晩御飯を済まし、二人でぼんやりとお茶をすする。
ご飯はそれはおいしかった。新鮮な魚介類を売りにしている地域なだけあって、海鮮づくしのそれはお腹も心も満足させてくれるものだった。
少し食べ過ぎたかな、とも思うが滅多に食べられるものでもないので、良しとしよう。
お茶を飲み終わる頃、文則が
「休むぞ」
そう言った。
まだ少し時間が早い気もするが、特にしなければならない事もないので、その言葉に従う。奥の部屋には布団が二組、並べて敷かれていた。至れり尽くせりだ。
布団へと体を滑り込ませると文則が照明を落としてくれた。衣擦れの音で、彼も布団へと入った事が分かる。
暗闇の中、宴会でもしているのだろうか、歓声が小さく聞こえてきた。
しばらくぼんやりと見えもしない天井を見つめていたが、先ほど湯の中で考えていた事が頭から離れず、眠れそうもない。
文則は、どう思っているのだろう。そういう事に興味がないのか、私自身が対象と成り得ていないのか。考えども考えども答えらしきものは見つからない。
ここで無駄に思い悩むよりも、聞いてみた方が早いのではないか。まだ寝息は聞こえてこないから、眠ってはいない筈だ。
「ねえ、文則」
「なんだ」
予想通り、彼はまだ眠っていない。即座に返事を返された事にわずかに驚きながらも、言葉を続ける。
「キスってした事ある?」
息を飲む音が聞こえた。
「それは……そうだろう」
躊躇いがちに答えが返される。
そうか、した事あるのか。私はした事がないから、私以外の女性と、という事になる。
「……ふーん」
なんとなくおもしろくない、そういう気持ちがじわりと滲み出す。
私とはしていないが、他の女性とはできる。想像してちくりと胸が痛む。
「私はした事ないんだけど」
今度は返事がない。答えあぐねているのだろうか。
「私とはしたくならないって事?」
続け様に聞くと、文則が布団から起き上がる気配がした。
「そうではない」
「じゃあ、どういう事? 私たちって、結婚もしたのに手を繋いだ事すらないって、とってもおかしい」
「それは」
「私、そんなに魅力ない?」
文則が私を覗き込む。暗闇に目が慣れ、近くならわずかに見えるようになってきたようだ。けれど表情までは見えず、彼が何を思っているか分からない。
「なまえは……興味が、あるのか」
言葉を選ぶように文則が問う。
興味があるのか、どうだろう。よく分からないけれど、文則とならしてみたい気もする。て事は、やっぱり興味があるのか。
「そうね、あるみたい」
手を伸ばすと彼の顔に触れた。
なんだかどきどきして、指が震えてしまう。その手に文則の手が重ねられる。温かい手にすっぽりと収まってしまって、余計に心臓が音を立てる。
「なまえ」
名前を呼ばれ、文則の顔が近付いてくる。
ああ、ダメだ。心臓がうるさいほど鼓動を早め、私はぎゅっと目を閉じた。
唇に柔らかい物が落とされる。文則の唇が瞼の裏で思い起こされ、頬に熱が集まるのを感じた。
「なんか、不思議な感じ」
感触が離れてからそう言うと、文則は困ったように「そうか」と言った。
「レモンの味なんてしないのね。どうしてそういう解釈になったんだろう」
「それはもはや都市伝説のレベルだろう」
「そうなの?」
その質問に彼は答えない。
「ね、もう一度して」
不思議な感じだけど、嫌だとはちっとも思わなかった。むしろ、何かが満たされるような、言葉で表すのはとても難しいけれど。
再び文則の顔が近付き、唇が重なる。啄まれるように何度もキスをする。小さくリップ音が聞こえて、ちょっとだけ恥ずかしい。
不意に唇に生温かい物が触れ、思わず「わ!」と声が出てしまった。
その声を無視して、文則はキスを続ける。舌だ、舌で唇を舐められているんだ。
びりびりとしたこそばゆさが、唇から全身へ巡る。なんだか息苦しくて息を吸い込もうと口を開いた瞬間、舌が捩じ込まれた。
ぬるりとした感触にぞわりと総毛立つ。口の中ででたらめに動いて、舌を絡めとられる。
「うぅっ……文そ、やっ」
彼の肩を押して、やめるよう頼んでも聞き入れてもらえない。
温かくて、ぬるぬるして、気持ちが悪い。ああ、これがいわゆるディープキスか、なんて頭の片隅で冷静に思った。
いつの間にか文則は私に跨り、手首は押さえつけられている。何度も何度も角度を変えて繰り返されるキスに、思考能力はもはや停止状態だ。
吐息が洩れ、頭の芯がじんじんと痺れる。それでも許してくれない。
やっと解放された時には、息が上がりきっていた。文則も心なしか呼吸が早い。
「……すまん」
「びっくりした」
「だが、これでは終われそうもない」
え?と思うが早いか、首に吸いつかれた。
「ぉ、おっ!?」
唐突に感じたくすぐったさに、体が無意識に強張る。文則の予想外の行動にいよいよ頭はショート寸前だ。
「ぶ、文則?」
呼びかけても返事は返ってこない。
変わりに、彼の荒い息だけが聞こえる。首筋を這う唇の感覚に身を捩ってみても、文則の体はびくともしない。おまけに手首まで自由を奪われている。
「くす、ぐったい、文則」
浴衣の共袷の辺りを彼の唇が擦り、抗議の声をあげる。それに合わせるように手首が解放された。
ほっとしたのも束の間、またすぐに自由を奪われる。頭の上で重ねるように文則の片手で固定され、さらに身動きが取れない。
なぜと聞く前に彼の空いた方の手が、私の胸へと這わされた。浴衣の上から柔く揉まれ、どうしていいのか分からなくなる。
これは、いわゆるそういう事、なのだろう。けれどなぜ急に。
文則はもっとスマートにこういう事をするんじゃないかと勝手に思っていただけに、驚きが隠せない。