「なまえ」
名前を呼ばれ、はっと目を開いた。
暗闇の中で、文則がこちらを見ているのがうっすらと分かる。はっきりとした表情は見えない。
だけど雰囲気というか、空気というか、やっぱり何かがいつもの文則と違う。闇に包まれても分かる程、彼の瞳の奥はぎらついている。
「なまえ……お前を私にくれ」
切ない声でそう言われ、胸が締め付けられる。それは、つまり。ここまで来たら後には引けない。そんな思いに支配される。
何より、こんなに余裕のない文則を見るのは初めてで、なんとかしてあげたいという気持ちが膨らんだ。
「痛く、しないで」
やっとの事でそれだけ言うと、彼が息を飲み「ああ」と頷いた。
恥ずかしさを押し殺し、足を開く。大丈夫、私達はもう夫婦なんだから。文則が相手なんだから。怖い事なんて何もない。
秘部に熱い物が押し当てられるのが分かった。どきどきと心臓が早鐘を打つ。ぎゅっと目を閉じて、彼を受け入れる準備をする。
「いっ! ああっ!」
無理やり押し広げられる感覚に、痛みが走る。引き裂かれるような、皮膚が突き破られるような、痛み。
歯を食いしばり耐えようとしても、じわじわと突き進んでくるそれに、呻き声が洩れてしまう。
「う……うぅ」
「っ、なまえ……力を抜け」
切羽詰まった声になんとかそうしようとしても、痛みは際限なく押し寄せてくる。
「む、無理ぃ」
情けない事に、涙が出てしまいそうだ。なんでこんな痛い思いをしてまで、セックスなんてしなきゃいけないんだろう。心が挫けそうになる。
「い、今どの辺?もう全部入った?」
マラソンみたいだ。終りが見えなければ我慢もし難い。けれどその答えを聞いた時に、私は質問したことを後悔した。
「まだ……半分だ」
「嘘でしょ……」
がっくりと全身の力が抜け落ちる。文則はその瞬間を見逃さず、一気に腰を沈めた。ずしり、と衝撃が私を貫く。
「あっ!ああっ!」
そのせいで再び体に力が入ってしまった。目の前の文則の顔が、苦しそうに歪む。
「なまえ……力を抜けっ……きつすぎる」
そんなこと言われてもできるものなら、とっくにそうしている。ただ先程までの激痛は遠のき、じくじくとした熱さだけが残されていた。
「なんだか……すごく、変な感じ」
そう告げると、彼は苦笑した。
「動くぞ」そう短く言い、文則が腰をゆっくりと動かす。
その度にちりちりと痛みが広がるが、それと同時に奥の方が痺れるような感覚に襲われた。
「んっ……あっ」
痺れはだんだんと強さを増し、私の呼吸もそれに合わせて大きくなる。
耳元で文則の吐息が聞こえる。それがとても色っぽくて、どうしようもなく愛しく感じる。
「っ、あ……」
やっぱり、自分のこういう声は恥ずかしい。口に手の甲を押し付け、堪えるがすぐにその手は文則によって取り払われてしまう。
「もっと聞かせろ」
低く凄まれ、さらに興奮が高まり、制御できなくなる。
「ひ、あっ! ああ、うんっ!」
力強く奥を突かれる度に口から勝手に声が洩れ、快感が体を支配していく。
そのうちに、また波がやってくる。飲まれないように必死に抵抗してみても、それはすぐに徒労に終わる。
引いては押し寄せ、何度も繰り返され確実に私を追い詰めた。
「文則っ……もう、だめかもっ」
縋るように彼の腕に触れると、文則は「構わん」と返す。一際強く腰を打ちつけられ、目の前が白く染まる。
「あっ……あああああっ!」
「……っ、なまえ!」
ほぼ同時に文則も私の中で果てた。
*
「思ったんだけど」
「なんだ」
事後に文則の腕の中で抱かれながら、彼に話を振る。
「どうして、今まで私とセックスしなかったの?」
どうにも今日の文則を見ていると、腑に落ちない。興味がなかったようには思えないし、どちらかと言えばかなり激しかったのではないか。
私には比較対象がないから、断言はできないけれど。
文則を見上げると、気まずそうな顔が眼に映る。
「なまえは……知らぬのかと」
「何を?」
「そういう行為を、だ」
開いた口が塞がらないとはこういう事だ。まさか知らないなんて、小学生でもあるまいし。
そんな私の気持ちに気づいたのか、彼はさらに気まずそうに眉を顰めた。
「幾度か雰囲気を作ってみたが、お前は一向に関心を払わなかっただろう」
つまり、私が鈍感って事?そう問うと、文則は困ったような顔をする。
「そう思ってるのね。ひどい」
わざとらしく拗ねてみせる。
すると彼は私の頭を優しく撫でた。拗ねたふりをしているはずなのに、大きな手にほっとしてしまう。
そのまま額へキスを落とされた。文則は普段より幾分柔らかい声で囁いた。
「なまえを傷つけてしまわないかと、恐ろしかったのだ」
大切に思われているのは充分に伝わってきて、拗ねるふりは何だか馬鹿らしくなった。
とっても不思議だけど、文則との距離が縮まったような、そんな気がする。愛しい、今は迷いなくそう思う。
あなたといつまでも一緒にいられるかしら。声に出してはいない筈なのに、それに答えるように文則に強く抱き締められた。