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最高の一杯

時々、師匠は行き先も告げずに姿を消すことがある。

そういう時は必ず、俺が居候させてもらっている店の2階の一室…そのドアの隙間に、留守番をよろしく、という旨の置き手紙が挟まっている。
『Flow』は年中無休。師匠がいなくても、俺が1人で営業するしかない。

慣れないうちはテンパってミスばっかりしていたけど、最近やっと、この経験が自分の腕を上げる力になるんだと思うことができるようになっていた。


どうにかモーニングコーヒーを楽しむ客を捌ききり、少し暇を持て余すお昼前。

最高に嫌な客がやってきた。

「今日は師匠はいないっスよ、ミイサさん」
思わず刺のある言い方になる。もし、この人が師匠の担当監視員じゃなかったとしても…きっと誰よりも苦手な相手だったたろう。

ゆっくりと窓際の席へ腰を下ろしたミイサさんは、俺を見上げて、ポーカーフェイスを崩した。微笑むといつもの冷たい雰囲気が消え、優しい空気が彼を包んでいる。
「…今日は客として来た」
「え…?」
「急な休日が入ったんだ。だが他に行きたい場所もなかったからな」
そういえば、普段は真っ黒いスーツ姿のミイサさんが、今日は少しカジュアルな服を着ている。

「家で寝てればよかったんだ。どうせ今日も寝不足なんでしょ?」
以前寝不足が祟って具合が悪そうにしていたのを思い出す。人一倍真面目な人だから、一つの仕事が片付くまで残業でもしているんだろう、と師匠も苦笑していた。
「…いや。この前君に追い返されてからは、どんなに忙しくても少しは睡眠を取るようにしているよ」
「……」

少し眼鏡を気にする仕草をしている、整った横顔。まさに大人の男、といった感じだ。まあ、それもそのはずで、彼は俺より10歳も年上。
…そう、10歳だ。
それなのにこの人は俺をガキだと見下したりなんて絶対にしない。ちゃんと話を聞いてくれるし、意見を尊重してくれる。
ましてや、俺なんて社会にも見放された存在なのに。

もう、認めるしかないのだろう。
社会的地位も、人間としての度量も…。
「アンタには、かないませんよ」
「…何の話だ?」
「いーえ、何でもないっス!で、ご注文は?」
「そうだな…君に任せる。ああ、ホットにしてくれ」
「ハイハイ、了解したっスよー」

この人になら…今の俺に淹れられる、最高の1杯を出してやってもいいかな。


…なんて、ね。


 
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