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 結局ありがたく頂戴することに決めて、自宅に戻ってきたその日の夜。容態が急変し、祖父はそのまま逝ってしまった。
 自分の最期を、祖父はなんとなしに悟っていたのだと思う。
「……で、特に夢も希望もないしがない男子高校生の三万円は、いまも自分の部屋の勉強机に眠ってるって話」
 わざと軽い口調で話し終えたのは、先程までよく笑っていた桂が、神妙な面持ちで俺の話を聞いていたからだ。
 やはり話すべきではなかったか、と少しだけ後悔する。このような空気を作るのが嫌で、いままで祖父の最期を誰かに語ったことなどなかった。
 仲良くなって1ヶ月程度しか経っていない桂に、どうして話して聞かせたのか自分でも分からない。ただ、気が付いたら口をついて出ていた。
 けれども俺の後悔は長くは続かなかった。すぐに柔らかな笑顔を取り戻した彼女が、薄い唇を開く。
「素敵なお祖父さんだったのね」
 祖父に宛てられたはずのその言葉が妙にくすぐったくて、俺は曖昧に頷くことしかできない。
 話したのは失敗なんかじゃなかった。胸に満ちる暖かさが俺の気持ちを撫でて丸くしていく。
 微妙な間合いと桂の優しさで溢れる視線が照れくさく、俺は慌てて目をそらした。この間をどうにか繋がなくてはと、懸命に次の話題を探す。
「桂は……桂の名前は、結構古風だよな」
 ああ、と短く声をあげ、彼女が髪を掻き上げる。
「名字みたいな名前でしょ」
 言いながらまた歩き始める桂を、俺も同じ早さで追いかけた。
 確かにそうかもしれない。声には出さず自身の内で相槌を打つ。漢字一文字でカツラ、という音は、最近では名字でしか聞いたことがない。
 植物の名前を子供の名付けに使う場合、多くはそれらの花言葉が強く関わってくる。花言葉になにかしらの思い入れがあり、そのような人間に育ってほしい、という願いを込めるのだ。
 彼女は、桂花の花言葉から名をもらったのだろうか。
「月の中にある高い理想」
「え?」
「中国の、桂の木の伝説だって」
 それは予想外の返答だった。
 たどり着いた部屋の前、一瞬の沈黙に包まれる。窓から射す西日が、桂の白い頬を赤く染めた。
「でもね、本当はノウゼンカツラの花から取ったみたいよ」
 日に照らされて、彼女の長い睫毛が影を落としている。目を細める彼女を、俺もなにか眩しいものでも見つめているような気分で立ち尽くしていた。




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