時間に余裕が出来ると、段々と心にも余裕が出来る物です。そう、前に診察を受けた時に担当医が言っていたのをふと思い出す。確かにリフレッシュ期間を設けて早くも2週間。先週の鬱々しかった気持ちも多少は和らいで、死にたいという欲求もほぼほぼ落ち着いていたので不思議な気持ちになった。あの時はあんなに死んでしまいたいと思ったのに…。変なの。美味しい物を食べて、面白いテレビを見て、よく寝て休んで、カフェの店員さんと偶然共通の話題があって仲良くなって、笑って、って。人間ってどうしてそう情緒に波があるんだろう。この調子でずっと元気にいられたら良いのに…波といえば、あの日の海は凄い荒れていたなと、ついでに先週の雨の日をぼーっと思い出して鮫人間の姿が脳裏を過ぎる。チリン、と、窓に下げていた風鈴が短く鳴った。つられた様に窓の外へと視線を移せば、綺麗に晴れた空と青い海がここからでも一望出来て。吹き込んで来る生温い風が、心なしか塩っぱく感じた。…久し振りに行ってみようかな、海。

鮫人間に借りたブーツは、あれから綺麗に洗ってしっかりと乾かしておいた。今日は何だか、お弁当でも作ってピクニックしたい気分。おにぎりとか、卵焼きとか、タコさんウィンナーとか。冷蔵庫にあった物を適当に詰めて、夏っぽいデザインの爽やかなワンピースに袖を通す。買ったままで放置していた麦わら帽子も、この機会に引っ張り出してみたりして。


「(…また会えるかな)」


鮫人間に。なんて。多少の期待を抱きながら、私はお弁当と鮫人間のブーツを持って海へと出掛けた。







「よいしょ、っと」


柔らかい砂浜の上にレジャーシートを敷いて、カラフルなパラソルを差す。平日だからか。快晴だけど比較的海水浴客が少なくて、各々泳いだりサーフィンをしたり、楽しそうだった。ポケっとしながら海を見つめる事数十分。流石に暑くてぐいと額の汗を拭う。近くのテントでは、ピチピチの水着ギャル2人組がオイルを塗りたくっていてつい凝視した。わ、凄い。刺激的だ…。三つ編み美女の黒い三角ビキニから、胸やお尻が零れ落ちそうで同姓の私でもドキドキとしてしまう。ダイナマイトバディ…。もう1人の茶髪美少女も、白い肌に白い水着でスタイルが抜群だった。そしてそれにダル絡みするナンパ男…。海ナンパとか、本当にあるんだ。他人事に思いながらも横目でチラ見していると、不意に誰かが近付いて来るのを感じ取ってはっと顔を上げる。どうしよう、私もナンパだったりして、とか。一瞬身構える私をパラソル越しに覗き込んで来たのは、あの日私を助けてくれた鮫人間。


「ひゃっ!」


しかし予想外のタイミング過ぎてつい小さく悲鳴を上げた。幸い、誰も私の悲鳴を気にして居ないみたいで、特に周りからの視線も集めていないのに安堵する。それにしても、相変わらず酷い顔色だ。突然出て来られるとビックリしてしまうので心臓に悪い…。


「び、ビックリした」


ドギマギとする私に構わず、鮫人間が静かに私の隣へと腰掛けるのでドキ、とした。ジリジリとした空気の中、私は思い切って「あの!」と声を掛ける。


「これ、この間はありがとうございました」


鮫人間に借りたブーツを手渡すと、彼は一瞬私の足元を一瞥してから大人しくブーツを受け取った。「新しくサンダル買ったの」そう苦笑いすると、鮫人間はぐっ、と立てた親指を私に向けて来るので、ワンテンポ遅れてからフフっと吹き出す。


「ねぇ、貴方は人間?」


そう訊ねると、鮫人間は少し顔を顰めながらうーん、と唸るので、じゃあ鮫?と続け様に質問してみる。また別の方向に首を傾けて、更にうーんと唸る鮫人間。あんまり質問責めしても困らせるだけかもとは思いつつ、鮫人間という未知との遭遇に私の好奇心は留まる事を知らない。


「お名前はあるの?」


唯一その問い掛けにはピーンと来た様な顔をして。鮫人間はすっと立てた人差し指を柔らかい砂の上に置くと、スラスラ文字の様な物を書き始めるので目で追い掛ける。N.a.i.b …。


「…ナワーブ?」


こくこく。何処か嬉しそうにしながら勢いよく頷いたその顔を見て、自然と私の頬もゆるゆると緩む。ナワーブ・サベダー。ふふ、サメダーだねと笑うと、ナワーブは照れたみたいに頬を掻いてふいと視線を逸らした。ぐう。何処からか聞こえてきたお腹の鳴る音。即座にお腹を手で押さえたナワーブに、またクスクスと笑みを零して持参したバスケットを指差した。


「お弁当あるよ。いる?」


お弁当箱を広げてお箸を手渡せば、早速ブスリと唐揚げにつき刺してパクリと口に運ぶナワーブ。やっぱりお肉が好きなのかな。しかし卵焼きやシャケのおにぎりもパクパクと食べ進めてはグー、と親指を立ててくれるので、特に好き嫌いは無いらしい。ぱっと見異様な姿をしてはいるけれど、側から見ればコスプレだと思われているのか。通りすがり怪訝そうに見る人は居るものの、多分彼が鮫人間だとは思ってもいないだろう。


「…美味しい?」


口元に米粒を引っ付けながら、モグモグとおにぎりを頬張ったナワーブが大きく頷いてみせる。えへへ、なら良かった。少しはこの間のお返しになっただろうか…。不意にキャッキャと、隣のテントではしゃぐ水着ギャルの声が響いてナワーブと2人視線を向ける。うわ、たわわなお姉さんのお胸が揺れていてまたもや凝視。けれど、私の隣でナワーブも食い入る様に水着ギャルの事を見詰めて居て、ついその横顔をポヤっと見詰めてしまう。…ナワーブもやっぱり、ああいうのが良いのかな、なんて…。


「…」


ビキニのお姉さん、か。眩しいピチピチギャルを眺めながら、私もおにぎりを手に取っておもむろにパクっと食いついた。


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