物凄い風圧を纏いながら振り下ろされたライガの前足を間一髪で避ける。このライガ、巨体に似合わずスピードがとんでもない。
(こんなの食らったら…!)
考えただけでゾッとする。必死に攻撃を避ける私の目の端に、ふと映ったのはライガの卵だった。
割れた方が都合が良い。戦う前、卵を心配したルークにティアが言った言葉だ。私はどちらが正解なのか分からない。卵の中にも命がある。でも、エンゲーブの命を守るためには遅かれ早かれ卵を割らなければならない。どちらかが生きるためにはどちらかが死ぬ。それには正解、不正解で割り切れない重さがあった。
「これでどうだ!双牙斬!」
ルークがライガに切り掛かる。ルークの剣はヴァン師匠に教えられた通りの軌道を描き、ライガの毛皮を裂く。はずだった。ライガはびくともしていない。一瞬油断したルークの頭上をライガの爪が掠めた。咄嗟にルークが頭を下げていなければ頭が無くなっていただろう。
「ルーク!」
「平気だ!」
朱い髪を翻し再びライガに飛び掛かるルーク。ルークに気を取られているライガに私も背後から切り掛かるが、同じくライガには全くと言って良い程効いていないようだった。
「こんなの、勝てないよ!」
「まずいわね…こちらの攻撃が効かない…」
ティアの焦りを孕んだ声色。
「冗談じゃねェ!何とかしろよ!」
ライガの牙を避けて、ルークが半ば叫ぶように怒鳴る。ティアは再び詠唱に入ろうとした。と、次の瞬間。
「何とかして差し上げましょう」
まるで愉しむかのような声色が響き、振り向けばそこにはマルクトの青い軍服。光る眼鏡。見覚えは、あった。
「カーティス大佐!どうしてここに?」
私やルークは勿論、あのティアですら驚いて見せた。カーティス大佐はにっこりと(イオン様とはまた違った)微笑みを浮かべる。
「詮索は後にしてください。ライガ・クイーンは私が譜術で始末します。貴方方は私の詠唱時間を確保してください」
「偉そうに…」
突然出て来た大佐を完全に信用は出来ない。それでも、私達は彼に頼るしかこの場を切り抜ける術を知らなかった。「今はあの人に任せましょう。ルーク、魅白」
「チッ」
「攻撃がそっちに行かなきゃ良いんだよね?」
「はい。頼みますよ」
ティアやカーティス大佐の居る後衛までライガ・クイーンが行かないように、前線の私達がおびき寄せておく。ライガの気を引きながらただ攻撃を避けるのはなかなか至難の技だった。時折ティアに回復をしてもらったり、私自身もヒールを使いながら攻撃を凌ぐ。
ふと、私達を取り巻く空気が一瞬にして、変わった。
「荒れ狂う流れよ…――スプラッシュ!」
大佐の声が響き、私達の真上に滝が現れる。大量の水はどうと音を立てて降り注いだ。ライガを狙った譜術だったせいか、私やルークは濡れる事も押し潰される事も無かった。無意識のうちに閉じていた目を開けば、そこには水圧に押し潰されたライガ・クイーン。ルークが眉を顰めて見る先には割れた卵があった。見ての通り死んでしまっている。
「おや。あっけなかったですねぇ」
カーティス大佐は相変わらず口角をつり上げたまま薄く笑っている。私やルーク、ティアがあんなに必死で戦ったあのライガを、たった一度の譜術で倒してしまった。私の視線に気付き、私を見つめ返す大佐の赤い目。ぞくりと鳥肌が立った。ぱっ、と私から顔を逸らすと大佐は洞穴の出口に向かって「アニス!」と叫んだ。
「ちょっとよろしいですか?」
「はーい、大佐♪お呼びですかぁ?」
柔らかく、可愛らしい声。その声の主はツインテールに縛った黒髪をひょこひょこ揺らして、洞の中に駆け込んで来た。前に私とぶつかったあの子だ。導師守護役だとティアに聞いていたが、改めて見るとやはり華奢でか弱そうだ。やって来たアニスにジェイドは屈んで耳打ちをする。「わかりましたけどぉ、ちゃんとイオン様見張っててくださいね?」「もちろん」そんなこの場に相応しくないようなほのぼのとした会話を他所に、ルークはまだじっと割れた卵を見ていた。
「…割れちゃったね」
「魅白…俺、なんか…やな感じする。今まで何度か戦って来たけど。やっぱいっつも…後味悪いな」
「ルーク…」
ルークが私を見る。そこにはいつもの傲慢なルークではなく、悩む優しい青年が居た。緑の目に陰を落として、亡くなった命をじっと見つめる。私だって、良い気持ちじゃない。
「優しいのね」
ティアのそんな声が聞こえた。冷たく突き放すような声色だ。
「それとも、甘いのかしら?」
「冷血な女だな!」
「ルーク、ティアも…そんなに揉めないでよ。今は…」
「おやぁ、痴話喧嘩ですか?女性二人に挟まれて、もてる男性は大変ですね?」
カーティス大佐が眼鏡のズレを直しながらやって来た。あのアニスとかいう女の子はもう居ない。
「誰がだ!」
「カーティス大佐。私達はそんな関係ではありません」
「そうですか。あ、私の事はジェイドと呼んで下さい。ファミリーネームには馴染みが無いもので」
ひどくマイペースなジェイド・カーティス大佐。圧倒的な強さがこの余裕を呼ぶのだろうか。この人と居ると心なしか皆の調子が狂う。早くこの森から出てこの人と離れたい。私は本日数回目のため息をついた。
101229