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[ 結 ]
部屋から出て、扉を静かに閉じる。扉に添えられた指がわずかに震え、それに気づいた時思わず笑ってしまった。

恐怖なのか、喜びなのか、そのどちらでもあるようで、どちらでもない感じもする。未知の感覚に戸惑っている、そう、それがしっくりくる。

踵を返し、駆け出したい気持ちを必死に抑えゆっくりと歩き出す。色づいた紅葉が風に吹かれ、囁くようにざわざわと揺れていた。


    *


今から尋ねようと思っていた人物の後ろ姿を偶然廊下の先で見つけほんの少し足を早めた。別に逃げ出したりはされないんだけど、せっかく会えたのだから今を逃す手はない。

「文則ー」
声をかけると彼は怪訝そうな顔でこちらへと振り返った。

「なぜここにいる、なまえ」

いつものこととは言え、その冷たく聞こえる言い方にがっくりと肩を落としてしまう。もうちょっと嬉しそうな顔をしてくれてもいいんじゃないの?

「かわいい嫁に対する言葉とは思えないんだけど」
そうむくれてみせると、彼はしまったとでもいうように咳払いをした。私の機嫌を損ねてしまったとでも思ったのだろうか。

私と文則は紆余曲折経て、色々あって、いやそんなにも困難と呼べるものはなかった気もするけれど、約束通り祝言を上げ夫婦になった。

今から2年ほど前の話だ。一緒になってからもしょうもないようないざこざはたくさんあるけど、それでもやっぱりお互い好きなので、なんだかんだ仲良くやっていけていると思う。

今の所喧嘩で実家に戻ったことはないから、私も随分と成長し大人になったのではないだろうか。まあ大方は文則が折れてくれているのだが。

「今日は外出する。そう言っていたと記憶するが」
「あー、うん。その用事はもう終わったの」
「そうか。ではなぜここにいる」

なぜ、と聞かれても一応ここは私の実家でもあるし、そもそもこの場所に用事があって来たのだが、それを説明するにはこの往来では少しばかり場が悪い。どう言ったものかと固まってしまった私を彼は訝しげに見下ろしている。

「……今時間ある?」
そう聞くと文則は少々面食らったような顔をした。けれどすぐにいつもの顔に戻る。

「かまわん。が、さほど多くの時間は取れん」
いいのいいの、そんなに時間掛からないし、そう返し文則の手を取った。

あそこがいい。あそこならそうそう人も来ないだろうから、ゆっくり話ができる。あたりをつけ歩き出す。背後からおい、だか、待て、だか声が聞こえるが口笛を吹き聞こえないふりをした。

「あれ? なまえ様?」
廊下で部下と話をしていたらしき李典と出会った。私を見るなりうわーとか歓声を上げる。

「すっごくお久しぶりですねぇ! お元気で?」
「ええ、おかげさまで。宅の主人がお世話になっております」
そう言うと李典が笑顔を張り付けたまま固まる。

「なまえ様、ですよね?」
「李典殿にはわたくしが他の誰かに見えまして?」
「ちょ、李典殿とかやめてくださいよ!いっつも呼び捨てだったじゃないですか!」

しゃべり方も変ですよ気持ち悪い!そう付け足された。本当に悪意なく失礼なやつだ、そう思う。

「李典はあいかわらずちゃらんぽらーんだね」
「あ、やっぱ変わってないんですね」

そっくりそのままお返しするわ!心の中で毒づくが口には出さない。私はもう大人だから。

「お二人お揃いでどうされたんで……」
文則に軽く会釈しながら李典の視線が下へと降り、そのまま再び固まった。

「あ……あー、俺、用事があったんでしたぁ」
すいませんがこれでー、と走り去っていく。なんなんだいったい。

李典の視線が止まった所を確認しようとして、思い至る。私の手と文則の手ががっちりと組み合わされている。

繋がった手を眺めながら、鳩が豆鉄砲食らったような顔で逃げるように去った李典の心情を慮り笑いが込み上げた。見てはいけないものを見てしまった、そんなところだろう。

「あららー、明日には鬼の将軍は愛妻家で城内でも仲良しって噂されちゃうね」
そう笑うと文則はいつにも増して厳しい表情を浮かべる。

「面白おかしく流言を流す輩は許さん。即刻処罰だ」
睨むように李典が去って行った方を見つめる。

かわいそうに、そう呟くと文則はお前のせいでもあるだろうと返してくる。もっともだ。

今はもう使う人もほぼいないであろう部屋へと入り、文則に扉を閉めるよう促した。長年締め切られた部屋の中は埃とかびの匂いで充満している。心なしか空気も湿っているように感じる。

「人に聞かれては困る話か」
文則がそう言い、私の目を見つめた。光りが差し込まない部屋は薄暗く、彼の顔もどこかおぼろげに映る。

「うん、まあそんなとこ」
わざわざ邸で待たず、こんな所まで連れて来たのだから急を要する重要な話、彼はそう思っているのだろう。その眼差しは真剣で、揺らぐことはない。

さて、どう言ったものか。答えながら頭の中で話の筋を組み立てる。こんな時でも文則の気を引こうと、より印象深く話そうとする自分に気づき思わず苦笑した。

今日くらいはまっすぐ直球でいいのではないのだろうか。うん、そうしよう。ゆっくりと口を開き大きく一度酸素を吸い込んでから、その言葉を喉から吐き出した。

「お父様! おめでとう!」
真剣にこちらを見ていた目がゆっくりと閉じられ、彼はわざとらしくため息をついた。

「なまえ、いつも言っていることだ。簡略化し過ぎるな」
え、伝わらないの?

「だから、父と母で揃ってお祝いでしょ?」
「理解しかねる。はじめからやり直しだ」
はじめから、彼の言葉を復唱し言い直す。

「えっと、なまえは朝も早くからお匙のとへ行きました。ちょっと心配な事があったのです。つまり体調不良です」
文則はそんな私の言うことを、目を閉じたまま黙って聞いている。

「で、診てもらった所驚愕の事実が判明したのです。──子を身ごもっておりました」

言うが早いか彼の眼がかっ、と開かれた。

「だから文則はお父様で、私はお母様」
文則と自分を交互に指差しながら、そう続ける。目を見開いたまま微動だにしない彼の腕を軽く叩く。これは驚いてるの?そうなの?

「そ……うか」
その視点は定まらず、どこか遠くを見ている。もしかして嬉しくないのではと不安になりかけた時、彼の腕が伸びてきて抱きすくめられる。

「よくやった」
顔は見えないが、確かに文則の声には喜びが含まれている。長年の付き合いがあるからこそ分かる、ほんのわずかな違いだ。

褒められた事で何だかさっきまで渦巻いていた不安が、蜘蛛の子を散らすように霧散していくのを感じた。そうか、やったのか私。

そっ、と腹に手をやって恐る恐る撫でてみる。普段と特に変わった様子もなく、実感もまったく湧いていない。

それでも確かにここに新たな命が芽生えているのだ。愛しい人との子を授かる、その言葉が頭に浮かんだ時、頬が自然と緩むのをこらえることはできなかった。

「男かな、女かな」
「無事産まれればそれで良い」
「すごく目つきの悪い赤子が出てくるんじゃないかな」
「……」
「産声が処断だーだったらどうする?」
「行く末が楽しみだ」
「名前どうしようねぇ」



(繰り返す。何度も、波のように。
行く先なら君が決めて)
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