慌てず、騒がず





今までそんな雰囲気になった事が無かった訳でも無いが、私はその度にそれを華麗に避けていた。前はキスをしようとするデンジの顎に一発食らわせてやったし、押し倒された時は股間を蹴ってやった。自分でも可愛くない女だと思うが、怖いものは怖い。セックスは興味もあるし、デンジが好きなのに、どうしても経験に対する恐怖が勝ってしまうのだ。
しかし、私もいつまでもそんな事を言ってられなくなった。数日前デンジのベッドの下から発見したいかがわしい本。綴じ込み付録は開封済み。私がデンジにさせてあげないから、デンジはこんな本のこんな女の人の体を見てるんだ。私なんかそのうち飽きられて、フられるかもしれない。デンジに嫌われたくない。捨てられたくない!私はその一心でデンジの家へ向かった。合鍵でドアを開き、そっと入る。家の中は暗く、中の様子はあまり伺えない。今は夜中ではないのだが、恐らく寝ているのだろう。私は忍び足でリビングに向かった。フローリングの軋む音にびくびくしながら、リビングのソファを覗き込む。明かりが豆電球になっているせいで薄暗くてはっきりと見えないが、案の定デンジはソファに埋まるように横になって眠っていた。ちょうど背もたれ側に背を向けて眠っているので、キスが出来そうである。私はソファの側にしゃがんで、デンジの少し渇いた唇にキスをした。舌を入れるか悩んだが、流石にそんな勇気は無い。相変わらずデンジの瞼は下りている。とりあえず脱がそうと、部屋着の黒いタンクトップの裾に手を掛けようとした瞬間、パシ、と私の腕が掴まれ
た。少し掠れた低い声が響く。

「…何してるんだ?」

「お、お、起きてたんだ」

「うちの玄関のドア、けっこう響くんだぜ」

デンジの切れ長の目が確かに開いて、青い瞳を覗かせている。私を軽く睨んで、問い詰める。

「何しに来た」

「デンジ…あの、し、したい」

「何を」

「…セックス」

「は?…お前、何言って…酔ってんのか」

完全に信用していないらしいデンジは私の匂いをくんくんと嗅ぎ、アルコール臭を探した。そんなものはあるはずもなく、ただ訝しげに私を見ている。信じてもらえないだけの事を私が今までしてきたのだが。

「デンジとしたい。ね?」

私はブラウスのボタンを外し、デンジに見えるように前屈みになった。顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったが、今度はデンジへの気持ちが勝った。デンジもすぐに乗ってくるかと思ったのに、益々意味が分からないといった顔をしている。

「おい、ミヤノ、どうしたんだよ…」

「私、デンジになら何されても良いよ。胸もそんなに大きくないけど、頑張るから、だから」

「ミヤノ、マジでどうしたんだ?」

「だからっ、だから…私の事、好きでいて…ねぇ、デンジ、デンジ!」

そう言った途端、デンジは微かに眉を動かした。ソファから身体を起こし、私を隣に座らせるとはだけた服を直しながら頬に優しくキスを落とした。

「分かったから…どうしたのか、俺に話してくれよ、ミヤノ」

「なんで…抱いてよ…」

「ミヤノ」

まるで子供を相手するような声色で囁かれ、私は頭が落ち着かないままデンジに理由を話した。
デンジがAVや本を見ていると知った事。飽きられるのではないかと心配した事。あらかた話し終わるとデンジは呆れたようなため息をついた。

「させて貰えないだけでお前の事飽きる訳ないだろ」

「けどデンジ、何度かしたがってたじゃん…」

「そりゃ俺も男だし彼女が近くにいたらムラムラするに決まってるだろ。けどもしお前がすぐに股開くような女だったらとっくに別れてるぜ。無理しなくて良いんだよ。お前はそんなに安い女じゃない。お前の事、ちゃんと大切にするって決めたんだ」

「でも、デンジがAV見るのやだ」

そう言うとデンジはばつが悪そうに頭を掻いた。

「…掘り返すな。もう忘れろ…捨てるから」

「本は?」

「捨てる捨てる」

「…どうせオーバとかヒョウタさんに借りるんでしょ」

「ならあいつらも捨てさせる」

無茶苦茶だ、と言い出した私ですら思った。けどデンジなら本当にやりそうで、それは流石に二人に申し訳無いからやっぱいいと言った。
私が随分落ち着くと、デンジは私を引っ張って立ち上がった。

「…どこいくの」

「ベッド」

「…えっ」

「するんじゃねぇ。寝るんだよ。正しい使用法だろ」

「…あ、うん、うん」

寝室の明かりも点けず、暗い部屋を一直線。デンジはぼふんとベッドに倒れ込むと、両腕を開いた。

「来い」

安くてぼろいシングルベッドに大人二人。狭いせいで否応なしにデンジと密着する。デンジの横髪をいじっていると、デンジがふっと笑った。薄暗くてよく見えないが確かに笑った。

「堂々と出来るようになるまで待てよ」

「堂々とって」

「結婚を前提に」

「…ばっ、ばかじゃないの」

「ばかってなんだよ」

「本気にしちゃうよ」

「しろよ」

「ばぁか」

私がいつまでも悪態を吐いていると、デンジは布団を叩き「寝ろ」と言い放った。



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