15


 部活動に勤しむ運動部員の声や、虫達の合唱。開け放たれた窓から校内に響くそれらを、いまは桂とふたりで聞いている。俺たちが初めて会話することとなった場所に向かい、並んで歩きながら。
 すぐ隣で艶やかな黒髪が揺れる。俺と桂の組み合わせは校内ではすでに見慣れた光景となったらしく、俺たちを目撃してもあからさまな驚きの表情をよこす生徒はほとんどいなくなっていた。
「お・の・だ・き・よ・た・か」
 一文字口にする度に、一段階段を上る。
 小学生がジャンケンと共に行う遊びを思わせるそれに、俺は桂にばれないように込み上げる笑い声を飲み込んだ。
 穏やかで、落ち着いていて、品の良い生徒。普段の彼女から見受けられる印象とは正反対の行動を、俺とふたりでいるときの桂はよく見せてくれる。
 それを指摘すると必ず桂は眉を寄せ、「どうせ子供っぽい性格です!」と拗ねた顔を見せていた。
 俺より階段7つ分高い位置にいる桂が、くるりと俺に振り返る。
「清く貴ぶ。綺麗な名前よね」
 階段7つ分低い位置から、俺は、照れとも苦笑いともつかない表情で桂を見上げた。
 確かに悪い名前だとは思っていない。けれども平凡を絵で描いたような俺では完全に名前負けである。清く貴ぶ、など、どちらかと言えば桂にこそ似合いそうな漢字であるというのに。
「3年前に死んだじいちゃんが、考えてくれた名前なんだってさ」
「3年前……」
 桂の声が妙にトーンを下げたことに、俺はそのとき気付かなかった。
 彼女の呟きにひとつ頷いて、ゆっくりと階段を上りながら病院で見た祖父の最期を語り出す。
 母の実家に行くたびに可愛がってくれていた祖父が倒れて入院したと聞き、電車を乗り継ぎ家族で見舞いに駆け付けた。
 思ったよりも随分元気な様子である祖父に安心半分拍子抜け半分といった感じだったのだが、たまたま病室にふたりきりになったとき、祖父は静かに笑って言った。
「じいちゃんはもう長くない。これは俺が清貴にやれる最後の小遣いだ」
 一番欲しいものができたときにつかえ。
 そう締めて渡されたのは、しわくちゃになった福沢諭吉3枚だった。
 馬鹿だなじいちゃん、こんなにしっかり話す年寄りはそんなすぐには死なねえよ、と手のなかのそれを返そうとしたのだけども、祖父は頑なに受け取らなかった。




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