「ねえ清貴」
桂のしなやかな指が鍵盤を伝う。
赤く色付く夕陽に照らされてゆるく蠢く桂の手は、白鍵のそれとなんら変わりないほどの白さを思わせて俺はひとり喉を鳴らした。食道を流れ落ちる唾液の、生々しい音。ゴクリ。
その音を聞いてか聞かずか、桂の目が不意に俺を捕らえた。密集する睫毛に囲われた白目の割合の少ない眼球。
赤みを帯びた唇が持ち上がる。
「エンドルフィンって知ってる?」
桂の唇から漏れたその単語は耳馴染みのないものだった。科学薬品かなにかだろうか、授業で習った覚えはない。
知らない、と言うまでもない俺の態度に、赤い唇が笑い声を漏らす。
指先でいくつかの鍵盤を弾きながら、桂はすっと立ち上がった。小柄な体が揺れて俺のすぐ目の前までやって来る。距離にして約30センチメートル。
心臓が破裂しそうな速さで稼働していた。
「脳内で分泌される成分でね、多幸感を得られることから脳内麻薬とも呼ばれるんだって。セックスをしているときに分泌されたりするそうよ」
「セッ………」
中学生のように単語だけでひどく動揺したのは、それを口にしたのが、清純という文字を形にしたかのような美少女であったからだ。
放課後の音楽室で体を寄せている事実に、普段見せたことのないような大人びた表情。それが俺の内側を恐ろしいほどに掻き回していく。
桂の長い指が俺の胸元を滑り落ちた。薄いワイシャツのうえからツツツ、と撫でられると、どうしていいのか分からなくなる。
背中を、汗が伝っていくのを感じた。
「か、かつら……」
机にもたれるように仰け反る俺の脚に、いつの間にか桂の太股が絡んでいた。捲り上がったスカートの合間からちらちらと白い脚が覗き、慌てて目をそらす。
「清貴は、セックス、したことある……?」
飲み込んだ唾液の音さえ聞こえてしまいそうな距離で、桂の甘い吐息が頬を掠めた。うまく呼吸ができない。酸欠で軽く目眩すらした。
もう駄目だ。俺は固く目を閉じた。
すると、それまで俺に覆い被さっていた体温が途端に遠のいた。合間に空気が入り込みその温度差に寒さすら感じる。
驚いて目を開けると、そこには数十秒前まで俺に迫っていたことなどまるで感じさせない、あっけらかんとした様子で乱れたスカートを正す桂がいた。