季節が一巡りする間、というのが私がファブレ公爵邸に居られる期間だった。
最初は長いと感じていた一ヶ月もあれよあれよと言う間に十一個目になる。オールドラントの暦ではあと二ヶ月でちょうど一年。
則ち、それはルークやガイとの別れを示している。私はどうなるのだろう。今更ぞんざいに扱われる事も無いだろうが、再び私はこの世界に来て間もない頃の不安を思い出した。それに、せっかく仲良くなったのに。この一年は殆ど似たような生活ばかりで今思えばあっという間だったけど、悪くなかった。
青空とは裏腹の憂鬱に俯き加減で庭のベンチに座っていると、背後からとん、と柔らかく肩を叩かれた。それはルークでもガイでもなく。

「魅白さん、元気がありませんね」

ファブレ公爵の奥さん、シュザンヌ様だった。

「奥様…そうですか?」

「ええ。貴女には色々と不便をさせてしまいます。ごめんなさいね」

「いえ、私こそ、お世話になって…」

ルークのお母さんは優しく、それでいてはかなげな表情のまま私を見ている。

「魅白さんはこのオールドラントとは違う世界からいらっしゃったのでしたね。お母様と会えなくて寂しいでしょう」

「正直…そうですね」

この世界には誰も肉親が居ない。皆が他人だ。私を知る人は誰も居なかった。

「不服かもしれませんが、私を貴女のお母様と思って甘えてください」

「そんな…」

身分が違うのに、恐れ多い、と私が引くと、シュザンヌ様は寂しげに笑った。

「では、せめて私が貴女を娘だと思うのは、許していただけますか?」

「シュザンヌ様…」

「貴女は私の娘です。ここを出ても、何時でも帰っていらっしゃいね」

ふわ、と香水の上品な香りが漂う。優しく抱きしめられて、ここ暫く忘れていた"お母さんの温もり"を感じた気がした。お母さん、お母さん。お父さんと一緒に居た記憶の方が圧倒的に多いけど、お母さんはお母さんだ。大好きな家族には変わり無い。
シュザンヌ様の細い背中を抱き返して、私の涙線はとうとう決壊して溢れてしまう。

「お母さん…」





あれから間もなく私は応接室に呼び出された。今までに呼び出される時はルークとセットだったが、今回は私一人のようである。私だけの話といえば、あの話しかないだろう。次は私をどこに閉じ込めるのか。憂鬱だが、私がこの世界で確実に生き延びるには言う事を聞くしかない。
メイドさん達によって開かれた扉に入って行くと、そこには約一年前見た時のようにファブレ公爵がやはり前回と同じように座っていた。

「ただいま参りました。公爵」

「…そこに」

示された席に腰掛ける。

「今回呼び出したのは他でもない、そなたの今後の事だ」

「はい…」

覚悟はしていた。私のあまり乗り気でない気持ちが公爵にも通じたのか、公爵の口は重くなる。ルークのそれより赤い髪が一房、掛けていた耳からぱら…と落ちた。

「再来月、シルフデーカン・ルナ・1の日からそなたは城にて過ごす事になった」

「城…キムラスカ城ですか」

「うむ。ナタリア殿下、シュザンヌの希望もあってな。当初はベルケンドのはずだったのだが」

「…!…良かった」

ベルケンドというのがどこかは知らないが、城なら、ここファブレ公爵邸のすぐ側だ。逆に言えば城からここは綺麗に見渡せるだろう。私は喜びにテーブルの下の足が震えるのを堪えた。会おうと思えば会えるんだ!
それに城にはナタリアも居る。寂しくなんかない。良かった、とホッと胸を撫で下ろす。もしかしたら、環境が変わる事で元の世界に帰る手段も見つかるかもしれない。

「一つ言っておくが」

「はい?」

「城からは出られないと覚悟しておいた方が良い」

「や…やっぱりですか…」

上層部を自由に行き来出来るか出来ないかでは、ルークやガイに会う機会はぐっと減る。

「そう落ち込むな。式典の時には会える」

「は…はい」

ふう、と公爵は深い溜息を吐いた。私はそんなに残念そうな顔をしていたのだろうか。
預言があったとはいえどこの馬の骨かも分からない私をこんな長い間ここに置いてもらえたのだから、文句を言える立場ではないと分かっているのだけど。
私の返事を最後に静まり返った気まずい雰囲気。ここは席を立つべきだろうか。いや、何か断るべきか?公爵はだんまりだ。頼む、何か言ってください。
ふと、風を感じた。

「父上!」

バーンと割れそうな程の勢いで扉が開き、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。ルーク、いくらなんでもそれはないわ。

「ルーク!何事だ!」

「父上、魅白をベルケンドにやるのはやめてくれ!俺、!」
「その話だが」

どうやらルークの元には古い情報が行っていたらしい。公爵は落ち着きの無い息子にうんざりとしたように、先程私にした話をもう一度ルークに話した。再来月から私はこの邸を出る事、ナタリアやシュザンヌ様のお願いで、私が連れて行かれるのはベルケンドでなく城になった事。
それらを聞く度にルークの眉間の皴は解かれていく。

「なんだよ…そうだったのか…」

「だから、お前は部屋に戻、」

「…じゃあ、魅白のためにパーティーを開いてくれ、ませんか」

「え、いいよそんな!」

ルークの口から出たのはこれまた突拍子も無い発想。
パーティーって、そんなお別れ会的な。それに私、そんなに歓迎されて来た訳じゃない。客人じゃない。

「ここ一年、前より退屈しなかったんだ。魅白の…せいだと思う」

「せいって」

「だから、送り出す時くらい…」

「…」

「父上!」

「私からもお願いします、あなた」

「シュザンヌ…」

事のいきさつを隣部屋で聞いていたのかシュザンヌ様までルークの言う事に賛成した。
奥様の登場で心が折れたのか、公爵は渋々といった感じに頷いた。

「…では来月、レムデーカンにそなたらの言うそれを催す」

「やったぁあ!」

私はれっきとしたよそ者なのに、シュザンヌ様もルークも公爵も、どうして私に優しくしてくれるんだろう。
余計、離れるのが辛くなっちゃうなぁ。と中庭に出ると私は空を仰いだ。

私、もしかしたら元の世界には帰らなくても良いかもしれない。あっちだと私は、いや、止めよう。
残り二ヶ月を楽しく過ごさなくちゃ。




100815

母堂





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