どうしよう。布団にくるまりながらのたうち回る。
昨晩徐庶殿に口づけされ、好きだとか言われ更にそれを文則に見られてしまった。言い訳しようにも戻った宴の席に彼の姿はなく、わざわざ追いかけるのも躊躇われてそのまま部屋へと戻ってしまったのだ。
そして朝を迎えた。罪悪感は昨日よりも膨らみ、それに輪をかけて徐庶殿への対応にも頭を抱えている。
どうしよう。ぐしゃぐしゃと頭を掻き回した所で解決策など浮かぶ筈もなく、ただただ思考の迷路に迷い込むばかりであった。
とりあえず徐庶殿にはきちんとそんな気はないと伝えなければ。返事もせずにあの場から逃げ帰ってしまった事も侘びなければ。
文則にはその後で説明しに行こう。重たい心と体を奮い立たせ、のろのろと布団から出る。
文則は、分かってくれるだろうか。一抹の不安が襲う。いや、私に他意はないし大丈夫、大丈夫。そう思ってみても、心は底なし沼へ沈んでいくようにずっしりと重くなるばかりだった。
*
「徐庶殿」
庭で彼の姿を認め呼び止める。私に気づくと彼ははにかんだ様子で駆け寄ってきた。
「なまえ殿、ええと──昨晩はすみませんでした」
開口一番謝られ、少しばかり拍子抜けする。本当はちょっと怒っていたのだけれど。
「俺、その、少し酔ってて……」
ああ、やっぱりそうだったか。そうだろうと思った、と返すと徐庶殿は困ったように眉尻を下げる。
「ああ、でも、酔っていたなんて……弁解にならないとも分かっているんです」
伏せられた睫毛が揺れ彼は視線を泳がせ、苦しそうに息をついた。
「でもなまえ殿の事は……好きなのは酔っていなくても変わりません」
潤んだ眼差しを向けられ、戸惑ってしまう。まいったな、まるで子犬だ。それでも、ちゃんと言わなくてはいけない。
「……ごめん、徐庶殿」
「于禁殿ですね。昨晩知りました」
答えるより早く彼にそう言われ、少々面食らう。ぎこちなく笑う徐庶殿に胸が締めつけられる。
片思いの辛さは分かってるつもりだけど、それに答えられないのも辛い。慣れてない事態に何とも歯切れの悪い言葉しか出てこない。
「知ってたの。だから、あの……」
「いいんです。俺なんかじゃ……あなたには釣り合いませんから」
どうしてそうなるのだろう。人と付き合っていくのに釣り合うとか合わないとかないと思うのに。
「徐庶殿は素敵な人だよ。私は……他の人が好きだけど、徐庶殿なら女の人取っ替え引っ替えできるくらいの魅力あるよ!」
「あ、ありがとうございます。取っ替え引っ替え、は、ちょっとあれですけど」
ああ!確かに取っ替え引っ替えはいけない!それではただのすけこましだ。そう伝えたかった訳ではない。
「そうだよね! あれだよね! えと、あの、ほら……すごく……かっこいいと思うよ」
だめだ、言葉がだだ滑りしていく。けれど彼はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫です。……もう、覚悟は出来てましたから」
たった一人が欲しいだけなのに、難しい。彼のその言葉が胸に突き刺さる。
ごめんなさい。いいえ。本当に……ごめんなさい。俺こそ心煩わせてすみません、どうぞ、幸せに……。あなたも、幸せになってね、あと自信もっと持ってね。……はい。
*
ひとまず徐庶殿に別れを告げ、文則の元へと急ぐ。一つ問題が解決したわけだが、どちらかと言えばこちらが大問題だろう。いや、徐庶殿を軽んじてるわけではなくね。そうじゃないけど、私にとっては死活問題だ。
ああ、でもやっぱり心が重い。何て言えばいいんだろう。ごめんなさい、だと私が意図的にあんな事したと思われるかもしれない。
かと言って開き直るのもいけないだろう。素早く足を運びながら頭が高速回転している。けれど名案は何一つ浮かびはしなかった。
この扉の向こうに文則がいる。
ずっと帰りを待っていたのに、結局昨日は二言、三言しか言葉を交わせていない。おまけにあの醜態だ。
ここまで来てまだ愚図ついてしまう自分にほとほと嫌気が差す。目の前の扉がは酷く巨大に見え、開けることが躊躇われるがそんなものは気のせいだと分かっている。
いつまでもここで突っ立っている訳にもいかない。意を決して扉越しに声を掛けた。
「……なまえです」
ややあってから入れ、と返される。扉をゆっくりと開き部屋へと足を踏み入れた。文則は机に向かい何やら書き物をしているようだ。
「どうした」
こちらを見もせず彼が問う。
「あの……昨日のこと」
その肩がぴくりと反応した気がした。けれどやはり彼はこちらを見ない。
「ごめんなさい」
怒っているのだろうか。心がどんどんしぼんでいく気がして、床へと目を落とす。
あ、服の裾が汚れてる。さっき外に出た時についたのか。ぼんやりとそんな事を考えていると、文則は大きなため息を一つ吐いた。
「……気にしていない」
そう、気にしてないの。当たり前だよね。あんなとこ見られちゃったんだから当然……えっ?気にしてないの?
