言ってやらない|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
熱はひどい。頭も痛い。
となればさすがのサカヅキも風邪だと容易に判断できた。
幸い今日は大事な会議などはない。ならば休んだ方がいいだろう。
サカヅキはそう考え、今日は一日休むことにした。
しかし、どうせコレが来るなら無理をしてでも仕事に行くべきだっただろうか、と今更後悔していたのである。
「ご機嫌いかがかな。子犬ちゃん」
「・・・外道の世話になるほどじゃあない。元気だ」
「ひどいの〜・・・恋人の俺に黙っとるなんて」
サカヅキの変わらぬ毒舌に偽犬は溜め息を吐いた。
風邪をひいたと、赤犬から聞いて見舞いに来てみれば憎まれ口は絶好調だ。
しかし具合が悪いのは事実なようで、顔は熱で真っ赤。目は重苦しそうに細められていた。
「本当に心配しとるんだぜ。俺は」
「・・・・・」
「今日はずっとここにいるけェ。何かありゃ何でも言えや」
偽犬はそう言いながらサカヅキの汗でぬれた額を撫でる。
今まで見たこともない偽犬だった。
優しい瞳、優しい手。
あまりの優しさにサカヅキは明日この世が終わりを迎える前兆なのではないかとさえ思った。
あの偽犬が。自分に利益がない事はしない男が、もっとも自分に実質的な利益のない“人の看病”という行為を行なっているのだから無理もないだろう。
「見返りはなんだ・・・・・」
「お前の元気な顔が見たいだけじゃ」
「うそだろう・・・」
「そんなに疑わしいなら誓約書でも書いてやろうか?」
「あぁ」
「・・・・本当に俺は信頼がないのォ〜」
冗談で発言したことだったがまさか即答されるとは思わなかった。どうやら自分はとことん信頼がないらしい。
偽犬はそう困ったように苦笑し、適当な紙の裏に誓約書と書いてサカヅキが文句をつけなさそうな言葉を次々と書いていった。
「えー・・・私サカズキはサカヅキの言うことを全て聞き入れ実行に移すことを誓います・・・これでええか」
「あぁ・・・反故にするなよ」
「当たり前じゃろうが。その辺はちゃんとわきまえとるわい」
確かに自分の仕事を“健全なお仕事”と自称し、今まで法を犯したことなどないと豪語しているのだからまさか誓約書を破るようなことはしないだろう。
両方共に誓約書にサインをし、サカヅキがホッと安堵の溜め息をついたところで偽犬は思い出したようにサカヅキに聞いた。
「何か食いたいもんはないんか。買って来るぞ」
「・・・・・そうだな。じゃあ・・・」
普段なら頼めば見返りが怖いが誓約書を書かせた今なら何でも頼める。サカヅキはしばらく考えた。
するとサカヅキの頭に一つ、いいイタズラがポンと思い付いた。
これなら小さいながらも普段の仕返しにはなるだろう。
「サウスブルーで食べた・・・バナナが食いたい」
「バナナ?あの黄色いやつか?」
「あぁ、頼む・・・・」
「・・・おぅ、任せとけ」
サカヅキの珍しくしおらしげなお願いに偽犬は快く了承した。
しかし実は今の季節マリンフォードの市場にバナナなど売ってはいない。
サカヅキの魂胆は売ってもいない物を頼んで探させ、偽犬を困らせようというものだった。
少し意地悪な気もするが偽犬の普段の所業を見ていればこのくらい可愛く見えるだろう。
「じゃあ行ってくるけェ、ゆっくり休んでろ」
そう言い偽犬がドアの向こうに消えた瞬間、サカヅキはニヤリといたずらっぽい笑みを見せた。
◇◆◇
かれこれ一時間は探し回っただろうか。
マリンフォードに数多くある八百屋の半分近くを回ってもなお偽犬の探し求めるものは見当たらなかった。
ここまでくればさすがに誰しもが売っていないのだろうと諦めるところだが、偽犬は諦めていなかった。
「あとは・・・・奥にもう一件あったのォ」
普段とは想像もつかない献身ぶりである。
もしこれをサカヅキが見たらば何と思うだろうか。
惚れてしまう・・・ことはないかもしれないが少しぐらいは彼について考え直すかもしれない。
無論、残念なことにサカヅキはこの場にいないのだが。
「ここにもないかのう・・・」
頼みの綱でもある最後の八百屋に来たがどこを見渡しても見当たらない。
あとはどこに行けばいいだろうかと考えていると突然後ろから肩をトントンと叩かれた。
誰だろうかと振り返るとそこには自分よりやや背の高い男が立っていた。
「ほぅ、黄猿の旦那じゃねえか」
「あァ〜やっぱり君かァ」
