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[ 2 ]
近頃どうもなまえ様の様子がおかしくないですかねー?と李典殿の話す声が耳に届いた。

「そうかな?」
その後に少し間延びした郭嘉殿の返事。

なまえ様。
その名に思わず体が動きを止める。
幾日か前のあれは、なんだったのか。彼女の、なまえ様の泣き顔と震える体が頭をよぎり心の臓がずしりと重くなる。

「これは、于禁殿」
突然立ち止まった私に気づき、郭嘉殿が軽く手を掲げ微笑んだ。軽く会釈を返し歩き出そうとするが、それを阻むように二人が近づいて来る。

「于禁殿は何か聞いてます?なまえ様の事」
いつもと変わらぬ様子で李典殿が問い掛けてくる。

「何かとは?」
「あれ?お気づきないんで?いやむしろこれは俺の勘が外れてるだけ?」
「質問の意図がよく分からぬのだが」
「いえね、ここ数日なまえ様の様子がみょーにおかしいんですよ。上の空っつーか、心ここにあらずっつーか」

後頭部に手をやり李典殿が唸る。それに郭嘉殿が言葉を続けた。

「そう言えばどことなくそうも見えるね。なんというか空元気、とでもいうのかな」
「あー、そうそう。なんっか変にはしゃいでますよね。昨日なんか俺、誘惑されちゃいましたもん」
誘わ……。思わず言葉を失う。

「李典殿、あなたは少し言葉を選んだ方がいいと思うな」
「いやー、私女として魅力ある?試してみたい?なんて聞かれちゃったら、あんな事やこんな事想像のひとつもしちゃうのが男ってもんでしょー」
「まぁ、李典殿はそうかもしれないね」

李典殿を一瞥して郭嘉殿は爽やかに笑った。それから、でも、と付け足す。

「確かになまえ様がそんな事仰るなんて、おかしいね」
「で?なんか思い当たります?于禁殿」
「なぜ私に?」
問い返すと二人して不思議そうな顔を私に向けた。

「なぜ、って。嫌だなぁ。于禁殿がなまえ様のお守り役じゃないですか」
「なまえ様が一番懐いているのも于禁殿だしね」

そういう目で見られていたのかと、少しばかり脱力する。確かになまえ様を幼少の時より存じてはいるが、まさか子守りと思われていたとは。

「残念だが、心当たりは皆無だ」
そう返すと二人はため息を洩らす。

「余計なお世話かもしれないけど、早々に原因を突き止めなきゃなぁ。なまえ様の顔であんな事言われちゃ、そのうち本気にするやつが出てきちゃいますよ」

なぜか項垂れる李典殿の肩を郭嘉殿が軽く叩きながら、こちらへと向き直す。

「本当に。なまえ様ももうご立派な女性。恋のひとつやふたつ、ご経験なさっているんじゃないかな。いつまでも子供だと思っているのは──我々だけかも」

口元には笑みを浮かべているが、その瞳は鋭くすべて見透かされているような眼差しだ。

とにかく、原因究明に勤しもうか。そう言い彼らは立ち去って行く。俺もちょっと本気になりかけちゃいましたよ、李典殿のそんな言葉が微かに聞こえる。

頭が何かで殴打されたように、ぐらりと揺れた。それと同時にえも知れぬ腹立ちが首をもたげてくる。何なのだ。一体、何だというのだ。

なまえ様が幼き頃よりその成長を見、喜び、過ぎた事と知りながら実の娘のように慈しんできた。それが今やどうだ。

いつの間に彼女は成長し、どこの誰とも分からぬような男を拐かすかもしれないだと?なまえ様への苛立ちなのか、まだ見ぬ男への嫉妬か。様々な思いが頭の中で飛び交う。

そして、あの晩の出来事が否応なく反復される。
月夜に浮かぶ白い陶器のような肌。幽かな光に照らされる艶髪。細い、なめらかな手と指の感触。無邪気な笑顔。

整った顔がくしゃりと歪み、こぼれ落ちる涙。何故泣いたのか。彼女は何に怒りを覚えたのか。あの時私は……。

かぶりを振り、ちらと浮かんだ思いを打ち消す。そのような事、許されてはいけない。許される筈もないのだ。


    *


「あ、于禁殿!」
背後から不意に呼び止められる。そろそろ日も落ちようかという時刻。振り向けば李典殿の姿がそこにあった。溶けかけた太陽の光を浴び、彼の姿は赤く染まっている。

「これこれー」
屈託の無い笑顔で何かを差し出され、戸惑いつつも受け取った。

「これは?」
「簪ですね」
「それは承知だ」
「嫌だなあ。べつに于禁殿に着けろってんじゃないですよ」

そんなことは分かり切っている。何がしたいのだ、この男は。

「いやー、偶然!ほんと偶然なんですがね、それ、なまえ様のなんですよ」
「なまえ様……の物か」
「そこで拾ったんですけど、俺ちょっと野暮用で手が離せないもんで于禁殿にお届けして頂けないかなーと思いまして」

へらへらとした笑いを浮かべ、李典殿は後頭部に手をやる。

「明日にでも李典殿が届けられてはいいのではないのか」
本心を言えば今なまえ様と顔を合わせる事はしたくない。

「いやいやいや!以前大事な簪だって言ってたもので。無くされたと思ってお悲しみになられてるかもしれませんし」
「しかし……」

じゃ、お願いしましたよ!私の言葉を遮り李典殿はそそくさと離れていく。その姿にどこか違和感を感じるも、頼まれたとあっては仕方がない。ほんの少し相対するだけだ。

考えてからその言葉に我ながら笑いが込み上げた。何を張り詰めているのか。これではまるで戦のようだ。相対などと、決闘のようではないか。

笑った事で若干の緊張が溶けたのか、先程よりは僅かばかり軽い思いでなまえ様の部屋へと足を向ける。

何も深く考える必要はない。
彼女は主君の娘で私は臣下だ。
厳然たる線を引き、それを遵守する。
何ひとつ揺らぐ事などないのだ。
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bkm

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