顔を上げ文則を見るが、やはり彼は私を見ていない。さすがに筆を握った手は動いてはいないけど。
「話はそれだけか。……ならば出ていけ」
その言い方があまりに冷たくて、感情すらこもってなくて目の前が白くなる。
「なんで? ……そんな言い方」
「どのようなつもりかは知らんが、これ以上話す事はない」
かたりと彼の筆を置く音が響く。鼻の奥がつんとする。
「……何でこっち見ないの」
私の声に彼は答えない。ただ机に座ったまま前をじっと見ているだけだ。
「こっち向いてよ」
「……必要ない」
どうしてどうして?なんで理由も聞いてくれないの?嫌いになっちゃったの?私の事なんてどうでもいいの?
「ちゃんと私の顔見てよ!」
「必要ないと言っているだろう!」
文則が声を荒げ拳を机へと振り下ろす。だん!と大きな音がしてその振動で筆が机から転がり落ちた。
じわじわと涙腺が浸水していく。勝手に流れ出てあっという間に決壊だ。
いつもそうだ。私ばっかり文則を好きで、彼はそうでもないんだ。足から力が抜けてその場にしゃがみこんでしまう。それでも涙は止まってくれない。あんまり大量に流れるものだから鼻まで詰まってきた。
「……うっ……う゛ー……」
ぎしりと音がして、文則の履物が目に入る。
「……なまえ」
名前を呼ばれても立ち上がることはおろか、顔を上げることもできない。
「なまえ」
彼は私の手を掴み立たせようとするけど、体は床と一体化してしまったように動かない。
「……っ文則……文則……」
いやだいやだ嫌いにならないで。お願い。だめな所全部治すからお願い嫌いだなんて言わないで。
「嫌わないで」
ふっと足から床の感覚がなくなったと思えば、体が宙に浮く。文則が子供を抱くように私を持ち上げた。
「えっ……えっ?」
そのまま彼は向きを変え歩き出す。頭だけじゃなく体も硬直して動かない。はっきり怒っていると分かるほどに文則の顔が厳しい。
「え……何」
言いかけた言葉を遮るように私の体が急に投げ出された。
「あぶっ!」
驚きとわずかに背中を打ちつけたことによって、一瞬息が止まる。横目で落とされた場所を確認すると一応床ではなかった。仮眠用に設置された寝台だ。
布団が薄くて痛かったけど、床じゃないだけましなのかもしれない。投げ飛ばすほど怒っているのか。
「……ご、ごめんなさい」
謝るのと同時に彼の体が動き、私の体の上へと覆い被さってきた。
「ぶ、文則?」
また涙目になりながら、放り投げた張本人へと恐る恐る視線を移す。想像通り彼の眉間の皺は深く深く刻まれていて、鋭い目で私を見下ろしている。
「以前に忠告した筈だ」
忠告?何を?聞き返す間もなく、文則の顔が私の首へと埋められる。柔らかな唇の感触にぞわりと体が震えた。