04


 
 しとしとと小雨の落ちる放課後。どこまでも広がる重たい曇り空の下には、色とりどりの雨傘と咲き始めたあじさいが並んでいる。
 本日最後の授業は移動教室だった。帰りのホームルームを終え、友人たちに連れられていざカラオケへというところで、音楽室に携帯電話を忘れたことに気がついた。
 手元にないならないで構わない気もしたが、なんとなく落ち着かない気持ちは拭えない。友人らのブーイングに苦笑いを返しつつ、結局俺はもと来た道をのろのろと戻ることにした。
 いま思えば、これが俺たちの今後を左右する大きな分岐点となったわけだ。
 音楽室を管理する西川先生に事情を説明し、鍵を借りる。楽しげにはしゃぐ女子生徒の声が遠くに聞こえた。
 雨の日はあまり好きではなかった。天気予報など目を通さずとも、雨が降る日の朝は決まってこめかみから左脳にかけて鈍く疼いた。いわゆる片頭痛持ちの俺の鞄には、市販の鎮痛剤が我が物顔で居座っている。
 早く帰ろう、と思った。この時間帯になってまたピリピリと頭が悲鳴をあげ始める。もう一雨来そうな気配だ。カラオケを断って学校に戻ったのは正解だったかもしれない。
 しかし、階段を上り角を曲がったところで俺の足は止まった。
 音楽室のドアの前、誰かが屈み込んでいる。黒髪の揺れる後ろ姿は間違いなくあの変人美少女だった。
 一瞬俺は躊躇した。美しい背中に声をかけていいものなのか迷った。
 普段の彼女は穏やかな人種であることは分かっている。けれど起爆スイッチに触れたら最後、また学校中に噂が広がる暴走行為をしかねない。なんせ小さな花を踏んづけただけで男ひとりを投げ飛ばす女だ。
 失敗をして嫌われてしまうよりは、名前も知らないクラスメートでいたかった。
 だがここで引き返すわけにもいかなった。手の中には音楽室の鍵。音楽の授業は週に一度しかないため、他の生徒が机の中にある携帯電話に気付かなかった場合、来週まで俺は誰からも連絡のつかない人間になってしまう。「笹原さんがいたので音楽室に入れませんでした」などと明日また鍵を借りに行くのも馬鹿げている。
 話しかけるしかないか。意を決して、俺は再び歩き出した。
「笹原さん」
「……わわっ、」
 熱心にドアの取っ手を見つめていた彼女は、俺の声にビクリと体を震わせた。背後に立つまでまったく気付かなかったらしい。




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