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恋が死ぬ日
この気持ちをはっきりと自覚したのは一体いつ頃だったのか。記憶の糸を手繰り寄せても、これといって明確な時期は分からなかった。

ただもう気付いた時には文則の事が好きで、どうしようもなく惚れていて、年々その思いは膨らんだ。告げようとした事もあった。

けれど私の幼さと、二人の立場の違いからそれを口にはできず、結局ずるずると感情を持て余すばかりだったのだ。

私がむくれてみせても、泣き喚いても、文則の態度は変わらなかった。臣下と主君の娘、決してその線引きを覆そうとはせず、私と一定の距離を保ち続けた。

臆病な私は気持ちをはっきりと言葉にせず、側にいるだけでいいとその関係に胡坐をかいてしまった。云っていれば、何かが変わったのだろうか。

勇気を出せなかった過去を悔んでみても、最早手遅れなのは分かりきっている。それでももしかしたらの行方に思いを馳せる事が、今の私にとっては何よりの慰めだった。

「ねえ、文則」
「は」

呼び掛けると彼はいつも通り短く応えた。無機質にも聞こえるその声に、わずかばかり泣きたいような気分になる。

「お父様に聞いた?」
「何を、でございましょう」

彼が怪訝そうにその形の良い眉を顰めた。その表情から本当に聞いてはいないらしい。もしもそれを言ったら、文則はどんな顔をするのだろう。

驚いて少しは嘆いてくれるのかな。それとも何とも思わないのだろうか。意を決して言ってみる事にする。どうせ近日中には皆の知る所となる話だ。

「私ねえ、嫁に行くらしいの」

声に出してみれば意外にもあっさりと吐き出す事ができた。自分の声がどこか他人事のように耳に届く。

文則をちらと見ると、彼はどこか遠くを見るような目をしていた。何を考えているかまったく分からないその顔に、怒りに似た不快感が押し寄せる。せめてもう少し驚いてくれればいいのに。

「さようでございますか」
一呼吸おいてから文則が、ぽつりと言った。それきり難しい顔をして口を噤んでしまう。

彼が無口なのはいつもの事だけれど、せめてもう少し何かあってもいいんじゃないかと私は不満に思う。せめて、こんなめでたい話の時くらい……。

黙りこくった彼を気に掛ける事なく、私はひとり言のように言葉を繋げる。

「会った事ないんだけど、同い年ぐらいなんだって。お父様があちらのお父様と意気投合したらしくて、あっと言う間に決まっちゃったみたい。でも大丈夫かな、私こんなんなんだけど。一緒になってすぐに離縁とかされないかな」

文則は答えない。

「なんでもなかなかの美青年らしいの。武にも学にも優れてるんだって。まあ確かに私はお父様の娘だけど、いいのかな。お母様はあんまりいい所の出じゃないし。料理もできないんだけどなー。ちょっと急な話過ぎると思わない? でも適齢と言えば適齢だよね。むしろちょっと行き遅れ気味?」

文則の顔を覗き込むと、彼は一直線に私の目を見据えながら口を開いた。

「なまえ様、大変めでたき事、この于文則我が身の事のように喜ばしく感じております。どうぞこれよりは婚家に御身お尽くしし、健やかに過ごされますよう」
「もう、固いなあ。言われなくても分かってるよー」

文則の言葉を途中で遮り、文句を言う。口を尖らせると彼は眉根を寄せた。私が欲しいのはそんな言葉じゃないけど、きっと文則は言ってくれないだろう。

一番聞かせたくない人にこの話を聞かせ、一番言って欲しくない言葉を言われた。悲しみなのか諦めなのか、どちらとも判別し難い感情に心がざわりと波立つ。

「文則」
「はい」
「私と駆け落ちしない?」

真面目くさった顔で彼を見つめ、そう提案する。

「なまえ様……またそのような」
呆れたように文則がかぶりを振った。

「ふふ、嘘だよ」
すぐさま否定し、私は天井を仰ぎ見た。

そこには何もなく、やっぱりただ天井が目に映るだけだ。文則が首を縦に振る事など、天地がひっくり返ったとしてもあり得ないだろう。分かっていても気を緩めれば涙が滲みそうになる。