海軍のコートに特徴的なサングラス。
お目にかかるのは初めてだがサカヅキや赤犬との話によく出るので彼が“大将黄猿”であることはすぐに分かった。
それはボルサリーノも同じで。赤犬との話によく出るから彼が“偽犬”であることはすぐに分かったらしい。
もちろんいい話など聞いたことはなく、なるほど見た目の悪さも話に聞いた通りだ。
「何を探してるんだァい?」
「サウスブルーの黄色い果物探しててな」
偽犬の話を聞いた瞬間、ボルサリーノは怪訝そうな顔を見せた。
それは自分の記憶では今は出回っている時期ではない物だ。
自分が好きな物なのだから間違いない。
「誰かに頼まれたのかい?」
「あァ、コレにな」
そう言って偽犬は小指を突き出し見せつけながら、再び棚に視線をやり始めた。
そんな姿を見てボルサリーノは本当にこの男が噂通りの利己的で鬼畜な男なのか疑わしく思えてきた。
確かにいい噂は聞かないが、恋人に頼まれてありもしない物を探し回っているなんて、何と律儀な男だろうか。むしろ恋人の方が悪人なのではないかとさえ思ってしまう。
「・・・売ってないよォ」
「は?」
「今は時期じゃないから売ってないよォ」
ボルサリーノはそんな悪女の意地悪なお願い(ボルサリーノの中では)から解放してあげたくてつい事実を言ってしまった。
これなら諦めて帰り、家でその悪女な恋人と喧嘩の一つや二つして来るだろう。
しかしボルサリーノのそんな考えは偽犬の一言によって粉々に砕け散った。
「知っとる」
「え?」
「だから、知っとるわい」
その発言にボルサリーノはますます“偽犬”という存在が分からなくなってきた。
つまり彼は『無い物であることを知らずに探しに来た』のではなく『無い物であることを承知で探しに来た』というわけで。
ボルサリーノは意味が分からないと言わんばかりの顔で偽犬を見た。
が、彼は冗談を言っているわけでもなくトンチを言っているわけでもないようだ。
「まぁ俺にも守らんといかん事情があるんじゃ。ここになくとも他の所にもあるじゃろ」
偽犬はそう言って探しに行こうと歩き始めた。
そんな律儀な一面に、あの同僚を思い出しつつボルサリーノはもう一度偽犬を呼び止めた。
「その無理言う子が頷くかどうかは分からないけどォ・・・あると言えばあるよォ?」
◇◆◇
「少しやり過ぎたか・・・」
あんな意地悪な事を頼んで偽犬が出ていってからもうかなりの時間が経っていた。
さすがのサカヅキも反省し始めていて、帰ってきたら詫びの一つでも入れたいと思いながら偽犬の帰りを待っていた。
もう少しで太陽は水平線の向こうに沈んでしまいそうだし、辺りも暗くなってきた。
かなり遠くまで歩き回っていることは間違いない。
しまいにはちゃんと帰って来られるんだろうか、とさえ思い始めた瞬間。
ドアが開く音が聞こえた。
「あっ・・・・」
「ただいま、元気か?」
「あ、あぁ・・・・元気だ・・・薬が効いて・・・少しは・・・・・」
偽犬を見た瞬間サカヅキは申し訳ない気持ちでいっぱいになり、上手く言葉が出てこなかった。
しかし偽犬はそんなこと気にせず歩いてサカヅキの元へ歩み寄り、ベッドの横に座った。
そして手に持っていた袋をサカヅキに渡す。
「・・・・あったのか?」
「お前が考えとるのとはほど遠いかもしれんがな」
てっきり諦めて帰ってきたのかとばかり思っていたサカヅキは驚いてそれを受け取った。
袋越しから察するに自分が言った物ではないが、今はそんなことどうでもいい。
偽犬が代わりに買ってきた物が何なのか。それだけが気になっている。
「・・・・・・これは何だ」
「バナナチップスじゃ。これしか売っとらんかったわい」
偽犬の残念そうな声にサカヅキは下唇を噛んでうつむいた。
コイツは嫌な男だ。本当に利己的で、最低で、外道で。
無理難題を押し付けて、苦しむ様を見てやろうと思ったのに。
結局買えずに帰ってきた彼を規約違反だと罵ってやろうと思ったのに、なのに。
「・・・・・・とう」
「ん?何か言うたか?」
そんな気持ちは一つ残らず消え失せて、代わりに残った言葉がサカヅキの喉元に迫り来た、が。
「あ・・・・・これで勘弁してやる、と言ったんだっ・・・!」
何だか悔しいから。お前なんかに言ってはやらない。
ついデレちゃう次男
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(11.08.24)