01


 

「ねえ清貴」
 桂のしなやかな指が鍵盤を伝う。
 赤く色付く夕陽に照らされてゆるく蠢く桂の手は、白鍵のそれとなんら変わりないほどの白さを思わせて俺はひとり喉を鳴らした。食道を流れ落ちる唾液の、生々しい音。ゴクリ。
 その音を聞いてか聞かずか、桂の目が不意に俺を捕らえた。密集する睫毛に囲われた白目の割合の少ない眼球。
 赤みを帯びた唇が持ち上がる。
「エンドルフィンって知ってる?」




 桂と出会ったのは、制服から真新しい匂いのする春先のことだった。入学式を欠席し、女子たちがそれとなく身を寄せるグループを固め始めた新学期開始3日目に、あっけらかんとした表情で教室に踏み入れた彼女はそこにいたクラスメートの度肝を抜いた。
 毛先を一直線に切り揃えた黒髪。膝より僅かに高い位置にあるプリーツスカートは、髪の毛と同じタイミングでさらさらと揺れる。
 肌はただ白く、その姿はどことなく日本人形の風貌を思わせて内心軽い恐怖感さえ覚えたものだ。
 ゾッとするほど、女子に嫉妬の気持ちすら忘れさせるほど、桂は綺麗だった。
 桂はそれから1週間ほど入れ替わり立ち替わりやってくる男子に囲まれたが、4月も後半になる頃には、彼女に寄り付くのはその美しさに憧れなにかとお節介を焼きたがるミーハー気味な女子数人になっていた。
 容姿の秀逸さを潰してしまうほど醜い性格かと言えば、そんなこともなく。成績は中の上といったところ。顔立ちが恐ろしく整っている以外、周囲の人間を萎縮させるほどの長所があるわけではない。
 しかし桂は、ひどく変わった人種であった。
 ふらりと中庭に出た桂に寄ってきた他クラスの男子が、桂の足元に咲いていたシロツメクサを踏んだ。それを見た彼女はワナワナと体を震わせ、その場にしゃがんだかと思うとその男子生徒の足首をつかみ勢い良く持ち上げたらしいのだ。
 完全に意表を突かれた男子生徒は見事に草の上に引っくり返った。なにが起きたのか理解できずポカンと口を開けたままのそいつを見下ろし、一言。
「自分以外の命を軽んじる馬鹿たれが」
 颯爽と中庭をあとにする桂の背中だけを見つめ、誰もが呆然と立ち尽くしていた。




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