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突然このような文をお渡しして、あなた様はさぞかし驚かれたことでございましょう。ずっと伝えたかった事があるのです。

幼少の頃よりあなた様には随分と良くして頂きました。もちろん私が父上の娘であるという立場がそうさせたの所もおありでしょう。

それでも私は嬉しかった。
あなた様が私に微笑んで下さるのが何よりも嬉しくて、あなた様に褒めて頂きたくて、私は苦手な学問も必死に学んだものです。

その割にはいまいちだ、なんておっしゃらないでくださいね。けれどそう思って頂ける事すら幸せに感じてしまうのです。

戦の度にあなた様のお姿が見えなくなるのが苦しかった。いいえ、今も同じです。

仕様のない事、そう自分を言い聞かせても、この胸は不安で押し潰されそうになるのです。
今夜もまた、あなた様のご武運とご無事を祈り枕を濡らしているのです。

長々としたためてしまいました。
文則様、なまえは文則様をお慕い

「なんだこれ」
自分で書いておきながら、最大級の違和感を感じ思わず頭を抱えてしまった。

うんと小さい時から文則が好きだった。いやたぶんちゃんと意識したのは十四、五の時だけど、それでもずっと好きだった。

それを意識してから照れくさくてちょっと反抗してみたり、邪険に扱っちゃった時もあったけどそろそろ私もいい年頃というやつだ。甘い言葉とか雰囲気とかになってみたい。気もする。
きっと……。たぶん……。

だけど文則的には私は子供で、主君の娘で、女どころか下手すると人間にすら思われていないんじゃないだろうか。

私の数々の思わせぶりはことごとく玉砕だ。しょうがねぇ、直球勝負だ、と息巻いたものの本人を目の前にするとなんも言えなかった。

自分がこんなに意気地なしだとは知らなんだ。ほんと、好きの一言を口にするのがこんなにも難しいとは。

直球勝負は無理だと早々に気づき、今度は文で伝えることにした。そうと決めたら即実行。意気揚々としたため始めたものの、昨晩から必死こいて考えてるわりにはこれだという言葉が書けない。

若干よれよれの文字、まぁお世辞にもきれいとは言えない文字を眺めながら再び頭を抱える。

どう伝えたらいいんだろう。いつもの調子じゃ、本気にしてもらえない気がする。でもここまでかしこまっちゃうと逆に本気にとれない気もする。

この時ばかりは普段の女らしくない態度を心底後悔した。いやまぁ女らしいと玉砕する確率下がるのかって聞かれると、相手はあの文則だし微妙だけどもさ。

鳴りもしない口笛をひゅるる、と吹いて筆を置く。ええい、もうやだ。頭使いすぎて沸騰してる。絶対。確実に。
気晴らしに散歩でもしよう。冷たい空気を吸えばなんか名文でも生まれるかもしんない。

上衣を羽織り、部屋の外へと足を踏み出す。思っていた以上に空気は冷たく、思わずぶるりと身震いした。

中の庭へとそろりそろりと歩き出す。昼間なら文官やら将軍やら女中やらがうろついているが、さすがにこんな時間では人っ子一人見当たらない。

目的の庭までつくのにそう時間はかからなかった。ちょっと薄着すぎて、早々に部屋へ戻ろうと腕をさすりながら決める。

池の中では鯉がゆらゆらと水の動きに合わせて揺られていた。いいね、お前は。こんな思いに惑うこともないんだろうね。

じゃ、お前は鯉になりたいのか?と問われれば答えはもちろん「否」だけどさ。鯉だけど恋はできないもんね。
鯉と恋……。むはっ。

「なまえ様」
不意に背後から声をかけられ、ぎょっとした。

「文則」
振り向くとまさしく思い人が、怪しげなものを見る目で私を凝視している。

「こ、こんな時間になにを?」
「それはこちらの言葉です。このような夜更けに何をなさっておいでか」
「あー……。鯉の悩みを聞きに?」
「おたわむれも大概になされよ。感冒にでもかかられたらどうなさるおつもりか」

渾身の冗談は効き目が薄いどころかほぼ効果なしのようだ。普段の二割増しで眉間に皺が寄っている。

「なまえ様。お聞こえか」
文則が庭まで降りてきて、目の前に立つ。今夜は月が明るい。その端整な顔が余す所なく照らされる。

「……聞こえてる」
なんだか恥ずかしくて思わず顔を背けてしまう。直視なんか、できない。違う。ほんとはもっとずっと見てたいけど、あなたに見られるのがたまらなく恥ずかしい。

