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窓から広がる景色はとんでもなく雄大で、わずかに感動を覚える。同じ国に住んでいるというのに、この違いは一体何なのだろう。

どこまでも広がる灰に近い青色の海に目を奪われていると、背後から声をかけられる。

「なまえ、先に湯を浴びるぞ」
その言葉に私は小さく頷き、準備に取り掛かった。

私と文則の出会いは学校だった。高校の授業、生物の担当が彼だったのだ。規則に厳しく、無愛想で生徒の人気は壊滅的だった。

同じクラスの女子たちは彼の悪口をさかんに話し、時には反抗的な態度を取り、笑いのネタにしていたようだ。

私はどちらかと言えば、いや明確に、地味で目立たない存在だったためその輪に加えられる事もなく、文則の事など一人の教師程度の認識しかなかった。

休日に雨に濡れながら、必死に用水路と格闘する彼の姿を見るまでは。

その姿が気になり後日話を聞いてみると、ミジンコを採取していたらしい。厳めしい彼の姿とミジンコ、というギャップに何だかとても心惹かれて、それから少しずつ仲良くなったのである。

仲良くなった、というのは少し語弊があるかもしれない。あまり喋る、という事もなくただ放課後彼がミジンコと戯れる様子を、読書しながら見ていただけなのだから。

その奇妙な距離感は私が卒業するまで続き、お互い特になんの感情も抱かずに別れた。

筈だったのだが、その後不思議な巡り合わせで彼と再び出会い、いつの間にか恋人という関係になり、さらに気づけば結婚してしまったのである。本当に人生とは分からないものだ。

「準備できた」
そう告げると、文則は「では行くぞ」そう言い部屋を出る。後を追って私も部屋を後にした。

結婚式はあげなかった。私はもとよりあまりそういう物が得意ではない。さらにお互いの両親や親族も特にこだわりはなかったらしく、あっさりそのまま籍だけ入れる事にしたのだ。

そして、今日から三日間、彼とこの旅館で過ごす事になる。いわゆる新婚旅行、というやつだろうか。

「本当にここで良かったのか」
「うん、ここが良かった」

廊下を進みながら会話する。文則が言わんとする事は分かっている。折角だから国外とか、国内でももっと遠い観光地なんかを計画していたのだろう。

けれど私は近場のこの温泉旅館を提案した。二人きりで温泉に入って、ゆっくりご飯でも食べて、なんて最高だと思ったのだが。彼はどうやら、私を贅沢させたいらしかったため、先程の質問になったのである。

「それじゃ、後でね」
女湯の前で文則に一時の別れを告げる。混浴なんかもあるらしいが、いまだキスすらしていない私たちに選択肢はなかった。

文則は無言で頷き、男湯へと向かう。その背を見送ってから、暖簾をくぐった。

そうなのだ。私と彼とは付き合い出してからも、籍を入れてからもそういう事が一切ない。

別に私が男性恐怖症で彼を拒んだとか、文則が女性に興味がないとかではなく、本当に不思議なことだがそういう雰囲気になった事がないのだ。

クリスチャンでもないので、貞潔さを保ったという話でもない。だが現実に彼とはキスおろか抱き合ったり、手をつないだ事もないので、つくづく不思議な話だ。

湯に浸りながら、考えてみる。私は特にそういう事をしたい、とは思った事がなかった。

映画を見たり、本屋を巡ったり、部屋でお互い好きな事をしたり、そういう事が楽しかったし気楽だったから、特に意識した事もなかったのだ。

だが、結婚してからそれっておかしくないか?という事に気づいた。好き同士なのに、そんな事あるんだろうか。いやないだろう。

不意に以前文則に言われた言葉が蘇る。
「お前は変わっている」と。心外だったので私は「文則の方が変わってる」こう返した。

今にして思えば、変わり者同士だからこういう事態に陥っているのかもしれない。変な事に気づいてしまった。

けれど、とも思う。こうして折角旅行に来たのだから、一段階進んでみてもいいのかもしれないな。

キス。キスってどんな感じなんだろう。文則の形の良い唇を思い浮かべて、なんだか照れ臭くなりそのまま湯の中に顔を沈めた。


    *


「ただいま」

湯から上がり、部屋へ戻るとすでに文則は備え付けの浴衣に着替えて座椅子へ腰を下ろし、読書をしていた。

微生物の生態という本のタイトルが目に入り、相変わらずだな、と笑ってしまう。その笑いも意に介さず、彼は本を読み続けている。

「気持ち良かった」
隣に立ち感想を言うと、文則も「ああ」と短く頷く。晩御飯の時間まではまだだいぶんあるだろう。

私も持ってきた本を取り出し、窓際の椅子に腰掛け表紙を開く。折角なのに、している事は結局いつもと変わらないなとも思ったが、それが心地良いので口にしない事にした。
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