03


 一度白い手に落ちた視線がゆっくりと元の位置に戻る。自身が「人形」と表した黒髪の美少女は、細めた目を正面に立つ相手から一瞬足りとも外さなかった。
 そして、雪のような肌に浮かぶ真っ赤な唇は、薄く笑んでいた。
「制服が皺になります」
 背筋も凍るほどの美しさであった。

 こうして「変人美少女・笹原桂」の名前は全校に知れ渡ることになる。 
 日常生活を送るうえでは品良く穏やかな彼女は周りの人間を惹き付けてやまなかったが、神出鬼没な逆鱗にうっかり触れると、誰もその暴走する美少女を止めることができない。
 それでも桂が多感な高校生のやっかみの対象にならなかったのは、なによりも彼女が美しかったからだ。
 努力で手に入るものではない天性の美。一睨みで上の学年の生徒すら退散させた清らかさは、深い山を支配する神々のようですらあった。
 入学してから1ヶ月の間で彼女が作り上げた逸話は、彼女に群がっていた取り巻きを一掃するには十分なものばかりだった。
 だからといって桂が不必要に集団生活から浮いてしまったのかと言えば、それもまた違う。この1ヶ月で彼女との適度な付き合い方を学んだ俺たちは、相応の距離感で彼女と接することを暗黙の了解とした。そして彼女もまた、その距離感を心地よく感じているようであった。
 朝はふわふわとした足取りでひとり登校し、春の陽気に時折瞼を落としながら授業を受け、昼は声のかかったグループに適当に混じって弁当をつつき、放課後はそれなりにクラスメートと会話を交わしてから帰宅する。
 4月の間まるで嵐のように学校中の話題をさらっていった桂は、密やかな均衡の保ち方を周りが努めたことで、あっという間に平凡な高校生活に馴染んだ。
 そしてそんな平凡な高校生活の平凡な一要員に過ぎなかったはずの俺と、黙っていれば「ただのとびきり美少女」の桂を垂直に交わらせたのは、雨の季節が終盤に差し掛かった頃であった。






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