Novel/Long

10

久野が指定した駅は、多くの企業のビルが立ち並ぶビル街のド真ん中にあった。
足早に通り過ぎるスーツの男女を眺めながら、自分には絶対にむかないだろうと瑞樹は思う。働いて稼いで結婚して子供が生まれて…。そんなありふれた、誰にでもできそうな生活をする自分の姿が全く想像できなかった。
自分が特別だとか、そんなことはあまり思ったことはなかったが、確かに瑞樹の育った環境が一般家庭のそれとは異なっていたからかもしれない。

瑞樹には本当の父親の記憶がない。
物心ついたときには母と二人暮らしだった。何故父親がいなかったかは知らない。興味がなかったのも理由の一つではあるが、母親が重い病気を患っており、幼い瑞樹にとって大切な母親の看病が全てだったのだ。
そんな親子に手を差し伸べたのが、久野政基だった。
当時、まだ今の瑞樹と同じ年頃であった久野は瑞樹の母親と恋仲にあった。籍を入れなかったのは、母が自分の死期を悟ったからであろう…。
彼は仕事の合間に母の入院する病院に足を運び、一人家に残る瑞樹を自らの家に呼び寄せ世話をした。彼の存在は親子にとって事実上の救いであり、心の支えであった。
しかしその甲斐なく、母は瑞樹の制服姿を見ることなくこの世を去る。
久野にとって手元に残ったのは籍も入れていない恋人の残した、他人の子供…。
彼の葛藤はいかほどだっただろう、今でも瑞樹は思う。どんなに愛した人の子供でも、赤の他人を引き取るには様々な壁があったはずである。家族に反対もされただろう、それでも彼は瑞樹を受け入れたのだ。

「瑞樹」
視線を上げると久野の姿があった。少し白髪と目元の皺が増えたようだが、カッチリとスーツを着込んだ姿はあの頃からずっと変わらないままだ。
「仕事、お疲れ」
「ああ。…移動しようか。ここからあまり離れていない場所だから」
「わかった」

駅から五分も歩かないうちに辿り着いたのは、落ち着いた雰囲気の定食屋だった。
「いいな、ここ」
「だろ?久しぶりだからな…ゆっくりお前の顔が見たかったんだ」
筑紫の言うとおり、久野は大きく表情を変えることが滅多にない。眼鏡のガラスの向こうからひたすら冷静に相手を観察し、淡々と言葉を告げる…そんな男だ。
その顔が、笑みを描く。
この笑顔を見る度、瑞樹は不安を抱かざるを得なかった。これは本当に自分へと向けられたものなのか?母の忘れ形見である自分に彼女の陰を見ているだけではないのか?…と。
「俺みたいな可愛げのない男の顔見てどうすんだよ…」
「いいんだよ、親ってのはそんなもんだ」
「俺には理解できないね」
「はは、お前も子供を持ったらわかるようになるさ」
「…そうかい」


 
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