は2階にある。2階の窓によじ登っていけるような足場はこのアパートにはなかったはずだ。華奢な見かけによらずアクロバットな動きをする女なのだろうか。
 困惑する俺にやっと気が付いたらしい女は、恥ずかしそうに一歩分退いた。ベッドのうえで三つ指をつきかしこまった様子で頭を下げる。
「申し遅れました。わたくし、昨日あなた様に助けていただいたセミにございます」
 至極丁寧な口調で女は言った。
 そのときの俺はきっとここ数年で一番の間抜け面をしていたと思う。
 セミを助けた人間はいても、自分はセミだなどと見知らぬ女に言われた奴は世界中で俺だけじゃないだろうか。
 いつもと変わらない退屈な休日を過ごすはずだった俺は、どこでなにを間違ってしまったのか。部屋に女が不法侵入してきただけでも一大事なのに、その女は少々頭が沸いていると見える。
 なんせセミだ。立派な手足を生やしておいてよく言う。
 くらくらする頭を手で支えながら、ひとまず後ろを振り向いてプレイヤーの停止ボタンを押した。画面に広がる肌色のモザイクが消え、間抜けな鳴き声が止んだ部屋は途端に静かになった。
 目の前に正座する女はにこやかだ。悪意らしきものが感じられない分タチが悪い。
 なにから口に出せばいいのか分からず俺はうなだれた。なんせ相手は自称・セミの不法侵入女だ。いまは上機嫌な様子だが、いつどんなことで逆鱗に触れてしまうかと思うと恐ろしい。もう一度言うが、相手は自称・セミの変質者だ。
 深く長く息を吐き出してから俺は口を開いた。
「……そのセミが、俺になんの御用ですか」
 力ない言葉にも、女は嬉しそうに顔を綻ばせる。かと思えばきゅっと表情を引き締め、背筋を伸ばしてまっすぐに俺を見つめた。
「昨夜地面に落ちてしまったわたくしをあなた様が木に戻してくださったおかげで、わたくしは無事大人になることができました。わたくしは決めたのです。あなた様を見つけ出し、お側であなた様をお助けすると」
 言い切って満足そうに鼻息を漏らす女に俺は今度こそ絶句した。
 お側に? お助けする?
 こいつはちょっとした気まぐれで俺の部屋に舞い込んだわけではないのか。俺に付きまとい、これから俺の部屋に居座ると?
 背筋が再び凍りつく。逆鱗がどうなんて、笑顔に悪意がないなんて考えている場合じゃない。一刻も早くこの女を部屋から追い出さなくては。こいつは間違いなく危険な変質者だ。




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