21


 その日の放課後、俺と桂は飽きもせず、もはや俺たちの集合場所とも言える音楽室に来ていた。
 桂は昼間のことについてなにも言わない。神崎先輩の「か」の字すら口にしない。何事もなかったかのようにいつもと変わらない振る舞いをする桂に、妙な苛立ちを覚えた。
 ざわざわと心臓が喚いて、胸のあたりが落ち着かない。随分身勝手な感情だな、と自己嫌悪する。
 俺は桂の「特別」なのだと思っていた。桂が特別親しくしているのは俺なのだと思っていた。けれども俺は、桂について一体どれほどのことを知っているというのだろう。
「さあ、今日はなにを弾こうかしら」
 椅子に腰掛け桂は機嫌良くピアノに向かう。実はね、今日、神崎先輩に告白されたの。そんな言葉はもちろん発せられるはずもない。
 西日で満たされた部屋のなかで、桂の白い肌が浮いている。
 なあ桂、俺たち友達じゃないのか。なにか変わったことがあったんだろ。校内でも有名な先輩に告白されたこと、俺は知っているんだぞ。どうして言ってくれないんだよ……。
 自分が笹原さんの隣にいることがこれからも当たり前にあるなんてこと、思わない方がいいと思うぞ。
 鼓膜の奥で河本の言葉が鈍く響いた。
「清貴……?」
 戸惑った様子で俺を呼ぶ桂の声で我に返った。恐る恐る首を持ち上げると困ったような顔が俺を伺い見ている。それはいつもの桂だった。
 安堵で胸を撫で下ろしながらも、俺はなんとも形容しがたい複雑な気持ちを整理できずにいた。――女じゃあるまいし、友情の度合いを比べたがるなんて、どうにかしている。
 自分を叱責して、それでもざわめく感情は落ち着く気配を見せない。
 散々躊躇した結果、とうとう俺はそれを桂に尋ねた。
「お前、神崎先輩と付き合うのか……?」
 桂の視線は一直線に俺を捕らえて放さなかった。ゆっくりと俺の言った内容を噛み砕いて、理解したように何度か瞬きをする。
 そうしてからとても静かに、品のある動作で再び体を正面に向けた。
 すぐに返事が来るものだと思っていた俺は、思いがけない桂の態度に戸惑いを隠せないでいる。その表情からなにかしら情報を得ようと視線を巡らせて、、溢れるような黒髪の間から漏れる笑みを見たとき、そこから目が離せなくなった。
 恐ろしいほどに妖艶で、16とは思えない色気を全身にたたえた女が、そこにはいた。




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