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「そんな、いいよいいよ。俺がやったことなんて音楽室の鍵を開けたくらいだし」
「ピアノの演奏、聴いてくれたよ」
「それはむしろ俺が礼するべきでしょ!」
「え、そうなの?」
 彼女が、いつになくくだけた雰囲気で会話をしている、と思った。どことなく可も不可もない穏やかさを振り撒きながら他人と付き合う彼女が、いまは、ごく普通の女子高生のようにころころと笑っている。
 それを河本も察して、視界の端でにやけるのを俺は見た。
「ピアノ触ったの、小学校ぶりって言ってたよね」
 視線の先に彼女だけを捕らえ、努めて冷静に尋ねる。うん、と彼女が頷いた。
「中学校ではピアノは弾かなかったの?」
 なにげなく口から出た問いに、彼女は苦笑を浮かべる。その反応に首を傾げると、続けて説明してくれた。
「音楽の先生が結構厳しくて。合唱部でも吹奏楽部でもない生徒に、ピアノは貸し出せないって言われちゃった」
 なるほど、それで小学校以来弾いていなかったわけか。彼女の返答に納得しつつ、笹原桂は中学時代に音楽関係の部活には所属していなかった、と脳内のメモ用紙に小さく記した。
 謎多き美少女の昔話をこうも簡単に手に入れた自分に、なんとなく得意な気分になった。
 慈しむようにピアノを撫でていた昨日の様子から察するに、彼女はよほどピアノを愛しているのだろう。堅い考えの教師のせいで3年もピアノを演奏できずにいた彼女を思うと不憫だった。
 励ますように彼女に声をかける。
「うちの学校の西川先生なら、ピアノを弾きたいって言えばきっとすぐに貸してくれると思うよ」
「本当?」
 今度は俺が頷いて見せる。
 西川先生は穏やかな雰囲気を持つ中年の男性教師だ。楽器を愛し、楽器を演奏したいと望む生徒の申し出を無下に断ることなどまずないだろう。
 俺の言葉に彼女の表情が華やぐ。
「じゃあ、今度聞いてみる!」
 彼女の笑顔と同時に鳴り響くチャイム。廊下を歩いていた生徒たちが慌ただしく自分の教室に向かう。
 興味津々といった様子でこちらを眺めていたクラスメートたちものろのろと席に着き出し、それに従って彼女も立ち上がった。
 再び俺より目線が上がった彼女が口を開く。




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