弐 初会から数日、風丸は裏を返しに来た。今回も盛大な宴が私のために開かれ、風丸は艶のある藍色の羽織りでやって来ていた。 「風丸さん、おなまえ姉さんの事随分お気に入りですねぇ」 自室で私に紅を塗ったりと、慌ただしく支度をしながら春奈が言った。 「まあ、裏を返しに来させるのが花魁ってものよ」 「けど、毎度すごい揚げ代使ってるじゃないですか。いくらお金持ちでも凄いですよ!初会の時もおなまえ姉さんの笑顔見て顔真っ赤にしてましたし!あ、打掛どっちにしますか?」 「そっちの、灰桜色」 よく舌を噛まないわね、と逆に感心する。明るく育つのは良い事だが、少しお喋り過ぎて水揚げが心配だ。 この子もいつかは客を取る。男を知る事になるのだ。姉のような立場としては少し寂しい。 「おなまえ姉さん?支度出来ましたよ」 「ええ、ありがとうおざんす」そう廓言葉を話すと春奈はあっ、とした顔をして、そこから一生懸命廓言葉を話していた。廓言葉に慣れておかないと後々辛いのは春奈だから、私も出来る限り廓言葉を話そうとするが、親しみ易い彼女の前ではつい地が出てしまう。 宴は聞いた通り豪勢で、食事も芸者も大量に用意されていた。この風丸一郎太という男の財力は底知れない。しかもそれを私に注ぎ込む事、私が言うのもなんだが、島原には私より綺麗な花魁は両手では数えきれない程居るというのに。 風丸は私が上座に座るのを見ると、頬を上気させて言った。 「やあ、今日も綺麗ですね」 ありふれた言葉だがこの青年に言われるのはたとえ世辞であっても嬉しいと思った。今まで私の機嫌を取るために様々な褒め言葉や和歌、贈り物がされたけれど、この男はたった一言で私の機嫌を取ってしまう。不思議なものだ。芸者が何人もやって来て座敷はどんちゃん騒ぎの大宴会。すっかり上機嫌な私は先日のように風丸の猪口に徳利を近付けた。 「主さま、酒はお好き?」 「っ…!嗜み程度に、ですよ」 少し話しかけた程度で吃って、この様子では床入りは当分無さそうだ。初な反応、やはり彼は初めて遊郭に来たのだろう。 「浮舟は?」 「嗜み程度、でおす」 「そっか」 ははは、と風丸は軽快に笑った。歳が近い分、私はこの男に近親感を感じたのかもしれない。基山や吹雪以来だ。こんなに楽しい宴は。 今夜は一緒に床に就く事にした。勿論、常連でない男と事に及ぶつもりは無いが、この初な青年をからかってやろうという悪戯心が少なからずあった。簪や装飾を外して、布団の上で風丸と向き合う。やはり風丸の頬は赤い。 「…寝ようか」 「ええ」 風丸が横になる。私もそっとその隣に横になった。風丸は形式的に瞼を下ろしたが、呼吸は早く、緊張しているらしい。このまま生殺しのままは可哀相だろうか、と暫くしてから私は苦笑して布団から抜け出した。 「…じゃあな、………」 「えっ!」 この男、今、私を本名で。驚いて振り返ったが、風丸は布団を被って寝入ろうとしていた。聞き違いだったのだろうか。 風丸一郎太、存外厄介な客かもしれない。 101031 |