私のことなんかなんとも思っていないのに、分かってるのに、その双眸に私はどう映るのか想像するだけで顔が火照ってしまう。

「部屋までお送り致そう」
武人らしい、無骨な手が差し出される。
「平気。ひとりで帰れる」
「そういう訳にはいきますまい」

私の返事を予想していたかのように、文則の声が返ってきた。そういうところが嫌いだ。私の事を子供だと思ってる。私の扱い方をまるで兵法のように定型化している。

「なまえ様」
促すように名前を呼ばれた。そこにはたいした感情などないように感じる。ならば、ならばせめて困らせてやろう。むくむくと黒い感情が頭をもたげる。

「分かりました。帰ります」
その言葉に文則の眉間の皺が少しだけ緩んだ。

「私を名前で呼んでくださったら、帰りますぅ」
「呼んでいましょう、なまえ様」
「様をつけないで」
緩んだ皺がまたしても深くなる。

「お戯れを。一国の姫君を臣下の私が……」
「じゃ、帰らない」
「なまえ様!」
これはなんの遊びだ、とでも言いたげに文則の語気が荒くなる。

「呼ばないの?」
「この于文則、不義不忠の輩とは違いますれば」
「私しかいない。ここには、私とあなたしかいないよ」
「尚更にございます。あなた様は殿の大切な姫君。そのような方を呼び捨てるなど。主君を裏切ること、私には出来ませぬ」

私を呼び捨てるのと主君を裏切るのは違う問題じゃなかろうかと思ったけど、文則の目は真っ直ぐだ。これは無理だと悟り、大人しく部屋に戻ることにした。

「分かった分かった。帰るよ。でも、ひとりで平気よ」
歩き出した私の後ろを文則がぴったりと着いてくる。余程、信用がないらしい。思わず吹き出してしまう。

「もう帰るってば!文則ってば、心配症ぉ」
からかうように言えば、咳払いが聞こえる。

昔もよくこうやって送ってもらってた。いたずらしたり、勉強が嫌で抜け出したり。その度に文則は私を連れ戻してお説教かましてくれてた。
おかげで多少のお小言は右から左へ聞き流せるようになったものだ。

あの頃は──あの頃は無邪気に手なんか繋いでもらって、無邪気に抱きついたりしてた。まぁ、抱きついた時は冷静に引きはがされてたけど。

子供なら許されるのかもしれない。不意打ちで立ち止まり、文則の手を握ってみた。はっ?みたいな顔をして、文則の動きが止まる。

冷たい、氷のような手。少しかさついてて、男の人の手だ。こんな時間に外にいれば冷たくなるのは当たり前だけれど。

「なまえ様、お手を離されよ」
「なんで?昔はよく繋いだじゃない」
「それはなまえ様が幼き頃の話でございましょう。今はもう立派な女子。お慎みください」

こういう時だけ、大人扱い。私の手を握ったところで、胸が高鳴るとかもないのか。これはもう、どう考えても範囲外なんだろう。

「やーだよー」
笑ってその手を強く握る。出来るだけ、無邪気に見えるように。私が子供なら、こうやって触れてくれるんでしょう?

「なまえ様っ!」
文則に手を払われ、行き場を失った手が虚しく宙に浮く。

なんで?どうして?私では子供としてもあなたと接することは最早できないと言うの?鼻の奥からツンとしたものがこみ上げてくる。

文則がまずいことをしたとでもいう顔で、私を見つめる。泣くな泣くな泣くな泣くな。

「な、によー。そんなに怒んなくてもいいでしょー」
身を翻し、顔を背けて歩き出す。泣くな泣くな泣くな泣くな。

「なまえ様……」
困惑した声が惨めな気持ちを増幅させた。部屋まであと少し。おやすみなさいを言って扉を閉じて、そしたら泣こう。泣いてしまおう。だからそれまでは流れるな、涙。

部屋に入って、振り返るといつものように眉間に皺の寄った彼の顔が目に飛び込む。なにか言いたげに、あちらを見たりこちらを見たり。

期待、しちゃいけないのかな?
少しでも、私を女として見てはくれてる?ずんと重い空気がまとわりつく。

「先程は……ご無礼をいたしました」
やっと口を開いた文則から出た言葉。私はそんな言葉を聞きたいんじゃないのに。必死に塞き止めていた涙腺が一気に崩壊していく。

「文則はっ……!なんにも分かってないっ!」
喋ろうにも流れ落ちる涙だか鼻水だかに邪魔され思うように喋れない。なんで謝るんだ。あくまでも私は父上の娘。それ以上でも以下でもない。この人の目にはこれっぽっちも私は映っていない。

毎日毎日、少しでも釣り合えるように髪を梳き、化粧を施し、香を焚き、衣を熟思し、会えた日は天にも昇る気で、会えない日が続けば胸が引き裂けそうなほど愛しくなって。

けれどそのすべてが何の意味もない事なんだ。文則の中に、私はいない。

「──おやすみなさい、于禁将軍」
やっとそれだけ吐き出し、扉を閉める。文則の顔を見ることは出来なかった。見たら全部溢れ出そうだった。

この気持ちは彼を当惑させるだけのもの。
ならば、伝えてはいけない。私は彼の中で主君の娘。それをまっとうしようじゃないか。
すべて終わりにする。子供じみた恋愛感情なんか、すべて捨てる。

扉の向こうで文則が去っていく気配を感じた。書きかけの書簡を掴み床へと打ちつける。
乾いた音が耳の奥に響いた。
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