どうして、うまくいかないのだろう。私はただこの目の前の人が、好きなだけなのに。

「文則」
今度は彼は返事をしなかった。また冗談を言われるとでも思っているのかもしれない。

心の波がざわざわとうねりを増す。言ってしまえば、何か変わるのだろうか。私と文則の距離が。私達の行く末が。変わればいい。壊してしまいたい。終わらせたくない。ずっと文則といたい。

「私さ……文則が──好きなんだけど」

やっとの思いでひねり出した声は今にも消え入りそうだった。文則の顔を見る事はできない。拒絶の色を浮かべられたらすぐにでも泣いてしまいそうだったからだ。

「なまえ様、ご冗談もたいがいになされよ」
彼が低く言い捨てる。その言葉に胸がちくりと痛んだ。

「冗談に、聞こえた?」
見つめると、文則は私の視線を避け目を伏せた。眉が顰められ、神経質そうな瞳が揺れている。その仕草から彼が戸惑っている事が嫌でも伝わってくる。

言うべきではなかったのだ、そう思うが一度音になった言葉は意味を持ち、二度と飲みこむ事は出来ない。じわりと後悔が押し寄せる。

「ご冗談でないのならば、尚の事お慎みください」
文則が静かに、けれど厳しい口調でそう言った。

そこには何の歪みもない。私が入り込む隙間など、わずかにもなかった。少しも期待させてくれない、そんな言い方だった。

堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出す。泣きたくなんてないのに、そう思って止めようとしても私の意思に反して、涙は滔々と流れ落ちる。

本気になんてしてくれない。どれだけ好きなのか分かろうともしてくれない。決して報われる事なんかないんだ。

陰鬱とした粘り気を伴うような空気が辺りに漂い始める。作り出しているのは紛れもなくこの私だ。

窓の外で一際強い風のざわめきが鳴り渡り、すぐに細かな砂を投げつけるような音が聞こえ始める。不意に文則が動く気配がして、顔を上げると歪んだ顔が目に入った。

「……なまえ様」
小さく呟きを零して、彼の手が頬に伸ばされる。その顔が切なげに歪んでいるのを見て、胸がきりりと痛んだ。

文則の指が頬に触れるか触れないかの所で彼は手を止め、すぐさま力なく腕を下ろした。

「幸せに……なられよ」
そのまま彼は背を向け、扉から出ていく。

追いかける事はできない。だって分かってしまった。文則も私の事を好きなんだと。だけど今さらどうにもならない。どうする事もできないじゃない。

もう何ひとつ変える事なんてできない。遅すぎたの、何もかも。目の前の物すべてが急速に色褪せていく。

「好き、好きよ文則」

零した言葉は虚しく宙で消える。扉が閉じられると同時に、稲光に部屋が一瞬明るく照らし出された。すぐにそれは大きな音を連れてくる。耳を塞ぎたくなるような激しい轟音にくらりと目眩を覚えた。


    *


嫁ぐために乗り込んだ馬車に揺られながらぼんやりと今日までの人生を振り返る。

これといって何かがあった訳ではない。むしろ今まで何不自由なく過ごさせて貰った。お父様にも、お母様にも感謝の気持ちしかない。それでも心は晴れやかとは程遠い。

婚礼の儀の時に顔を合わせたあの男性の元へ嫁ぐというのが、幾ら想像してみてもぴんとこない。私はちゃんとその役目を果たせるのだろうか。不安ばかりがいたずらに募る。

やがて馬車が止められ、震動もなくなった。とうとう目的の場所に着いてしまったのだろう。外から声を掛けられ扉が開けられる。差し込む太陽の光の眩しさに、私は思わず顔を顰めた。

服を汚さぬよう細心の注意を払いながら馬車から下りる。顔を上げると先日会った主人となるべき人が、その両親と共に私を出迎えに立っていた。にこやかな表情を見ても、やはり心は沈んだままだ。

彼らの元へ一歩踏み出した時、視界の端に文則の姿が留まった。護衛で来てくれていたのだろう。すれ違う間際、彼が私へと一礼をした。

けれどもう私は彼を見ない。まっすぐに前だけを見て、決して振り返ったりしない。

あの日恋は死んだのだ。二度と息を吹き返すことはない。主人の前に立ち拱手しながらゆっくりと頭を垂れる。

「曹なまえ、不束ではありますがこれよりはこの身、妻として御家のために尽くして参ります。どうぞよしなに」
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bkm

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