文学部のゼミ室に着いた途端、中から四條の声が聞こえてきた。 教室を間違えてなかったことに安堵し、忍は声を掛けようとし、固まった。 「例の子とうまくいってないの?一緒に住んでるんでしょ?」 その声の主は忍が謝っても謝り足りない程、身勝手で無礼な真似をしてしまった四條の元恋人、多奈川だった。 そう言えば多奈川もまた、四條と同じ文学部だったと思い出す。 二人の会話に割り込んでいくことなど到底忍にはできず、ただ会話が途切れることを待つしかできなかった。 「なんか……駄目みたいだわ」 「駄目ってどういうこと?」 「あいつさ、料理作ってくれねぇし、何かとすぐ謝るし……意味わかんねぇ」 それは明らかに忍のことを指していた。 思わぬところで四條の本音を知ってしまい忍は嫌な汗が吹き出る。 (どうしよう……聞きたくない。でも、僕は聞かなくちゃ) 今度こそ贖罪できるチャンスなのだ。 これを機に自分の至らない部分を直してしまおうと耳を傾けた。 「あと、たまになんだけどバイトって嘘ついてどっか行ってる。ヤってる最中もぎこちないっつーか、本当は嫌々相手してんのかもな」 「ちょっと、こんな場所でそんな話まで聞かせないでよ!」 「お前が聞いてきたんだろうが。……はあ、思ってたのと全然違うわ」 その台詞を聞いた瞬間、忍はその場を走り去った。 走って走って、人を避けて走って、校舎裏の林に出たところで躓いて、地面に身体を叩きつけた。 暫く転がったまま伏せっていると、心臓の奥のそのまた奥の方からじわじわと悲しみが溢れてきた。 やがて目元まで競り上がったそれは涙となって瞳から零れ落ちた。 (僕はただ四條くんに幸せになってほしいだけなのに!なのに……僕のすることは全部彼を困らせてたんだ) ぽたぽたと流れた涙が地面に染みを作っていく。 せっかく償いの機会をもらったのに、それを踏み躙るように台無しにしていた。 四條に近づけてずっと浮ついていたのだ。 忍はこの時ほど自分自身が嫌になったことはない。 上体を起こし、ごしごしと顔を拭った。 「ちゃんと、しなくちゃ……」 木々のざわめきに掻き消されるくらいの呟きだったが、忍の耳にはしっかりとこびりついた。 忍の雰囲気が変わった。 普段から特段二人の間に会話はないに等しい。 けれど、それでもしんとした部屋にはどこか鬼気迫る緊張感があった。 どこが変わったのかと問われれば四條は答えられない。 ただ、以前の忍とは明らかに様子が違ったのだ。 あれから忍は四條の一挙手一投足を見逃すまいとより一層慎重になった。 一日のスケジュールを把握するのはもちろん、何が必要か、なければすぐにでも飛び出して買いに走った。 何かと謝ってしまうのは、最早四條に対しての癖になってしまっていて、ならば謝る必要がないくらい完璧に全てをこなすしかない。 最初はやはり気がつかないことが多かったけれど、今では四條に箸より重い物を持たせないと言っても過言ではない。 結局教室にまで通った料理は上達しなかった。 しかし材料を切って混ぜるだけで出来上がる料理の素を使えば、食べられる物になると気付いた。 四條に食べさせる物としては安っぽい味だけれど、四條は喜んで食べた。 恐らく高級料理しか口にしたことがないから珍しかったのだろう。 一先ずこれで凌ごうと忍は胸を撫で下ろした。 問題はぎこちないと言われた行為のことだ。 きっとこれはもっと奉仕してほしいのだと忍は解釈した。 実際にインターネットや雑誌等で調べてみても、男性は口での奉仕や入れられる側がリードして動く騎乗位が好きだということがわかった。 けれどわかったところでそれをすぐさま実行に移せなかった。 何故なら忍はこういったことに慣れていないどころか、今まで男性はおろか女性とも経験がなかったからだ。 (こればっかりはどうにもならない、かも……) がっくりと肩を落としながらも、ネットサーフィンしていると、とあるサイトに辿り着いた。 これしかない、忍はそう思った。 今まで足を踏み入れたことのない繁華街の裏通りに忍はそわそわした。 無粋にもきょろきょろと辺りを見回してしまう。 まだ昼間なためか人気は少なくどこか閑散とさえしている。 何度目かの決心の末、ど派手な看板が目に痛いその店に入ろうとした。 「あんた……丘忍、だよね?」 肩を掴まれ振り返ってみればそこには目を吊り上げた美形――多奈川の姿があった。 唐突に現れた顔見知りに忍は頭が真っ白になる。 そして多奈川はその麗しい見目から想像だにしなかった低い声で話があると忍を連れ出したのだ。 << >> |